Ⅰ.眼の病気のはなし

2017年6月21日 (水)

通院日6/21

今日は夏至で通院日。散瞳目薬の影響でドラキュラ化する(眩しくて炎天下が歩けない)私にとって酷な1日かと思いきや、雨が降ってくれたお陰で随分楽でした。

ただ、『星の王子さま』のバラについて熟考しながら道を歩いていたら、どこかの店先のワゴンに正面衝突したぐらい。傘を忘れなかっただけよしとしよう。





3ヶ月ぶりの通院日だが、近ごろ不摂生で眼に悪いことを繰り返してきた自覚があり、症状が進行していたらどうしようと怯えていた。例によってお腹を下し、いつものように検査・診察の前にトイレ。毎度毎度、帰るまでに平均5回はトイレに行く。

どの病気もそうだけど、身体にストレスをかけたり、変に力んだりしたらいけないわけさ。毎回「検査前はゆっくり休んで」と言われるが、様々な理由でそうはいかんのだ。




まぁ、結果が悪ければドクターストップがかかるだろうと思っていたが、視神経の具合も視野も問題なく、緑内障の診察は3ヶ月に1度から6ヶ月に1度になった。つまり網膜剥離と同じ頻度。


私が初めて病院にかかってから6年。その間にわずかな変動はみられるが、「悪化している」とはっきり断言できるほど進行しているわけではなく、半年に1度でいいだろうと判断されたらしい。

…いや、その判断に不満はないが、6年もかかるものなのか。半年に1度は必ず検査を受けているから、単純計算で12回は視神経や細胞や視野の検査を受けている。どのタイミングで何が始まるかもわかっており、技師さんの言葉かけがなくても「まばたき」「一点凝視」「撮影回数は○回」の指示がわかる。


要するに、6年もの間、ず~っと何も変わってないってことですね。





網膜剥離の方も問題はなかったが、おそらく主治医の都合(遅刻?)で定時になっても診察が始まらず、待合室が大変なことになっていた。

眼科患者というのは大半がお年寄りで、20代の私など極めて珍しい。それも全盲の人やら介護ヘルパー付きの人やら車いすの人やらが来るわけで、もはや暗黙の了解で私は待合室の隅に立たざるをえない。私も一応患者だし、こんな雨の日は手術跡が痛むんだぞ!?


ま、最初の方は椅子に座ってグーグー寝てましたけどね。








次の通院日は12月である。半年後だから当然だが、年末で年賀状を書いているころである。まだ本格的な夏にもならないのに想像つかねぇな…。





(以下、どうでもいい追記)




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2017年3月15日 (水)

通院日3/15

一日一善。

路上で拾った50円を募金箱に入れた。





晴天なのに雨が降る困った天気の中、今日は通院日だった。

例によって「緑内障手帳」を忘れ、向こうで思い出す。お薬手帳は(忘れるとお金がかかるから)間違いなく持っていくのだが、どうしてもアレはうっかりしてしまうなぁ。



今日は緑内障外来だけで、半年ぶりに黄斑と視神経(乳頭)の写真を撮った。…のだが、なんらかの人為的ミスで写真がきれいに映らず、「悪くなっているかわかりません」だと。

なんだそりゃ! そりゃアンタたちの眼じゃないから「わからん」で済むのかもしれないが、私にとっては問題だっつの。失明や視野欠損の危険がないか確かめるために写真を撮ってるんじゃないのか。わからんで済むか!

こんなんでもきちんと撮影代は請求される。おかしくねぇ!?



こんなことやってっから病院に強制捜査が入るんじゃないのか。撮影に失敗しても写真代を請求されるのはおかしい。「一応このまま同じ目薬を続けます」って、私はちゃんとインフォームドコンセントされていないぞ!







(以下、通院日と関係ない話なので追記扱い)




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2016年12月21日 (水)

通院日12/21

今日は暦の上では冬至らしいが、我が家にはユズもカボチャもありません。というか今日はむしろ季節外れの暖かさで、半年に一度ドラキュラになる私には酷な1日であった。


11月から6連勤→5連勤→6連勤とテンポよく(?)働かされているところ、祖父の死去とお通夜および葬式、職場の忘年会と大掃除、その他モロモロの出来事が重なり、今日の通院日をほとんど忘れかけていた。久しぶりに休めるわーと無邪気に喜んでいたら、あるときふと脳を直接抉るような痛みに襲われた。そうだ、休日に合わせて通院日を入れていたのだった…。

時間にすればそんなに働いているわけではないが、この心身の疲労は何なのだろう。なんかもういろんな意味でズタボロだよ。もう今週末の3連休を糧に生きるしかないわ…。






今日は緑内障、網膜剥離の診察。画像検査と視野検査あり。左目の手術ののち、通院加療が始まってから丸5年が経過した今、これはまた昼飯が食べられないパターンだな、とピンとくるようになった。今日は14時半に食べられたのでまだマシ。

前回もらった「緑内障手帳」をいきなり忘れ、「次回は持ってきてくださいね」とやんわり諭された。数時間待ちは当たり前なので参考書は忘れずに持っていったが、手帳のことは完全に意識から抜けていた。それに加え、いつも事前に補充する財布の中身もギリギリで、ちゃんと払えるかどうか直前までヒヤヒヤした。


ちなみに今日、向こうで血圧を測ると94/55であった。普通、病院では通常より高く出るというのに、やっぱり疲れているのだろうか。めまいも立ちくらみもないし、朝はむしろ強い方だし、一時的なものだったらいいけど。そういえば近ごろ味覚がおかしいときがあるが、これも血圧が影響しているのか…?




