Ⅵ.専門職の日常

2017年9月28日 (木)

心も折れます

国家公務員っていうのはいいですね。暴言を吐いても嘘をついても、税金を好き勝手に使っても不倫しても給料がもらえるんですから。

決められた仕事を決められた量やっていれば給料がもらえる。新しいことを始めなくても給料がもらえる。国民に何の得もないことをやっていても給料がもらえる。いいですねぇ。



最近思うのさ。

自分がこんなに(主に仕事のことで)悩み苦しんでいるのは、国家公務員じゃないからなんだね…と。国家公務員だったらこんなに苦しまないで済むだろう。というかそもそも苦しむ余地すらないのではないか。








「私ってここで役に立ってるんですかね?」



…と、ついに職場で口にし始めた管理人である。フラグか。




この管理人、ウダウダ言っている割には、「給料もらうからにはそれに見合う仕事をする」がモットーの意識高い系である。(自分で言うか)

が、けっして高いとはいえない給料に見合った仕事ができているのか、自信がなくなってきた。仕事をするうえで何が一番怖いって、自分が職場で何ひとつ役に立っていない自覚をしてしまうことである。



ま、そりゃ誰もはっきりと「その通り」とは言わないし、職場の人も「そんなことないよ」と言う。「その通り」と言ってくれた方が気が楽なんだけどな。気を遣わせているだけだろうし。

とはいえ、私じゃなくても代わりはいくらでもいるだろう。




どんなに必死にやったって、ダメな奴は結局ダメなのかもしれない。「あんたみたいな人、この仕事する資格ないよ」とリアルな現場の声を聞かされることもある。

そういうときは返す言葉もなく、「申し訳ありません」とひたすら頭を下げるしかない。ショックのあまり膝が震え、トイレなど人目に触れないところで声を殺して泣いたりもする。夜もずっと悶々考え、眠れなくなっちまう日もある。


もちろんこれは私が私だからであって、全員がそうではありません。もっとうまいこと仕事をしている同業者はたくさんいます。今さら気付きたくなかったけど、管理人はセンスがないのかもしれん。




「私、誰のために仕事やってんですかね?」

「誰かの役に立ってるんですかね?」

「こんなんで給料もらってていいんですかね?」


とは重すぎて職場の人に相談できないので、自問自答したりとか、たまに親に聞いてもらったりとかしている。親に言ったってまともな答えは返ってこないけど。




キャリアは浅いにしても、「この心理士に出会ってしまった不幸」を他人に分け与えないよう、必死こいてやっているつもりである。新しいことにも挑戦し、成功も失敗も自分の糧として吸収しようと努力している。(つもりである)

が、リアルなクレームで心が折れてしまったり、「役に立ってんですかね?」なんて発言が飛び出したり、そもそもクレームを受けてしまうこと自体、私ってこの職種に向いていなかったんじゃ…?と思われてならない。



いやだ…このトシで転職か…?

今日まで肺呼吸だった生き物が、明日から鰓呼吸しろと言われるようなものだ。考えるまでもなく絶対無理に決まってる。





いいよなぁ、政治家は。

こんなことゴチャゴチャ考えなくても給料が入ってくるし、定められた仕事をしていれば新しいことを始めなくていいし。オレって政治家に向いているのか?なんて自問自答、奴らはしたことがあるのか。


もうすぐまた選挙が始まるが、このまま日本にいても社会に殺されるだけのような気がする。どこの政党に票を入れたって同じだろ? 苦労したことがない連中が助けるのはせいぜい同レベルの人々であって、それ以外の人には目がいっていない。そもそも存在に気付いているかどうか。








全然関係ない話だが、先日地元で右往左往していた観光客グループを助けた。私の年齢(20代)で、初対面の観光客にこっちから「どうされましたか?」と声をかけるのはかなり勇気がいる。

だが、困っている様子だったのでつい声をかけてしまった。


もちろん悪いことではない。行き先を聞き、乗るべきバスの系統を伝え、ついでに地元特有のバスの乗り方も話した。するとこっちが恐縮するぐらい感謝され、なんか久々にいいことをしたつもりになってしまった。


ここで書いたかどうか、数ヶ月前には子どもが怪我をして右往左往するお母さんを助けたことがある。額から血を流した幼い子がそこで泣いているのに、見て見ぬふりをする通行人には憤りを感じた。

このときは慌てるお母さんをとりあえずなだめ、近くの病院に行ってもらったと思う。




真面目に仕事したって報われない。人に親切にしたって報われない。どうせクレーム言われてまた心が折れるだけだろ?

だったら誰にも手を差し伸べなくていいじゃないか。役立たずな仕事なら辞めちまえば?
・・・なんて嫌らしい声がささやきかける日もある。悪魔…ではなく自分の声だ。



それでも、見ず知らずの人、困っている人に声をかけられるっていうのは、そこらに捨てちゃいけない自分の強みではないかと思う。やっぱりどっかで「ただの通行人になってはいけない」と感じ、そこで足を止めさせる。

もちろん出しゃばりやお節介は余計だが、そういうところが私らしいところなんじゃないかとふと思う。奉仕とかボランティアには興味ない。聖人君子じゃないからそういう意識はない。




「オマエに心理士の器はない」みたいなクレームはフツーにあるし、ものすごく心が折られて退職届を出すところまで考えることもある。ただの卑下ではなく、本気で自分には才がないんじゃないかと思う。


それでもなんだかんだ今の職にしがみついているのは、そこらの道端で困っている観光客やお母さんに声をかけさせるような、そういう自分がどこかにおるからだろう。優柔不断で基本ネガティブ、人見知りで人嫌いな管理人だというのに。








別に「結果を出せ」と要求されているわけではない。ただ、必要以上に自分を追いつめてしまうのが管理人の悪い癖である。


だが、近ごろの社会のゴタゴタを見る限り、自分の行動は誰かの役に立っているのか…と考えるのは多少必要な視点だと思う。他人に損害や不幸しか与えられない人の行動は、北朝鮮のミサイル発射並み、国会で野次を飛ばすしか能がない政治家以上に罪深い。




管理人の願いとしては、せめてクレームが来ないレベルまで上がりたいものである。



2017年9月 2日 (土)

やさしくない世界

座学中心の研修期間を終え、ものすごく足がむくんだ。職場では立って歩き回っていることが多いので、家に帰ってから自主的にラジオ体操第一とかやって凌いでいた。

周りにいるのは初対面ばかりだが、運よく初日に仲の良い人ができた。自分の職域とは微妙に違う現場の話を聴けてよかった。こんな管理人でも社交スキルはあるんですよ。







それにしてもしみじみと思うのは、我々の専門領域は儲からないね。


「やりがいはあるが生活が苦しい」「この職域で金持ちを見たことがない」と皆が口を揃えて言うほど給料が少ない。

医師や大学教授、公務員などピラミッドの上方にいる方々は別だろうが、底辺にいる大多数は全然儲かっていない。以前、保育士の給料が少ないと社会問題になったが、こっちだってもれなく低待遇の安月給である。

むしろあっちは社会問題として取り上げてもらえて羨ましいと思う。





我々の職域、神経をすり減らす仕事である割には見返りが少ない。同業者の人に「こんな仕事を選んでご愁傷様」と言われたこともある。社会に貢献してるとか、需要があるとか、なんだかんだ言われても生活が苦しかったらどうしようもないよな。



今回の研修でも、「ボランティアで尽くす覚悟でやれ」と言われた。

私はまだ20代。あれもこれもやりたい、いろんなことがしたいと思っても構わない年頃であろう。見返りを求めないボランティア精神で仕事なんかできません。

人助けをして餓死しろというんですか!(とはさすがに言えなかったが)





私は聖人ではありません。マザーなんとかさんみたいに他人を救うことに喜びなんか見出しません。尽くした分だけ見返りがほしい。そう思うのは何か間違っているのか。


いや、もちろん働いている全員がそうなら私も同調するよ。現実としてはそうではなく、ピラミッドのどこかにはしっかり見返りを得て裕福な生活をしている奴がいるわけでしょ。

自分の職場で言うと、上司とか。噂によるとあの上司、儲かりすぎて税金対策に頭を悩ませているらしい。節約節約と口癖のように言い、職員を安月給でアリのように現場で働かせ、得た収益をほとんど自分のものにして税金対策に困る?


こんな馬鹿なことがあるか!と言いたくもなろう。






仕事にやりがいを持てと言われても、こんな現状でやる気を出せというのが間違っている。

他人のために尽くせ、生活を楽にしてさしあげろ、その代わりお前が死ね…ってか。他人の生活の世話して、自分の生活が破綻したらどうしてくれるんだ?



保険料の値上げも毎年のように生活を苦しめるし、この時代、この国に生まれたことが人生最大の不幸ではないか…とも思い始めた。


自分はまっとうに生きているのに、こんな奴でも誰かの役に立てるかもと思ってこの仕事を選んだのに、手取りはどんどん減っていく。当然ながら生活が苦しくなる。

人を助ける以前に、自分の生活基盤がそもそも安定していないのである。今のご時世、ちっぽけな人間がいくら世界にやさしくしても、世界は自分にやさしくしてくれない。




これでどうやってやる気を出せというのか…。

ポジティブな励ましごときでモチベーションは上がらねぇぞ。






10代のころや20代前半は「手取りは少なくても社会の役に立てるなら」なんて偉そうなことをほざいていた気がする。


だが、この歳になってようやくわかった。

人間はそれなりの見返りがないと生活できない。偽善の皮をかぶって仕事に打ち込むことはできるが、心の底から満たされることは絶対ない。そういう生き物なのだと。


見返りもなしに人のために働けというのは不公平すぎる。私が万人のために尽くしたところで、万人は私のために何もしてくれない。なんのためにこんな安月給で、嫌な思いまでして仕事を続けなきゃならないのだろう。




この職業に就いて以来、誠心誠意を込めて必死にやってきたつもりだが、先日の研修を機に悶々と考えている。言葉はよくないが、いろんなことがバカバカしくなった。


私ってのはほんとモノグサだから、何かに向かって努力しない代わり、たいした悩みを抱えることもない。目標も願い事も「特になし」で、ある意味ものすごく平和な奴だと思う。

そんな私が「このままではヤバい」と思うのだから、今回はよほどヤバいのだろう。



…いや、生活がリアルに破綻するヤバさではない。これまでのような純粋な気持ちで仕事ができなくなるヤバさである。

同じ職域、同年代の子たちと話題になるのは、いつも決まって「保険料の値上げ」と「年金問題」と「生活の破綻危機」。あとたまに「孤独死危機」も。






こんなことやってたらいずれ生きていけなくなるぞ。


悲しいかな、仕事の帰り道にふと頭をよぎる言葉である。


2017年5月10日 (水)

体重減が止まらない

ダイエットもしていないのに去年から2kg減である。貧困ラインぎりぎりの生活で食費を削っているからか。

もう近ごろはなんだかんだ値上げの嵐で、上がらないのは給料だけ。食べ物、トイレットペーパーなどの生活必需品、光熱費等々…。この社会は私に死ねと言っているのか?と疑問に思うのは今に始まったことではないが。

食べ物は極限まで切りつめ、間食などもってのほか。冷暖房は耐えられるとこまで我慢する。風呂はもちろん毎日入るが、その代わりトイレの回数を少なくし、できるだけ外出先でするようにする…とか、そういうことを実践している。



…こういうことをなぜここで書くかというと、辛酸をなめまくった苦すぎる経験を記し、いつか立派になったとき読み返して、「これがオマエの原点だ」と初心を忘れないためである。






GWはなんだかじっとしていることができず、無駄にそこらをうろちょろ歩き回って最終日にぶっ倒れた。起きようとするのに起きられず、うっかり昼まで寝坊してしまった。ありゃ生まれて初めての体験だったな。


人の声を聴くのは得意だが、自分の声を聴くのは苦手である。「もっと自分を出していいのよ」と言われるが、本当の自分を出したら確実にひねりつぶされる。そういう環境にいるのである。

つらいんだな、嫌なんだな、なんてふっと立ち止まったら悲しくなりそうで。私のこの辛酸なめつくし現状悪化の闇はいつまで続くのだろう。ネバーエンディングストーリ―なのか…?