それ以外は画像検査も視野検査も問題なしでした。今日の空はきれいな快晴だったが、お陰でドラキュラ化した私は猛烈に苦しんだ。強制的に瞳孔を開かせる目薬をさしているせいで、直射日光を浴びると灰に…ではなく、外界が眩しすぎて目が開けられなくなる。日向を避けて日陰を歩かざるをえない、半年に1度の悲しいドラキュラ現象である。

こういうとき、横断歩道の音は本当にありがたいと思う。どうしても屋外の横断歩道を渡らねばならないとき、音付きだと「今は渡れるな」とか「もうすぐ赤になるな」とか聴覚で知ることができる。…大げさだと思っているかもしれないが、散瞳の目薬をさした人間にとって太陽光線ほど酷なものはないんだからね? 独りで外を歩くのはマジ危険。聴覚からの情報がどれほど役に立つことか。





緑内障の次回の診察は3月、網膜剥離の方は6月。通院日が巡ってくるたび、「また1つの季節が終わったなぁ」なんて寂しい気持ちになってしまう。次の診察のころにはおそらく花粉症で苦しんでいるでしょう。

それにしてもあれからもう5年か。あの4泊5日の入院は楽しかったなぁ、なんて今でも思ってしまう。冷暖房完備の場所で、(あのころはまだ学生だったので)勉強もしなくていいし、黙ってても食事は出てくるし、きっちり決まった時間に寝起きできるし、まさに天国のような空間だった。年齢が一番若かったせいかおばあさんたちにも可愛がってもらったし~。




それに比べりゃ外の世界はいかにストレスにまみれていることか。手術は二度と受けたくないが、ストレスフリーな入院生活にはつい憧れを見出してしまう。


あと1週間ちょっとで新年とか信じたくないな。私は毎日必死にもがき苦しんでいる自覚があるので、抱負とか反省とか特にない。書籍で『明日死ぬかもよ?』ってのを見たことがあるが、私はたぶんこれが発売されるずっと前から明日死ぬ覚悟で今日を生きている。要するに毎日が全力疾走。明日死んだとしてもまったく悔いはない。

なので、たぶん2016年も2017年も同じようなことをして過ごすのでしょう。今年は年賀状を出さないので余計に年越しって感じじゃないな。例年、自分が歳を取った自覚がますます強くなっていくだけさ…。








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2016年8月31日 (水)

通院日8/31

あー、もう夏も終わりだねーという今日、通院日でした。


近ごろは腱鞘炎になったり風邪を引いたり、パワハラで気持ちが落ち込んだりしていたので、いつもビクビクする通院日が全然怖くなかった。毎日のように受けるパワハラ的言動に比べれば、3ヶ月に1度の通院日など屁のカッパだ。





今日はこんなものをもらった。

Dsc_07602

わし、厳密にはまだ緑内障じゃないんですけど…。(予防のために通っている)

なんだか糖尿病手帳みたいっすね。



中はこんな感じ。

いつ視野検査を受けたかと眼圧の値が載っている。


Dsc_07612

さぞかしデカい学会の後援を受けているのかと思いきや、地元の複数の病院が共同で作った手帳である(らしい)。患者のためというより、あとあと研究データを取るために作成したのでは?という気がしないではないが、金は取らないらしいのでもらっておくことにする。




今日は網膜の写真やら黒目の写真やら撮る検査があったのだが、新人の検査技師さん(たぶん)に当たり、やたらと時間がかかった。緑内障にかかると網膜や黒目の細胞数が減るらしい。で、今日の結果はというと、なんでか前回より良くなっていた。

減少した細胞が元に戻ることはないので、検査技師さんのミスではないのか。目をもっと大きく開けろだの言われても、目が小さいのは生まれつきだし、これでも必死に開けてんだよ! これにものすごくイラッとし、それ以降ず~っと機嫌悪く過ごした。


目を合わさない、喋らない、返事しない。そんな態度で怖がらせてしまったかもしれない皆さん、今日は本当に申し訳ありませんでした。









明日は9月1日。私が子どものときは夏休みが明ける日だったけど、2学期制の学校はもう始まってんのね。


長期休暇明けに自殺者が増えるのは公然のデータ。つい最近もいじめを苦に自殺した学生さんのニュースを見た。私のときはそれほどでもなかったけど、現代のいじめって生命に関わるから余計怖いよね。

私も昔はいろんないじめを受けたものだけど、「死ぬ」選択肢はなかったなぁ。神経性の病で学校に行けなくなったことはあるけど。死ぬほどつらいいじめってどんなのだろう。未来ある子どもを死に追い込むいじめってどんなものなのだろう。



パワハラはね、まだ対処の方法はあるのよ。自分が職場を辞めるか、証拠を揃えて訴えるか、いきなり死ぬ以外にもできることは少しある。でも義務教育でのいじめは逃れられないし、訴える先もないし、もしそれで本人が自殺しても犯人を罰する法律はない。だから学校内でのいじめは企業のパワハラよりきついと思う。

だが、それを「いじめられる側が悪い」などほざく奴がいるせいで、いじめられる子の救済が遅々として進まないのだ。もしこれが本当なら、現在私がパワハラを受ける理由も、職場ではなく私に問題があるということになる。そんなわけがあるか。そんなことを本気で言う奴は日本と一緒に死ね!