あれが嫌だこれが嫌だと排除していったら何もなくなってしまう。どこかで折り合いをつけて受け入れなければやっていけない。

先日、職場の人たちが上司の悪口を言っているのに出くわしたが、私に言わせりゃアンタたちも似たようなものですけど。むしろあの人たちにボロクソ言われている上司がちょっとかわいそうになってきた。

他人の悪口に同調するって怖いよな。変な仲間意識みたいなのができて自由に動けなくなる。私はそういうのが嫌いだから誰の悪口も言わない。あいつなんか死ねばいいとこっそり思うだけである。







…結局、日常生活も心の中も荒みまくっている。お腹へった。


どうしても低血糖症状が出るのよねぇ。マジな話、コンビニのトイレで1時間ぶっ倒れたこともある。救急車を呼ばれるのが恥ずかしかったので自力で歩いて帰ったが。

職場で症状が出ちまったときは、休憩室にある飴を舐めながら仕事したり…。人ひとりの身体を維持していくってほんと大変。低燃費で生きていけたらいいのに。





それでも将来やりたいこと、夢や理想のために奔走する。


誰も言ってくれないから、「がんばれ」。

いつか立派になってこの記事を読み返そうな。



2017年4月22日 (土)

どうして雨の日に傘

休憩時間、職場の人たちが「どうしてパワハラが原因で自殺するんだろうね。死ぬぐらいなら辞めればいいのに」という話をしていた。




これは私に向けられた発言ではない。(と思う)

ただ、聞いていた私は複雑な思いになった。



「○○ぐらいで」というのは被害に遭ったことがない人の詭弁である。パワハラのほかにも「いじめぐらいで」「DVぐらいで」という言葉がある。

これを他人に言うならまだいい。私の考えでは、自分で自分にそう言っている人が自ら命を絶ってしまいがちである。


自分に「○○ぐらいで」と言うほどつらいものはない。それで奮い立てる人は別として、自分で自分を責めたり追い込んだりしていいことは何もありません。十中八九なにかの病気になります。

自分でもそう思っているのに、他人から同じことを言われた日にゃ、もう生きる気力なんか微塵も湧いてこない。「パワハラぐらいで悩んでいる自分は弱い人間なんだ。やっぱり死のう」ってなりもする。


私は実際に自殺を企てたことはないが、意見を求められたので「心的苦痛が死ぬよりつらくなったら人は自殺するんじゃないですか」と答えた。これが正しいかどうかは別にして、そう思うのは様々な人の教えがあるからである。










我々の仕事は、相手の重荷を一緒に支え、負担を抱えたままわずかでも楽に前に進めるよう援助することだと思いなさい。…というのは学生時代、教師から言われた言葉である。

我々にできることはせいぜい、人が抱える困難や負担をわずかに軽くすることだけである。それをゼロにすることも肩代わりすることもできない。せいぜい一緒に支える努力をする程度のものである。


私の根源にあるのは今でもこの教えである。

人が自殺企図するほどの苦しみを失くすことは絶対にできない。わずかでもその人の苦しみを共有し、負担を軽くする努力をしなさい。それが自分の信念としてストンと腑に落ちた。



また、「どんなに裕福で恵まれた環境にいても人は自殺する」と、かつて未遂を経験した人に言われたことがある。

今の世の中は、傍若無人で自分本位で非常識な人ほど楽に生きられる社会である。心根が優しく常識的な人ほど損をしやすく、また生きるのが苦痛で仕方なかったりする。それがどんなに(他人の目から見て)恵まれた環境にいたとしても。






まがりなりにもそういう言葉を胸に留めている人間には、「なぜパワハラぐらいで自殺するのか」という質問自体よくわからない。そんなもん、死ぬよりつらいことがあるからに決まっているでしょう。

「逃げればいい」「辞めればいい」なんてのは健康でノープロブレムな人が判断することであり、本気で自殺企図する人間はそんな悠長なことを考えている暇はない。頭の中は「今日ここで死ねば明日は苦しまなくていい」に尽きるのではないかと思う。




自分が死ぬことによって様々な苦痛から解き放たれる想像。これがバラ色に見えるとき、人はおそらく死を選ぶのだろう。

もうあそこに行かなくていい。上司に罵倒されない。先輩に馬鹿にされない。いじめられない。親に隠さなくていい。独りで苦しまなくていい。…なんて世界が目の前にちらついたとき、誘惑に負けるとついフラフラと電車に飛び込みたくなってしまいます。





自殺企図はしたことないけど、ぶっちゃけ希死念慮は経験ある。なので気持ちはよくわかる。今の苦痛から逃れるためなら死でもなんでも選びたくなるよねぇ。


本気で追いつめられている人に「逃げる」「辞める」の選択肢はない。だから周りが強引に辞めさせるとか、苦痛を生じさせている環境をぶっ壊すとか、そういうことをしなければ永遠に救われないと思う。

ベテランになると我々でも実際に環境を変える計画を練ったり、それを実行に移したりするのだが、アマチュアの私にはまだ自信がない。


情けない。






とりあえず仕事柄、私は他者を援助する立場にあるが、実は少しだけ援助される側の要素も入っていると思う。正直ギリギリのところにいる気がする。

だからすごく気持ちがわかるし、共感もできる。それだけにうっかり入り込みすぎると危ない。「自分は専門職の人だから」と割り切って仕事しなければならないこともある。共感はいいけど同情は絶対ダメ。





職場の人たちも同じ援助者でありながら、「どうしてパワハラで…」という発言が出てくるのか疑問である。当事者にとっては「どうして雨の日に傘を差すんですか」レベルの話なのに。