相模原や和歌山の事件を起こした殺人犯に問題があるように、人をいじめる奴にも間違いなく問題がある。いじめを受けている者にとって、いじめている奴らは野放しの猟奇的殺人集団みたいなもの。そんな連中と再び無理やり顔を合わせなければならない連休明け、自殺したくなる子どもの気持ちもわかる気がする。

身体に傷を負わされなくても、心をズタズタに切り刻まれるもんな。奴らは鋭利なナイフを振りかざした猟奇的殺人集団…。そんな連中から逃れるには本当に死ぬしかないのか?




入院中のうちの祖父を見ていれば嫌でも思う。いつ死ぬかもわからん老人を必死に支援するより、未来ある子どもたちをもっと真剣に守るべきだ。介護老人への虐待が罪なら、子どものいじめも厳罰に処すべき。この国は一体何をやっているのかね。

うちの祖父みたいな、最新医療で無理やり生かされているような老人を量産することにどんな意義がある? 生きたくても生きていけない子どもがいる傍ら、死ぬに死ねない状態にされた老人がいる。じいちゃんのために割くお金があるなら、それを子どもたちの支援に充ててほしいと思う。





やっぱりいじめは駄目だよ。現在いじめを楽しんでいる奴は東京湾に沈没しろ。そこでゴジラに出くわして放射能を吐かれてしまえ!


パワハラさらされ中の私もようやく転職に向けて動き出しました。履歴書を1通送ってみたけどいまだ返事がない。証明写真もしぶしぶ嫌々撮ったけど、「動くコレ(私)が来ると思うとみんな気持ち悪くなるのでは?」と思う程度にはブサイクな出来になった。

そういえば、顔がブサイクだからみんなにいじめられるのかなーって考えた時期もありましたね。今ももしかしたらブサイクだからパワハラを受けるのかもしれない。理由はよくわからない。




私もたくさんの人にものすごく嫌な思いをさせられて、必死に耐えたけど結局逃げるように転職を決意しました。辞めることになったらまた後ろ指をさされるかもしれませんが、自分が嫌だと思う場所から逃げるのはけっして恥ずかしいことではありません。


いえ、根拠はありませんが、そう思いたいものです。






後半、話が大幅に逸れてしまったが、次の通院日は12月21日。このときまでには自分の進退が決まっていることを切に願う。



2016年6月10日 (金)

通院日6/10

本日は晴天なり。

ゆえに憂鬱なり。


今日は例によって眼科の通院日。散瞳の目薬をされるので晴天の日は困る。普通、人間の目は明るいところでは瞳孔が縮み、必要以上の光を取り入れないよう自動で調整する。しかし、この目薬をされると強制的に瞳孔が開きっぱなしになり、太陽の光が眩しくて目が開けられなくなる。まるで吸血鬼にでもなった気分だ。



鏡で確認すると、このときの自分はこういう顔をしているらしい。

Photo



ぶさいく極まりない。



なので、通院日は曇りもしくは雨、あるいは雪が降っていると嬉しくなる。サングラスをすればいいじゃないかという話だが、通院日は基本的にメガネなのでサングラスがかけられないのよねー。こういうときこそ雨が降ればいいのになぁ、といつも思う。




前回の診察では少し症状が進行した気配があり、今日の検査で悪化していれば薬を変えると言われていた。なので数日前からストレスで吐きそうだったのだが、結論から言えばそんなに悪くなっていなかった。よくなることはあり得ないので最高ランクの現状維持。素晴らしい。


ちなみに今日、待合室にあったテレビではしきりと乳がんの話をしていた。自分の病が生命に直結するものではないにしても、通院のたびに一喜一憂してたまに絶望に陥ることは普通にある。「死ぬ」か「目が見えなくなる」かどっちが怖いかと言われたらそりゃ死ぬ方が怖いけど、見えなくなる想像をしただけでも背筋がぞっとする。正直どっちも怖いです。

ただ、支えてくれる人がいるだけでも随分違うよね。私はあんまりそういう人がおらんけど(というか自分の病気を人に話さないし)、ごく身近な人の励ましや支えは本人にとって大きな力になる。病名や病状にかかわらず、病気を抱えるっていうのは本当に辛いことです。周りの人がたくさん支えになってくれたら嬉しいなぁ。




私の場合、1ヶ月以上前から職場に申し出て、ひたすら謝りたおして通院日のための休みを取っている。半年にたった1度のことなんだから、なんかもうちょっと気楽に休みを取らせてくれたらいいのに。仕事をしながらの通院ってのは(貧困労働者にとっては特に)肩身が狭い。


近ごろ職場では理解不能なことで責め立てられることが多く、まるで仕事にならないので困っている。私の失態やミスを指摘するならともかく、「それは日本政府に言ってくれ」と思うようなスケールのでかい文句を言われる。

そういうことは私ではなく国家に言ってくれ! とたまに怒りで爆発しそうになるが、必死に堪えて神妙な顔で聞いている。もっと仕事で肝心なことを相談したいと思うのに、その時間さえも愚痴と説教で済まされる。ヒエラルキーの底辺にいる私に何を言ったって国家には届かない。せめて参院選に出馬する議員さんに言ってほしい。




まぁ、先輩やそれ以外の人の愚痴の矢面に立たされるのも下っ端の象徴でしょう。あまりに腹が立ってブチ切れたくなることもあるが、自分が同じことをしないよう気を付ければそれでいい。

今日は職場でさぞかし私に対する悪口が飛び交ったことだろう。だが、あの人たちの顔色を窺うより私は自分の眼の方が大事だ。私は誰に何を言われようと通院する。たとえ後ろから罵詈雑言を浴びせかけられようとも。そんなもん目が見えなくなるよりずっとマシではないか。