専門職としては限りなく未熟だが、少なくとも人の苦痛がわかる人間でありたい。援助者と被援助者の間をさまよっているぐらいが一番いい気がする。どっちの意見もわかるし、両者の立場に立って話ができるから。









今ある苦しみから解き放たれるために、明日起きて職場が爆破されてなくなっていればいいのに、と願うことは頻繁にある。

つらい現実にいじめられまくっている全国の皆さん、ここにもひとり仲間がいます。職場の焼失や嫌がらせをしてくる人の失踪等、様々なことを願いながら眠りに就きましょう。


おやすみなさい。



2017年3月 3日 (金)

黙るは得だが腹が立つ

根がネガティブのせいか、ちょっとでもマトモなことがあるとすぐ「悪いことが起きる前触れでは?」と思ってしまう。不運にまみれていた方が自分らしいというか、かなりねじ曲がった性格と自覚している。


…それでもいいことばかりじゃないけどね。基本悪いことばかりだよ。底なしの逆境と現状悪化の中に生きている。それが自分。



主に仕事関係で猛烈にイライラする。怒っても仕方ないとわかっているから我慢するけど、たま~に発散しなきゃやってられん。小声で「死ね」を連呼するとちょっとだけ気が落ち着く。

あくまでちょっとだけな。








……大体さぁ。





「私って身体が弱いからぁ、これ以上負担をかけるとダメになっちゃうのぉ」

なんてことを口に出して言う人、生まれて初めて見た。まさに未知との遭遇



発言者は私より年上の人(♀)。

普段のちょっとした荷物運びとか、年末の大掃除すら絶対やろうとしない。「身体が弱い」ってなに? 私だって両目を網膜剥離で手術してるから、日常的に重い物を持つなとドクターストップがかかっている。なのに、荷物運びも大掃除もフツーにやらされてますけど。

そのくせ私の失敗やミスはうっとうしいぐらい指摘してくる。自分は何もしないくせに。こっちが仕事していても優雅にコーヒーを飲んでいる。ああくそ、煩わしい。恨めしい。





あと、別の人だけど、自分がなんでも一番でないと気が済まない人もいる。というか、アレは自分が一番だと完全に思い込んでいる。やたら偉そうに説教してきたり、諭してきたり、わざわざ丁寧に解説してくれたりする。

でも、その大半は「…イヤ、知ってますけど?」という内容。私は寛容だからそんなことは言わない。初めて聞きました的な顔をしてあげる。寛容だから。実年齢は相手の方が上なんだけど。







まったく…。どいつもこいつも私を相手にくだらねぇリビドーを埋めないでもらいたい。テニスの壁打ちと同じでまともな反応は返ってこないと思え。

某知人によると、私の長所は「黙る」ところらしい。怒ると黙る。口を閉じる。そのせいで相手に調子に乗られる(言い負かしたと思われる)。オマエが黙れ…。


まぁ、専門職の人間としては問題ない。むしろプラスかもしれない。ただ組織人としては苦労する。阿呆どもと喧嘩して何になる?とはっきり口に出せたら楽なのだが、私にも一応理性というものがありますので、なかなかそうはいかん。




職場の連中と馴れ合う気はさらさらないし、仕事関係の話だけ通じていればいいのだが、「黙る」が基本になるとどんどん何も言わなくなる。いいことも悪いことも。昨日あったことも来週あることも。まともな日常会話をしなくなる。

もちろん必要最低限の会話はしますよ。組織人として当然やるべきことはやります。ただ、それ以外の会話(俗に言う雑談)はしない。昨日見たテレビの話とか、今日作る晩ごはんの話とか。昔はもうちょっとしていた気がするが、最近はめっきりしなくなった。




理由は簡単だ。何か話そうものなら、それについてのウンチクを語られるか、あるいは説教されるか、間違いを指摘される。何を話しても必ずこのうちのどれかになる。まともに会話しようって気にもならねぇだろ。

どうせ話しても無駄だ。楽しくないと思うんだよ。相手が私だからまだいい。だが、これがクライエントだったらどうするの? 話しても無駄だと思わせるような態度を取るなよ。あんたらこれでも専門家だろ?


どんなにうまくオンオフ切り替えたって土壇場では素が出ます。常日頃から「この人に話したら気持ちが楽」と思わせるような生き方をしろよと思う。ハッキリ言うけど、あの人たちに話をしたってなんの実りもない。無意味。無感動。

私はともかく、患者さんやクライエントにこういう思いをさせているとしたら、あの人たちは専門家としてまるきり失格である。





カウンセラーはクライエントを映す鏡になれ、というのは先人の教えである。私も常にそうなれるよう努力しているが、職場の阿呆どもを映す鏡には死んでもなれない。


おもいっきりリフレクション(反射)してやりてぇ。


2017年1月27日 (金)

為にはならず

去年8月、「現状悪化の底が見えない」と呟いてから約半年。


ただでさえ少ない給料がさらに減らされ、上司に「こっちはシビアな経営をやっているんだ。お前の給料に回す余裕はない」などと罵られ、他職種の先輩に「民間資格のくせに」「国家資格は格が違う」と何事によらず馬鹿にされ、2016年はいいことなんかひとつもなかった。

なので、2017年はもうちょっとマシな年になりますように、と願っていた。



…のだが、どうも願いは届かなかったらしい。

わしの現状悪化はマジで底がないようだ。







先と言えば先の話なのだが、平成29年4月から自分が加入している社会保険料が上がるのである。それも月額2000円も。

たかが2000円、などと思ってはいけない。私がこれまでの人生で最も節約していたころ、2000円というのは10日分の食費だった。つまりこの時代の生活がまだ続いていたとすると、月2000円さっぴかれる=毎月10日間絶食に等しい。さすがに今はそんなことはなくなったが、生活が苦しくなることには変わりない。




なぜ上がるかというと、理由は言わずもがな、高齢化社会によって膨れ上がる社会保障費の削減である。わしも最近頑張って勉強しているので、主に医療と年金の分野でバカほど金が必要なことはわかっている。しかし、国庫からの支出を抑えるため、我ら労働者の給料から保険料を徴収して賄おうとしているわけである。