次の通院日は、8月末と12月半ば。またそのたびに一喜一憂してストレスで下痢したり吐きそうになったりする。仕事の愚痴だけピーヒャラ言っていればいい人と違って、私にはいろいろ身に降りかかることがあるんですよ。


特にこの6月は乗り越えるべき壁が多い。たぶん7月になったらホッとするでしょう。雨にも風にもマケズ、ときどきネガティブになりながら、あくせく毎日を過ごしたいと思います。


2016年3月16日 (水)

通院日3/16

あー…。『相棒』も今日が最終回、明日の『スペシャリスト』が終われば今期の楽しみはおしまいだな。あの終わり方、冠城くんは結局どうなったの? なんかよくわからんのであとでtwitterでも見にいこう。


そういえばこの前、職場でサスペンスドラマばかり見ていると言うと、「そんなものを楽しんで見る人がいるからまた犯罪者が増えるんだ」などと不名誉なことを言われた。要するに、刑事ドラマに触発されて模倣する犯罪者が増えると言いたいのだろう、この人は。

その主張はわからんでもないが、私にとって心外だったのは、刑事ドラマを真剣に見る人は全員が犯罪者になるみたいな言い方をされたことだ。私は幼いころから火曜サスペンス劇場やら土曜ワイド劇場やら『京都地検』『科捜研』『ショカツ』『法医学教室』『火災調査官』など多岐にわたって見てきたが、一度たりとも犯罪者にはなっていない。あ、『100の資格を持つ女』も好きだ。

仮にもしドラマに触発されて犯罪に走る人がいるとすれば、それはドラマの責任以前にその人自身に問題があるんだと思う。サスペンス大好きな私が犯罪者になっていないことがなによりの証拠ではないか。もしサスペンスドラマの視聴時間が犯罪に比例するならば、私は今ごろ完全犯罪を成し遂げてワイングラスを片手に高笑いでもしているでしょう。






…とまぁ、それはいいとして、今日は眼の通院日でした。ここであれこれ好きなことを言っていますが、私は一応これでも眼の病気の患者です。そもそもその記録をつけるためにブログを始めたんだった、と初心に返るのがこの3ヶ月に1度の通院日ですね。


今日は緑内障(予備軍)の方だけ。11時の予約で、診察が終わったのは13時ぐらいか。今日は久しぶりに眼の細胞の写真を撮る検査?があったので、待合室でボーッと待っている時間は短かった気がする。

私の緑内障はまだ発症前で、母親からの遺伝があるため現在は未然に発症を防いでいる状態。母親は治療開始が遅かったせいか進行が早く、すでに視野の欠損がたくさんあるらしい。足元が見えないから家の中でも躓いてしまう、とよく言っているが、これがいずれ私の行き着く先かと思うと怖くなる。


そうならないために3ヶ月に1度の経過観察を続けているのだが、私はあそこ(病院)に行くと必ずと言っていいほどお腹を壊す。間違いなく身体のストレス反応である。担当医があまりにもハッキリ言う先生で、現状維持してようが悪化してようが、包み隠さず真実を患者に告げてくださる。想像してもらいたい。見た目は小柄でかわいらしく、優しそうな感じの先生の口から「悪くなってますね」とはっきり告げられる患者(in診察室)の心情を。


今日の私もそうだった。診察室に入った段階では、「今の私は現実との摩擦という病に侵され、そのためにエネルギーを費やしている。眼の病気など屁でもないわ」などと偉そうなことを思っていたのである。

…しかし、先生に告げられてからはやっぱりヘコんだ。何を隠そう、また悪くなっていたのである。右目の細胞の死滅が半年前と比べて明らかに加速し…次の視野検査で欠損が見られたら、私も母と同じ立派な緑内障患者となることがわかった。




3ヶ月に1度の通院日は喜怒哀楽の連続である。現状維持できていたら胸を撫で下ろし、悪くなっていたらがっかり意気消沈する。これまでも私はその繰り返しだった。


現在の緑内障治療は、目薬で眼圧を下げ、進行を遅らせることしかできない。なので、自分の病が良くなることはけっしてないと自覚しているし、最終的に視野欠損したとしても仕方ないとは思っている。せいぜいその日が来るのが遅ければいいなぁ、と思う程度。

iPS細胞の研究が進めば視野も取り戻せるとかいうけど、私が生きている間にできるかどうかもわからんし、そもそも私は生体移植を否定している。人間は死ぬときは死ぬし、失明するときは失明する。仮にできたとしても、私は移植という方法を使ってまで視野を取り戻したいとは思わない。どうぞその権利は他の人に譲ります。



いくら進行を遅らせたって遅かれ早かれ悪くなる日は来る。病気との縁は死ぬまで切れない。神様に治してくれって祈ったって不可能だし。魔法のランプにお願いすればできるかもしれないけど、そんなもんどこにあるかもわからないし。

実は、失明したのちの生活プランみたいなものは以前から考えている。まず家はバリアフリーにしなければ蹴躓くだろう。希望を言うなら盲導犬と一緒に住みたい。所持品はできるだけ少なくし、場所がすぐにわかるように模様替えもしない方がいい。お金は今から貯金して積み立てておくとして、身体障害者に認定されたら少しでも負担が減るかもしれない。あと点字の勉強もしなければならないし、今のうちに見たいものは全部見ておかなきゃならない。忙しいな。