…で、ついでにわしの食費も削減か。ただでさえカツカツの生活をしているのに、月額2000円(単純計算で年間24000円)もさっぴかれたら生命にかかわる。

私は3ヶ月に1度、眼科の通院で3000~5000円(3割負担)ほど支払う。これが家計の中で一番大きな支出であり、それでいて何があっても外せないものである。これをケチったら(最悪の場合)失明する。なので仕方なく食費や被服費を削減し、頑張って節約して通院しているのである。



いっそのこと失明して、障害年金や手帳をもらった方が楽に生活できるのではないか…と考えたこともある。でも、なんかそういうのはおかしいし、眼のことでたくさん励ましをくれた人たちに悪いし、すでに緑内障で視野欠損している母を冒涜するような行為だし…。今のところ実行してはいない。



今日、大きな交差点の前でそんなことを考えていたらなんだか悲しくなって、涙がこぼれないように上を向いて歩いた。そしたら本当にこぼれなかった。永六輔さんってすごいな。










…こんな泣き言ばかりこぼしていると、「もっと給料がいい別の仕事に移ればいい」「努力しないから貧乏なんだ」と言われる。去年の8月あたりから騒いでいるのも、「現状悪化はオマエのせいだろ。他人のせいにするな」と責任転嫁を指摘される。



ま、確かに責任転嫁はあるかもね。努力も嫌いだし。


ただ、今の仕事はほんと好きでやってるって感じで、上司や先輩に「民間資格のくせに」とボロクソに言われても辞める気にはならない。自分にとってああいう連中はバクテリア以下の下等生物に思えるため、奴らに何を言われようと黙っていられる。

自分が一介の専門職として日ごろ顔を合わせている人(平たく言うと「患者さん」)、彼らにさえ迷惑をかけていなければ問題ないと思う。別に礼を言われるためにやっているのではないが、何かの拍子に「××さんがいてくれてよかった」と言ってもらえたらやはり嬉しくなる。そんなこと職場の身内に言われたって全然嬉しくない。誰かに満足してもらってこその専門職だと信じている。


それでも物理的な給料の手取りが下がる一方なのは、専門職としての私の仕事が評価されていないからだろう。それがまっとうであるかどうかは知らない。私の評価なんてどうせ他人が勝手につけるものであり、いくらでもバイアスをかけて捻じ曲げられるものである。



「もっと評価してもらえるところに行けばいいではないか」とも言われる。世間にはたぶんもっとまともな職場があって、まっとうな評価を受けてそれなりの給料を得ている人は大勢いるだろう。

だが、それを選択しないということは、私は自分で現状悪化の未来を選んでいるのでしょう。信念なんて言ったら嘘くさいと思われるかもしれないが、他人の評価も物理的な給料も本当はいらない。



批判を覚悟で言うならば、
私という人間の強みは、他人の悲しみや苦しみに胸を痛めることができること、誰のどんな評価にも関係なく目の前の人に無条件に親身になれること、それに尽きると考えている。

それを活かせる職業が今の専門職だった。万が一にも患者さんにとって致命的なミスを犯さない限り、民間資格だなんだと文句をつけられながらもめげずに続けていかねばならん。私は自分のために仕事をしているのではない。必要とする人のために自分はここにいるのだと日ごろから言い聞かせている。





こんな人間でも、いや、こんな人間だからこそ、底が見えない現状悪化の闇に苦しめられる。どんなに足掻いてもなんやかんやと邪魔が入り、自分の生活を持たせるのが精いっぱいになる。なんかよくわからんけど、たぶんそういうものなのでしょう。多少のプライドと向上心がなければ人は出世できません。






ひとの為、誰かの為と励めども、ひとは己の為にはならず。


そんなこんなで、また4月から生活が苦しくなること確定である。現状悪化は誰のせいでもない、自分のせいです。それが原因で精神的に追い込まれることも多々あるが、自覚しているだけマシではないかと思う。なので弱音も泣き言も許してください。


私は真面目に年金も保険料も納めているが、自分が老年になったときどうなるか想像するだけで背筋が凍る。80歳でも現役でいるような身体の持たせ方をしなければ生きていけない。あるいは50歳ぐらいで寿命を終える努力?をするかだろうな。


2016年8月11日 (木)

ヤケクソな盆休み

ま、ヤケクソにもなるわいなーという今日このごろ。

出来事を羅列するだけでも疲れる。ほんと馬鹿馬鹿しいったらないわ。



以前、私のようなサスペンスドラマを好んで見る人は犯罪者になりやすいと言われたことがあるが、あれは逆だと思う。サスペンスをよく見る人ほど、犯罪がいかに割に合わない行為かよくわかっている。どんなに頭脳を絞って完全犯罪を目論んでも、大抵の場合はすぐ捕まる。

せっかく目的を達成したって捕まったら意味ないじゃん。そういう自制心(?)が働くから、サスペンスドラマをよく見る人、特に犯人の立場で物事を考えてしまう人はおそらく犯罪には走らない。


損か得かと言われたら損だと思うよ。大抵の場合、人間の脳が考えつく犯罪はあっさり論破されて逮捕されるから。





…そうでもなければ今ごろ傷害事件に発展しているぞ! 私の憤り&怒りはとっくの昔に沸点に達している。実際に手を出さないだけましだと思え!