気が早いと思われるかもしれないけど、自分が「見る」ことを失ったらどうなるだろうって、3ヶ月に1度は考えてしまう。こうしてパソコンを打つことも、本を読むことも、仕事に行くことも、「見る」ことができているから可能になっている。もし見えなくなったらそれが全部できなくなってしまう。大好きなサスペンスドラマも見れなくなってしまう。ブログの更新ももちろんできなくなるでしょう。

こういうとき、「見る」ことができるってそれだけで素晴らしいことなんだな、と改めて実感するのである。当たり前にしていることができなくなるかもしれないという状況に置かれたとき、人は初めてそのありがたさに気付く。私自身、21歳のとき網膜剥離と緑内障の危険が発見され、それから2度の手術と5年に渡る通院を続けて今に至るからこそわかることであろう。






…そんな眼の病気に加え、現実との摩擦も私には立派な病みたいなもんである。

こればっかりは治療法がないから余計に性質が悪い。なんとか対処するにしても、逃げるか、やめるか、消えるか、忘れるか、魔物化するか、死んで生まれ変わるか…。なんかそれぐらいしか思いつかない。保育園落ちた死ねどころじゃないよもう。こういう悲しい日陰の労働者ってのはどうしていつも苦しねばならないのでしょうか。



あー、どっか東南アジアとか行きたい。1日じゅう好きなことして暮らしたい。別に今の仕事が嫌だとかそういうことじゃないんだよ。自分の時間がなさすぎるからそれが欲しいだけ。誰か私に1ヶ月ほど休みをくれ。

現実は不条理ってか非情すぎる。それとの摩擦で自分が苦しんで悲鳴を上げている。こういうことを考えるたびにまた眼圧が上がって緑内障に近付いていく。結局のところ現実との摩擦という病が私の眼の病気を悪化させているのではないか…?


死ぬ前に一度でいいから、平和に満ちた穏やかな生活というモノを手に入れてみたいです。そのためにはまず日本を出なきゃ駄目か。なんだか最近、この国では自分は幸せになれない気がしてきた。

2015年12月11日 (金)

通院日12/11

はー、もう年末か。


3ヶ月に1度の通院日が巡ってくるたび四季を感じる。この前は9月で、秋というよりほとんど残暑。今は年末…だが、今日は記録的な異常気象(?)で、夜中から猛烈に降り続いた大雨と夏日に近い気温の高さで身体がおかしくなりそうだった。

20代の私でもそうなんだからお年寄りはもっとだろう。今日は珍しく外来がガラガラだった。いつもなら座る隙間もないほどひしめき合っているのに。眼科の患者は特にお年寄りが多く、大雨や大雪の日は基本的に外来が空いている。白杖をついているとか、付き添いが必要だとか、天候が悪いと迂闊に外に出られない人もいるだろうし。



なので、いつもだったら11時の予約でも診てもらえるのは13時過ぎなのに、今日は11時半には診察に呼ばれた。そういえば何年か前の大雪の日もそうだったなぁ…。12時前には1つ目の診察(緑内障予備軍)が終わり、昼からの診察(網膜)に備えてご飯を食べにいくことにした。

こんなこと通常だったらまずあり得ない。いつもなら2つ目の診察が終わったあと、15時ぐらいに昼ご飯を食べているのに…。悪天候を喜んではいけないが、普通の時間にご飯が食べられることに感謝。やっぱり私は雨の日が好きだ。




実は前々回、半年ぶりの視野検査の結果が悪く、次に検査したときさらに悪化していたら目薬を変えると言われていた。

こういうことを言われるととことんネガティブになるのが私の悪い癖で、勝手に「もう駄目だ、失明だ」という想定をしてひとりで落ち込んでいた。今はまだちゃんと見えているんだから、将来的に失明するにしたって今すぐは大丈夫なんじゃないの、と思うのが普通の人の考え方だろう。だが、それができないのが私。今日も朝からストレスでお腹を下し、げっそりやつれた状態で検査に挑んだ。


いつものらりくらりとやっていた視野検査だが、今回は気合を入れて(?)真面目な姿勢で頑張った。すると、これまでにないベストな視野をキープ。先生いわく「これだけ見えていたらまったく問題ありません」だそうだが、私は半信半疑だった。テストや模試の得点はともかく、「見えているか見えていないか」を判断する視野検査の結果が私の気合によって変わっていいの?

じゃあ、半年前の視野検査の結果が悪かったのは、私の気合が足りなかったから? もしそうだとすれば、私はまさにYDK(やればできる子)!


…うーん、それでいいのかなぁ。






若干の疑問は残ったが、それ以外は緑内障も網膜剥離も問題なし。


次回の通院日は3月。視野検査は6月。梅雨真っ盛りの時期か。別に通院そのものは苦じゃないんだけど、職場にいちいち頭を下げて休みをもらうのが億劫。ほんっとにあの職場は休みが取りづらい。まるで私が何か悪いことをしたかのように、いろんな人に頭を下げ、休みをもらう許しを請わねばならない。

同じような境遇の人にはわかってもらえるはず。仕事をしながらの通院って肩身狭いよね。





それにしても、相変わらず病院の受付の態度は悪いな。


奴らは私だけでなくすべての患者に対して鼻であしらうような態度で接してくる。「あー、面倒くさい」「患者の分際で話しかけてくんな」「もう勝手にやって。私知らんから」と内心で思っているのが見え見え。その気持ちはわからんでもないし、思うなとは言わない。ただ態度に表すなとは思う。


行くたびもう二度と行きたくないと思うが、そういうわけにもいかん。

通院とはいろんな苦難との戦いなのです。




2015年9月25日 (金)

通院日9/25

しっかし、どいつもこいつも低能ぶりを発揮してくれるな!


病院の受付の奴ら!(…と、@niftyの奴らのこともまだ解決したわけじゃない)

相手が年配の女性患者とはいえ、「それはもういいですから!」なんて大声を上げる必要があるか? しかも面と向かってではなく、背を向けて去り際に。あの病院の奴らはここまで質が落ちたか。私がやられていたら喧嘩になっていただろうになぁ。言い返しもせず素直に「すみません」と謝っていた患者さんについ同情してしまった。


これまでも受付の向こうでくすくす笑っていたり、患者を人とも思わない態度で接してきたり、いろんなことでイライラさせられてきた病院だが、今回のことも思い出すだけで腹が立ってきた。これは私の側に余裕がない証拠だろうか。確かにイライラしてるもんな。

だが、こんなんでも病院で測った血圧は106/66(脈拍77)。怒ると血圧や心拍数が上がるというが、あれは医学的に正しいのか? 滅多に測らないからわからないのだが、私の平常時の血圧はもっと低いってこと?





さて、今日は例によって通院日だった。

いつもより予約時間が30分早かったのに、診察の時間はいつもと一緒。11時の予約で、やっと名前が呼ばれたのは13時過ぎ。本がまるまる一冊読めた。4年近くも同じ目に遭ってきたので、もうこれに関しては腹が立つ時期を過ぎました。


ま~、しかし今日も長いこと待合室に座っていましたね。本を読み終わったあとはボーッと人間観察と考え事をしていた。だってそれ以外にすることがないんだもの。なんか今日は何日も風呂に入らないような患者さん(激臭で鼻が曲がりそうになるレベル)が来ており、その人が行くところ行くところ事務の人が消毒薬を振りまいていた。受付の機嫌が悪かったのはこのせいかな。


また、眼科と一言で言っても、私が通っているのは「緑内障」と「網膜疾患」。なので患者層は高めです。いつ行っても私が一番若い。待合室で見かける患者さんの9割近くが60~80代で、自分と同じ20代の患者なんか見たことありません。

あまりにも暇だったので考えていたのだが、目の病気というのは、遺伝によるもの、環境によるもの、外傷によるもの、糖尿病などの合併症によるもの、加齢によるもの…におおまかに分けられるのではないだろうか。私の場合、母からの遺伝で眼が弱いのに加え、ゲームやらパソコンやら電子機器を頻繁に触るせいで病気を患っている(のだと思う)。なので、「遺伝」と「環境」が半々かな。歳を取るとさらに進行が加速しそうで怖いんだけど。


4年前に入院したときも、私は明らかに病棟の最年少だった。周りはみんなお年寄りか、たまにちょっとだけ若い人(それでも見た目は40代)がいたぐらい。だからどうってわけじゃないけど、歳を取るとこれまで健康だった人も目の病気にかかりやすくなるし、いろんな人が気を付けた方がいいと思う。気付いたときには失明寸前…という事態は身体より精神に来ます。病気の進行より先に心が折れます。そんな思いはしたくないでしょ?




ちなみに、お盆明けから手術した方の目が調子悪かった件だが…。

…なんとも致命的なことに、言えませんでした。

しっかり準備して行ったのだが、診察時間があまりに短すぎて言う暇がなかった。2時間待った挙句の数分間の診察である。ドクターは風のようにやってきて風のように去っていく。唖然としている間にいなくなってしまった…。



いつもそうだが今日は特にひどかった。「この数ヶ月、何も変わりありませんでしたか?」の一言もなかった。いや、もちろん言えなかった私にも問題はあるのだが、患者に口を挟ませないドクターの診察ってどうなの?



…もういやだ。もう何もかも嫌になった!

ただでさえ仕事休んで来ているのに!(涙)



駄目だ、もはや涙も出ないわ。
私の先行きは暗闇だ。もう考えるのもいやだ。神様のバカ!



大体、今日は状態が良いとも悪いとも言われなかった。
というより言われている暇がなかった。今日は本当に慌ただしく過ぎ去ってしまった…。気付いたら家に帰っていて、生産的なことは何もしていないのに謎の脱力感が全身にのしかかっている。通院日というのは本当に本当に心が疲れる。…し、ボッキリ折れます。



次にこんな思いをするのは12月11日。その次はもう来年か。

また職場で頭を下げて休みをもらわねばならない…。




私、一体何のためにこんな苦労して病院に行ってんだ?
明日と明後日はもともと仕事が休みなので、ふてくされて過ごしてやる。




…ていうか、私の存在理由って何なんでしょうね。

私と、ついでにこのブログの存在理由って。
別にそんな存続に危機感を覚えなくても、どうせこんな奴なんてさ…。


(※ 負のスパイラルに陥り中)

(※ すみません、よくあることです)






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2015年8月29日 (土)

レンズ新調

えー、まずはご報告。



このたび、めでたくアゲハチョウの1匹目が羽化しました。
2匹目はまだサナギ。数日中には羽化するでしょう。

チョウは動物学的には「頭」(1頭、2頭…)で数えるらしいですが、理屈がよくわからないのでここでは「匹」で表したいと思います。彼らの寿命は約2週間。セミなんかもそうだが、その間に異性と出会って恋をして子孫を残さねばならないのが自然の摂理。人間の基準からすると短い一生のように思えるが、虫からすればこれが普通であり、ヒトのように80年近くも生きたいとは思わぬものなのでしょう。