ううむ、もし私が何かやらかしたらこのブログも捜査されるんだろうな…。





幸運にも、何かしでかす前にうまいこと盆休みに入ったので、この間に消化できたらいいなぁと思う。半ばヤケクソになって予定を組んだので、に行った翌日にに行くことになっている。大丈夫か、自分…。


先月の金魚の逝去をはじめ、これまでのところいくつかの別れがあった。悲しくて寂しくて、なぜ私はいつも残されるのだろうと悲嘆に暮れてしまう。まぁ、動物と比べると人間の方が寿命が長いのは当たり前だけど。相手に先立たれないためにはゾウガメとか飼わなきゃ駄目だろうか。


なんかなぁ…。近ごろの私は失うものばかりで、よくない疫病神でも憑いてんじゃないかって思う。すでに最下層レベルのこの現状、もうこれ以上悪くはならないだろうと高を括っていたら、まだ底があったらしい。自分なりに何か変えようと努力しても空回りばかりする。

金魚たちの死といい、職場での待遇悪化といい、イライラが最高潮に達した自分の精神状態といい、私は一体どこまで落ちていくのやら。最下層まで追い込まれたことは何度もあるが、大人になってからはこれが初めてかもしれない。山やら海やら自然の産物を見て心を癒さなきゃやってられないよ。







…で、ヤケクソになった今なら勢いで行けるかと思い、今日は入院中の祖父を見舞ってきた。自分の祖父でありながら、ようやくといったところか。もはや自分でご飯さえ食べられず、痩せさばらえて骨と皮になった祖父を見たくないという気持ちから、ずっとお見舞いを先延ばしにしていたのである。


気を強く持てと自分に喝を入れて行ったのに、やっぱり実際に目にすると涙が出てきて止まらなかった。目の前にあったのは、生きているのか死んでいるのか釈然としない、骸骨のように痩せこけた祖父の姿である。「××やで。遅くなったけど来たで」と声をかけても反応しない。祖父の元気だったころを憶えている分、見ているのが本当につらかった。


私が誰であるか、それがわかっているかどうかも不明である。せっかく来たのにごめんなぁ、と言いながら、ベッドサイドで恥も外聞もなく泣いてしまった。病室には他の患者さんも看護師さんもいるのに、あんな人前で泣いたのは初めてかもしれない。




それがヒトであれ、金魚であれ、生きるか死ぬかはごく単純である。一度死んだものは二度と戻ってこない。呼びかければ戻ってくるのではないか、祈ればすべて最初からやり直しになるのではないか、生き物の死に立ち会うたびに思ってしまう。でも、それは絶対にない。


だから、あとで後悔するぐらいなら自分にできることを精いっぱいやった方がいいと思う。今はまだ医学の力で命を繋ぎとめているが、祖父がもう長くないことは私にもわかる。その姿を見てたとえ涙が止まらなくてむせび泣いてしまっても、祖父に私のことがわからなくなっても、「あのとき行っとけばよかった」と思うのだけは絶対に嫌だ。


あの金魚たちの死に意味があるとすれば、ずっとお見舞いを先延ばしにしていた意気地なしの私にそう決意させてくれたことかな。

去り際に、「私の代わりに置いていくわ」とピカチュウのぬいぐるみを枕元に置いてきた。まぁちょっとしたジョークだが、子どものころの私といえばポケモンだから、あれを見れば祖父も何か思い出すかもしれないし。





お盆に見送る魂がこれ以上増えませんように、と毎年願っているんだがな。やっぱりどうしても増える一方だよな。命がなくなるときは本当に一瞬だから、みんな大切にしてほしいと心から願う。



私はもうヤケクソだからいいのよ。

状況は悪くなる一方、現状悪化の底が見えない。(名言確定)



ここからどこまで転げ落ちるのやら。とりあえず勇気を振り絞って祖父に会いにいけたのはよかった。あとは山、海と自然を満喫したいと思う。それからのことはまた今度考えよう。



2016年7月19日 (火)

腹立って腹立って

あまりに~も腹が立つ出来事が相次ぎ、ここに書くのもアホらしくて1ヶ月ほど放ったらかしにしてしまった。




純粋性が欠如した実習生の話は前に書いたと思うけど、あの一件で激しく非難されたのである。なぜかこの私が。(同情から一転してどういうことだ…)

あの人たちはホントに一貫性がないというか、記憶力大丈夫か?っていうぐらい今日と明日の態度が違う。こんなのでよく専門家を名乗っていられるよなぁ。



…なんてボロクソに書いているのは、本当にあまりにも腹が立ったからである。実習生の態度が悪い。それは私にも嫌ほどわかる。いくら指導しても聞いてくんない。なので上司に相談し、大学に一報を入れることにした。

相手は目上の人間だから、失礼に当たらないよう気を付けつつ言いたいことは言った。事前に上司の了解も得たし、手順になんら不手際はなかった。ここまではいい。


問題は、上司および多職種の先輩からの(私に対する)嫌味の応酬だ。実習生の態度に一番辟易し、やむをいえず本当にしぶしぶ嫌々大学に電話をかけ、指導担当の教員にクレームを入れたのは私だ。にもかかわらず、というかだからこそ、彼らは私に文句をつけるのである。いや、この場合、私ではなく私が持つ資格か。




今回一番むかついたのは、「これだから民間資格は駄目なんだよね(笑)」という一言である。

私以外の人たちは全員が国家資格保有者。だから何なんですか?と私などは言いたくなってしまうが、彼らの中では国家資格=偉い、民間資格=偉くないという方程式が成り立っているのだろう。



これだから民間資格は駄目なんだよね。…と。



それもひとりの人じゃなく、国家資格保有者が寄ってたかって「私は正論を吐いてます」的な顔で言うわけである。「ねー!」「それなー!」みたいな。そういうノリってほんとキモい。


「自分は国家資格を取るためにこんな努力をした」とか、

「それに比べて民間資格は楽に取れるからいいよね」とか、

「苦労しなくても誰でもなれる」とか、

「資格の実態がおかしい」とか、

「それについて協会に文句を言ってこい」とか、


そういうことをこの1ヶ月ほどずっと言われているわけである。自分がまだ学生だったころ、大学の先生に「そんなバイトは障害者でもできる」と言われたことがあるが、アレに匹敵するほど腹の立つ出来事だった。一体何を言っているのかね、このポンコツどもは。