だけど、私は彼らが1日でも長く生きられるよう祈りたいと思います。人間のエゴではなく真心で。成虫の姿を見たときは涙が出そうなほど嬉しかったよ。無事に羽化してくれてありがとう。


もうあまりに嬉しすぎて、今日は仕事場で誰彼かまわず報告しました。なんていうかな、自分の孫が生まれたみたいな感じ。子どもをすっ飛ばして、孫。(結婚すらしていないくせに)

となれば、わしはおばあちゃんか…。







それはともかく、タイトルのレンズというのはコンタクトレンズのことです。アゲハチョウの複眼は関係ありません。


私は日ごろ、両目にハードコンタクトレンズを入れている。現在のを使い始めて丸3年になる。それが先週末より、左目が開けていられないほど激痛が走るようになってしまい、仕事の帰りに急遽レンズ屋に立ち寄った。

もとより手術した左目は、身体の調子が悪かったり疲れていたりすると今でも痛むことがあある。気のせいかもしれないが、眼筋を引っ張られるような痛みがする。最初はその延長かと思ったが、今回は目に針でも入っているかのような表面上の痛みで、明らかに内部の痛みではなかった。(うまく説明できないが、文字で書くとこうなる)



このとき頭をよぎったのは、網膜剥離の再発、もしくは緑内障の悪化である。前者なら再手術、後者ならもはや手の打ちようはない。どちらが嫌かと聞かれると困るのだが、網膜剥離の手術は拷問に等しいほどの激痛を伴うため、できれば死んでもやりたくない。それならまだ見えなくなった方がましか…。


などといろいろ考え、ここ数日は不安な日々を過ごした。それでもコンタクトを外すと痛みが治まるため、レンズの不調じゃないかとも思った。それなら買い替えるだけでいいのだが、もし病の再発だったら…。このままレンズ屋に行くべきか。それともかかりつけの眼科に駆け込むべきか? だが、眼科は完全予約制で、行くには仕事を休まなければならない。それならまずはレンズ屋(一応は眼科も備わっている)に行くか。


…と、なんとかここまで決めたのはいいが、現在の私は週6日働きに出ているので、やっと時間を決めてレンズ屋に行ける!と思った矢先、いきなり断れない残業が入った。まだ入ったばかりの新人なので、先輩からの残業の申し出は断れません。というか、自分の運の悪さに涙が出る。

あー、駄目だ、これは本当にヤバいやつだ、最初の症状が出てからそろそろ1週間になる、このまま行けなかったら本当に失明するかもしれないぞ、どうするんだ自分。などなど思うと仕事も手につきませんでした。
「自分の身体のために仕事なんか休めばいいじゃん」なんて言う人は、仕事と闘病の両立の大変さがわかっていない。「半年に1度の定期受診のために休みます」と言っただけで職場の人(特に上司)からどんな目で見られるか。まずは受診日の遥か手前(大体1ヶ月前)に申し出て謝り、受診日の前日に謝り、受診日の翌日に謝り、半年後にまた謝る。1ヶ月前に申し出てもこんだけ謝らなきゃいけないのに、いきなり当日「原因不明の目の痛みがあるので休みます」なんて言えるかい。




なので、泣きそうになりながら仕事終わりにようやくレンズ屋に。3年ぶりのため、保険証の変更やらなんやら面倒くさい事務的な手続きを終え、無愛想なレンズ屋の対応に我慢し、カルテを読みもしない眼科医(ヤブ)の診察に耐え、なんで私はこんなことをしているのだろうかとふと考えた。

眼科医など、機械的に目を見たあと「問題ありません。レンズを作りましょう」などと言う。「あのー、私は目に痛みがあって来たんですけど、目に傷はなかったんですか?」と言うと、医師はそこでようやくカルテを読み、「えっ、痛みがあるの?」だと。てめぇ、今までなんのために診察していたんだ! カルテを見ずに患者を診察するなんざ、てめぇそれでも医者か!




まぁ、レンズを変えると痛みがなくなったので、ちょっとこれで9月まで様子を見てかかりつけの受診日にまた相談することにする。どっか別のところ紹介してくれないだろうか。おそらく今回のはレンズの不調だったと思われるが、これ以上ヤブ医者を頼るのは願い下げだ。あんな医者に任せていたらいつか本気で失明するかもしれん。


ハードコンタクトレンズは私の懐には相当に痛い買い物であるが、何事も目の健康には替えられない。まともなものを買おうとすると普通に2~3万はかかる。ハードコンタクトレンズは私の身の回りで最も高い買い物。私はこれを3年以上使うわけだが、目のためには1年ごとに替えてくださいと言われる。1年ごとにそんな大金が支払えるか! 目の病気を抱える人には安く提供するとか、補助金とか出ればいいのにと思う。



目に問題がなければ買わなくていいものだもんねぇ。私は初めて『アラジン』の映画を見たとき、自分が魔法のランプを手にしたらジーニーにまず「目を良くしてください」と頼もうと思っていた。あれから十年以上経つが、いまだに私の第一の願いは「目を良くしてください」だし、これからもたぶん変わらない。、

この目のせいで入院や手術をする羽目になったし、眼鏡もコンタクトレンズも買わなきゃいけないし、年に4度の受診や目薬の代金もあるし、仕事も休まなきゃいけないしで、年間いくらかかっていると思う? 目さえ悪くなければその分のお金をもっと別のことに使えただろうに。目が不調になるたびそんなことを考えてしまう。




なんか昔は家族が目に良い食材とか考えてくれたらしいけど、今では私自身が目を良くする努力をしなくなっている。というか、今さら良くすることなんかできないし。目を丸ごと取り替えるならともかく、今の技術では進行を遅らせることしかできないと思う。これは私が持って生まれたものだから、死ぬまで付き合っていくさと家族に言ったのはいつのことだったか。

だが、気持ちの面はともかく、闘病は本当に本当に金がかかる…。この治療費で儲けている人がどこかにいるんだろうなぁ。私は一体誰のために、けっして安くはない金を支払って現在の目を維持しているのやら…。








アゲハチョウの話からすっかりカネの話になってしまった。
いやらしい話ばかりでごめんなさい。


実のところ、左目はコンタクトレンズを入れてなくてもまだなんとなく痛い。昔の手術跡が痛んでいるならまだいいが、もし何か異常があったら…と思うと怖くて夜も眠れない。9月の受診日までまだ1ヶ月もあるぞ。誰かあの仕事場の人たちを説得して病院に行かせてくれ…。


2015年6月12日 (金)

通院日6/12

3ヶ月に1度の通院日は意外と巡ってくるのが早い。この日が来るたび、あれからまた3ヶ月が経ったんだな~としみじみ思う。自分もそのたびになんだかんだ歳を取っている。だって通院日が4回巡ってくる=1年経過なんだよ。次の通院日を迎えるのがいろんな意味で怖い。



こんな調子で相変わらずネガティブな私ですが、最近「肉体はいつか滅び去るものだから」なんて悟りを開いた反動か、久しぶりに症状悪化(進行)しました。

「次に検査して悪くなっていたら薬を変えます」だと……。



部位が眼であるとはいえ、私も一応これでも病人(?)。

「肉体はいつか滅び去るもの」=「好き勝手していい」わけではないことはわかっているが、今回の悪化はゲームとパソコンのやりすぎが原因ではなかろうかと思う。私はストレスがキャパを越えると2次元に逃避する傾向があるため、ストレス続きの現在はそりゃーもう別の次元に逃避しまくっている。私はゲームとパソコンがないと生きていけないの。現在3次元で起こっている現実をまともに見てると気が狂っちゃうよ。


そうですか。悪くなっていますか。
唐突すぎて自覚がないのか、まだよくわからない。自分では見えにくくなっている感じはしないんだけど、検査して悪くなっているということはそうなんでしょう。このまま進行すればいずれは失明とか……。やだなぁ。ゲームとかパソコンとかができなくなるじゃん。(そっち?)



ちなみに今日は同日に地元の歯医者に行き、3年ぶりの定期検診を受けてきた。職場で予防歯科の大切さをさんざん聞かされ、怖くなって行ったのがきっかけ。歯が不健康だと病気になりやすくなるし、のちのち認知症になるリスクも高くなるんだってね。

で、このたび行ってみると、3年間も放ったらかしにしていたことをまず怒られ、歯の磨き方が手ぬるいと怒られ、なぜだか知らないけどさんざん怒られて帰ってきた。この歳になって他人から高圧的に怒られると無性に腹が立ってくる。だが、3年間も放ったらかしにしながら虫歯はゼロ。そこのところをもっと褒めてほしかったな~。






まぁ、そんなことがありながらの6月12日でした。朝は10時過ぎに家を出て、病院のハシゴで帰ってきたのは20時半。医者に脅されたりすかされたり、怒られたりなんだりで精神的にとてもとても疲れました。


ただでさえ通院のために仕事を休むと職場で嫌味を言われるのにさ。しかも診療科を言ったら「は? 眼科?」なんて言われたし。内科とか外科ならまだいいのかもしれないけど、眼科に通院するために仕事を休みたいと言うとどうしてもひんしゅくを買ってしまう。眼の病気ってなかなか理解されないもんね。

眼でさえこれなのに「歯医者もです」なんて言ったらキレられるかもしれないので、歯医者の方は職場に内緒で行きました。明日出勤したらまず謝らなきゃだけど、「悪化していました」なんてコトはまず言えないので、これも適当に誤魔化すか……。あの人たちなら私の持病が悪化したという理由で辞めさせることも厭わないでしょうし。






気が重いっすね。


ただでさえ医者嫌いなのに、職場の理解はまるで得られないし。私は遊びにいっているんじゃないんですよ。3ヶ月に1度、1日かけて病院に行くのが楽しいことだと本気で思っているんでしょうか。

どうせ他人には私が失明しようが何しようが関係ないですからね。あの人たちが気にするのは自分自身に降りかかる悪影響だけですから。辞めさせたいなら勝手にすりゃいいですよ。私の持病はどうやったって消せませんし、職場に気を遣って通院しなくなって困るのは私自身です。私は職場より自分の身体の方が大事ですよ。当たり前でしょうが。








……フンだ。


久々に症状悪化という言葉を聞き、幼児のようにひねくれている。



もういいよ。どうせ進行する病気だもの。

明日、職場で謝りますよ。1日休んですみませんでしたってね。


謝ればいいんでしょ、誤れば。医者も職場も何もかも大嫌いだもんね。


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ひとりごと

  • 今年初めてふるさと納税をした。どこかの特産品が欲しいとかは特になく、クラウドファンディングの企画があったのでそれにした。自分の生活を鑑みれば米か肉でも返礼品としてもらえばよかったのだろうが、それができないあたり管理人の変なプライドがある。微々たるものだが少しでも地球のためになればいいと思う。
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