私の仕事ぶりが悪くて言うならわかる。だが、このたび言われているのは私ではなく学生である。しかし、その言葉を聞かされるのは私である。


私もまだ資格取りたてのホヤホヤで、やっと2年目に突入したド新人である。だが、それを肝に銘じて真剣に仕事に向き合い、失敗したときは謝り、そのたびにもっと成長せねばと奮起し、自分なりに頑張ってきたつもりである。私は自分の資格に誇りを持っているし、職業を聞かれたとき「臨床心理士です」と答えられるのはとても嬉しい。


もちろんそれでも不充分なところはあるし、何十年のキャリアがあるベテランには敵わない。だからその分の知識を学会や研修会で補い、必死に専門家として立派になろうと努めてきた。





なので、今回そう言われて無性に腹立たしく、そして悔しくなった。そう言われて言い返せない自分にも腹が立ったけど、「くだらない理想を持つな」と頭ごなしに言われたのもショックだった。

実践の場では理想など通用しない。それはわかっている。だが…本当に理想を持つことは悪いのか? 私は心理士としてこうありたい、自分という人間を使って患者さんやクライエントさんが成長し、少しでも楽に人生の道のりを歩んでいく姿を見届けたい。そう思うのは間違っているのか?


「私たちは専門家として「人」に向き合っているんだよ!」
という言葉がただの理想で、そんなもん持つなと命じられるならば、私はもうマトモに仕事をする気にならない。

こういうことを日々言われ続け、辞職もちらっと考えたけど、それでも自分のことをわずかでも慕ってくれる患者さんやクライエントさんがいる限り、みんなを裏切って急にいなくなるのは卑怯な気がしてやめた。私はカネやプライドのために仕事をしているんじゃない。それこそ理想と言われたらそれまでだけど、私は微力ながら誰かの役に立ちたいと思ってこの職を選んだのである。





Drも、NSも、PSWも、Thも、そして患者さんも、ぜ~んぶ「人」です。人が人に向き合っているのです。民間資格だから、国家資格だから、立場が偉いから、偉くないから、そんなもんどうだっていい。我々が一番真剣に向き合い、その成長と現状の改善を最も喜ばねばならないのは、目の前にいる患者さんやクライエントさんなのである。


言ってしまえば、そのためなら立場が悪くなろうが、給料が下がろうが、嫌味を言われようが、多少我慢しなければならないこともある。それなのに、上司の関心事とくれば「収入」であり、十八番は「日給分の働きをしろ」である。全然患者さんやクライエントさんのことを考えていない。毎日の収入がどうであるか、いかに安い給料でスタッフを雇えるかしか関心がないのである。





バカタレだと思いますよ。全員。





それが2年目に突入してようやくわかった。

もしかしたら自分もその一員なのかもしれないが、それでもあの場所に私の存在があって助かる人がひとりでもいるならば、私があそこにいること、資格を持っていることの価値は充分あると思う。



前に一度、スタッフの日給がどうの、毎日の収入がどうのとこだわる上司に文句を言ったことがある。…もちろん怒られましたけども、私は唯々諾々と従うだけの他のスタッフとは違う。おそらく面と向かって「辞めろ」と言われるまで居続けるでしょう。この仕事は自分の都合ばかり優先してはいけない。そう思うからである。





ぶん殴っていいのならそうしますけどね。

しかし、実質的な危害を加えると訴えられる気がするので、今のところはトイレなどで「このバカタレが!」と叫ぶぐらいに留めておきたいと思います。




いやー、それにしても腹立つわ。






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2016年6月19日 (日)

純粋性の欠如…かなぁ

「下っ端根性」の続きといえば続きなんだけども…。



「実習生に対する態度が丁寧すぎる」と怒られて約3週間。

実習生の態度があまりに悪いため、「あんな丁寧に教えてるのに裏切るのは許せない」となぜか一転して私が同情されている。(一体どういうことだ…)



私に言わせれば、実習生の態度が悪いという以前に、この職業に向いていないように思う。身内に対する態度が悪かったって、相手の利益になるように動けていたらそれでいいのである。ちゃんと結果は出しているのに、働いている者同士で「あいつが気に入らん」なんて言い合ったって不毛なだけじゃん。

しかし、誰かに悪影響を与えかねないのは問題だと思う。何度も言うけど、身内に嫌われるぐらいなら全然いいんです。だが、あの人は一番大事にしなきゃいけないことが疎かになっている。自分で言うのもなんだが、私が「向いてない」なんて思うのはよっぽどですよ。






我々の学問の概念に「純粋性」というのがある。


内面にある自分と、外に出している自分が一致していること。包み隠さず、ありのままの自分で相手に接すること。そういうのが「純粋性」(自己一致とも)である。

自分の考え方の癖、強み、弱み、心の動きなど、相手と接しながら常にそれを理解し、あるがままに受け止める。「自分は今どういうことを考えている?」「自分はなぜそう思ったのだろう?」など、大抵の専門家は意識しなくても常にそう考えているものです。身内同士でひねくれた物言いをする人もいるけど、患者さんやクライエントさんに対しては誠実であるというのが基本中の基本。


我々は相手の心を映す鏡でなければならない。鏡が歪んでいればそこに映る人の姿も当然歪んで見える。自分が誠実でなければ相手も誠実になってくれない。だから、どういう仕事に就くのであれ、この職種はとことん純粋で誠実で真っ正直な人間であることが重要なのである。


…なんだか難しいことを言っている気がしますが、要するに自分の弱みを失くせというわけではなく、弱くてもいいからそれに気付いておけということです。で、それを悪い意味で利用するなということです。それを使って人を騙したり、思い通りに動かしたり、同情を買ったり、そういうことをする人は…はっきり言いますが、この職業に向いていません。




何が怖いって、そういう人が専門家になったときが一番怖いのよ。


そりゃ、誰だって人間なんだから弱みはたくさんあるよ。私だって考え方がひたすらネガティブで、誰かが影響を受けて真似しませんようにと願っている。だが、それを病的に引きずったり、もしくはうまく利用して人を騙すようなことは絶対してはいけない。皆さん、そんな人にカウンセリングを受けたいと思いますか?

身内でトラブルを起こすぐらいならいいよ…。それで済むなら全然マシ。ただ、それが誰かに及ぶとなると…やばいと思うけどなぁ…。




注意されたら謝罪する、失敗したら反省する、目上の人には丁寧に接する、どうしてこういうアタリマエのことができないのかね? 適度な緊張感、意欲、一生懸命さ、そういうものが丸ごと欠けてるんだよねぇ。

注意すると泣き出し、謝罪は一切せず言い訳の応酬、そして終了時間になるとケロッとした顔で帰っていく。


…はっ、もしやこれが今どきの若者の傾向なのか?



仮にも専門家のタマゴで、大学院まで行ってるんだし、せめて「どうすればいいかわかりません!」とパニックに陥るぐらいでちょうどいいと思うんだよね。私自身そうだったし。専門職は適度にパニックに陥りながら学んでいくものだと思う。それが一生懸命ってことだ。


職場の人には「向いてないと思います」と自分の意向は伝えているのだが、それを本人なり向こうの教員に伝えるのはなぁ…。一体どう言えばいいのやら。しかし、あの人が専門家になっちゃったら困るのは周囲の人だし…。




普通の職業ならまだいい。


だが、わしらはこれでも専門家の端くれなんだからな?

相手の鏡となる、人の話を聞く、援助する、そういうことをしていかなければならない職業なんだからな。なんだかよくわからないけど自分ひとりで傷付いて、その傷跡を他人に見せてほくそ笑んでいる場合ではない。…ってことを残りの期間で教えてやれたらいいけど、そもそも聞く耳を持ってくれるかどうか。


どうにも胃が痛いこのごろです。



2016年5月29日 (日)

下っ端根性

職場に実習生が来て私が担当しているのだが、なんかよくわからんけど「教え方が丁寧すぎる」と怒られた。

放置して怒られるならともかく、丁寧すぎて怒られるってどういうこと? 「そこまで丁寧にしなくていい」「立場がおかしい」「気を遣いすぎ」…うんぬんかんぬん、要するに威厳がないということか。



何年経っても下っ端根性が抜けない私は、頼まれたらどんな雑用も引き受けるし、自分より下の立場の人にも気を遣う。そうなったのは自分の上が基本放置プレイで、満足に指導してくれない人ばかりだったからだと思う。

自分がそういう憂き目にあった分だけ、後輩には丁寧に指導しなきゃと気負いすぎるのだろう。扱いが丁寧すぎて怒られるという事態に発展してしまった。「そこまでやらなくていいでしょ」って半笑いで言われるけど、なんかもっと別の言い方があるだろうと思う。


よくわからんけど、相手の自主性を育てる指導みたいなのをした方がいいのだろうか。これまで誰かに指導をしたことがないから加減がわからん。「自分が経験したことをそのままやればいい」と言われても、放ったらかしにされた経験しかないから困るんだよ。だからって丁寧にやりすぎると怒られるし…。どうすりゃいいっつうんだよ…。






ちなみに前回の記事に書いた人のことだが、「不当解雇だ」と職場を訴えることにしたらしい。私はもう知らん…。何がどうなろうがもうどうでもいい…。


知り合いの社労士に聞いたんだが、試用期間中に「こいつは使えない」と思った場合、期間満了を待って雇い止めにするか、解雇の1ヶ月前に通知するか、急な場合は1ヶ月分の給料を支払うか、そうしないと不当解雇にあたるらしい。それとも無理やりにでも自主退職に追い込むかだ。

社労士いわく、上記のような手順を踏まなかった場合、裁判になれば十中八九負ける。それで100~200万持っていかれるのは当たり前。金目当てにわざと不当解雇を誘発する輩もいるらしい。前回の記事に書いた人がそうであるとは限らないが…。なんだか話がキナ臭くなってきた。





人間の金に対する執着は恐ろしい。パナマ文書や舛添知事も然り、人の理性を狂わせるのはいつも金だ。

だが、ウルグアイのムヒカ大統領も言っているではないか。「貧乏な人」とは金がなく物を持っていない人のことではなく、いくら金や物があっても満足しない人のことだと。私はいつも自分を「貧困労働者」などと比喩するが、金にも物にもまるで執着がない。本物の幸せは金の力では手に入らないと思っている。だから銀行口座も部屋のクローゼットも気の毒なほどスカスカなのだろう。





不当解雇されたら訴えるのは労働者の権利なんだろうが、私なら「自分はこの程度の価値しかなかったんだ」と受け止めて次の職場を探すけどな。ここでもやはり下っ端根性が発揮されているのかもしれないが、先方に雇ってもらっている以上、その待遇にあれこれ不満を述べるのは贅沢な気がする。だって、生きていられるだけましではないか。


自分がいつ死ぬかわからんみたいな状況に追い込まれてみればわかる。生きていることがどんなに幸福か。今日寝て、明日目覚めることがどんなに素晴らしい出来事か。自分の人生に半年後や一年後という概念が存在することがどんなに驚くべきことか…。


そういう風に考えるとどんな悩みも贅沢に思えてくる。金がない、食糧がない、服がない、靴がない、別にそんなもんなくても気にならない。考え方が卑屈とも言うが、こうして生きていられるだけめっけもんだよなぁ。





これから自分がどうなるかさっぱりわからん。丁寧さがよくないだの、不当解雇がどうだの、短期間にいろいろありすぎて頭がついていっていない。これ以上何かあるとストレスでハゲるかもしれない。ツルツルになる夢とかたまに見るし…。


6~7月は受難の季節。眼科の通院日もあるし気が抜けない。

どうかハゲませんように。







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ひとりごと

  • GYAOで『ペット・セメタリー』を観た。ホラー小説で有名なスティーブン・キング原作である。この手の映画はなぜヤバい奴がいるとわかっている屋敷にひとりで踏み込むのだろう。バラバラにされた人体の一部でも降ってきたらどうするんだ!と思ったが、そんなことはなかった。ちなみにペットとタイトルに名がついているものの、結局一番怖いのは人間だと理解した。
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