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2017年9月

2017年9月28日 (木)

心も折れます

国家公務員っていうのはいいですね。暴言を吐いても嘘をついても、税金を好き勝手に使っても不倫しても給料がもらえるんですから。

決められた仕事を決められた量やっていれば給料がもらえる。新しいことを始めなくても給料がもらえる。国民に何の得もないことをやっていても給料がもらえる。いいですねぇ。



最近思うのさ。

自分がこんなに(主に仕事のことで)悩み苦しんでいるのは、国家公務員じゃないからなんだね…と。国家公務員だったらこんなに苦しまないで済むだろう。というかそもそも苦しむ余地すらないのではないか。








「私ってここで役に立ってるんですかね?」



…と、ついに職場で口にし始めた管理人である。フラグか。




この管理人、ウダウダ言っている割には、「給料もらうからにはそれに見合う仕事をする」がモットーの意識高い系である。(自分で言うか)

が、けっして高いとはいえない給料に見合った仕事ができているのか、自信がなくなってきた。仕事をするうえで何が一番怖いって、自分が職場で何ひとつ役に立っていない自覚をしてしまうことである。



ま、そりゃ誰もはっきりと「その通り」とは言わないし、職場の人も「そんなことないよ」と言う。「その通り」と言ってくれた方が気が楽なんだけどな。気を遣わせているだけだろうし。

とはいえ、私じゃなくても代わりはいくらでもいるだろう。




どんなに必死にやったって、ダメな奴は結局ダメなのかもしれない。「あんたみたいな人、この仕事する資格ないよ」とリアルな現場の声を聞かされることもある。

そういうときは返す言葉もなく、「申し訳ありません」とひたすら頭を下げるしかない。ショックのあまり膝が震え、トイレなど人目に触れないところで声を殺して泣いたりもする。夜もずっと悶々考え、眠れなくなっちまう日もある。


もちろんこれは私が私だからであって、全員がそうではありません。もっとうまいこと仕事をしている同業者はたくさんいます。今さら気付きたくなかったけど、管理人はセンスがないのかもしれん。




「私、誰のために仕事やってんですかね?」

「誰かの役に立ってるんですかね?」

「こんなんで給料もらってていいんですかね?」


とは重すぎて職場の人に相談できないので、自問自答したりとか、たまに親に聞いてもらったりとかしている。親に言ったってまともな答えは返ってこないけど。




キャリアは浅いにしても、「この心理士に出会ってしまった不幸」を他人に分け与えないよう、必死こいてやっているつもりである。新しいことにも挑戦し、成功も失敗も自分の糧として吸収しようと努力している。(つもりである)

が、リアルなクレームで心が折れてしまったり、「役に立ってんですかね?」なんて発言が飛び出したり、そもそもクレームを受けてしまうこと自体、私ってこの職種に向いていなかったんじゃ…?と思われてならない。



いやだ…このトシで転職か…?

今日まで肺呼吸だった生き物が、明日から鰓呼吸しろと言われるようなものだ。考えるまでもなく絶対無理に決まってる。





いいよなぁ、政治家は。

こんなことゴチャゴチャ考えなくても給料が入ってくるし、定められた仕事をしていれば新しいことを始めなくていいし。オレって政治家に向いているのか?なんて自問自答、奴らはしたことがあるのか。


もうすぐまた選挙が始まるが、このまま日本にいても社会に殺されるだけのような気がする。どこの政党に票を入れたって同じだろ? 苦労したことがない連中が助けるのはせいぜい同レベルの人々であって、それ以外の人には目がいっていない。そもそも存在に気付いているかどうか。








全然関係ない話だが、先日地元で右往左往していた観光客グループを助けた。私の年齢(20代)で、初対面の観光客にこっちから「どうされましたか?」と声をかけるのはかなり勇気がいる。

だが、困っている様子だったのでつい声をかけてしまった。


もちろん悪いことではない。行き先を聞き、乗るべきバスの系統を伝え、ついでに地元特有のバスの乗り方も話した。するとこっちが恐縮するぐらい感謝され、なんか久々にいいことをしたつもりになってしまった。


ここで書いたかどうか、数ヶ月前には子どもが怪我をして右往左往するお母さんを助けたことがある。額から血を流した幼い子がそこで泣いているのに、見て見ぬふりをする通行人には憤りを感じた。

このときは慌てるお母さんをとりあえずなだめ、近くの病院に行ってもらったと思う。




真面目に仕事したって報われない。人に親切にしたって報われない。どうせクレーム言われてまた心が折れるだけだろ?

だったら誰にも手を差し伸べなくていいじゃないか。役立たずな仕事なら辞めちまえば?
・・・なんて嫌らしい声がささやきかける日もある。悪魔…ではなく自分の声だ。



それでも、見ず知らずの人、困っている人に声をかけられるっていうのは、そこらに捨てちゃいけない自分の強みではないかと思う。やっぱりどっかで「ただの通行人になってはいけない」と感じ、そこで足を止めさせる。

もちろん出しゃばりやお節介は余計だが、そういうところが私らしいところなんじゃないかとふと思う。奉仕とかボランティアには興味ない。聖人君子じゃないからそういう意識はない。




「オマエに心理士の器はない」みたいなクレームはフツーにあるし、ものすごく心が折られて退職届を出すところまで考えることもある。ただの卑下ではなく、本気で自分には才がないんじゃないかと思う。


それでもなんだかんだ今の職にしがみついているのは、そこらの道端で困っている観光客やお母さんに声をかけさせるような、そういう自分がどこかにおるからだろう。優柔不断で基本ネガティブ、人見知りで人嫌いな管理人だというのに。








別に「結果を出せ」と要求されているわけではない。ただ、必要以上に自分を追いつめてしまうのが管理人の悪い癖である。


だが、近ごろの社会のゴタゴタを見る限り、自分の行動は誰かの役に立っているのか…と考えるのは多少必要な視点だと思う。他人に損害や不幸しか与えられない人の行動は、北朝鮮のミサイル発射並み、国会で野次を飛ばすしか能がない政治家以上に罪深い。




管理人の願いとしては、せめてクレームが来ないレベルまで上がりたいものである。




2017年9月21日 (木)

鑑賞『関ヶ原』

約10ヶ月ぶりの映画館。

本当はものすごく行きたくなかったのだが、700円で観れるチケットをもらってしまったため、仕方なくしぶしぶ観にいった。


私にとって『関ヶ原』鑑賞は、落ちるとわかっている就職面接に臨むようなもの。気が重い。何をどうしたって元気は出ない。だって歴史は変えられないんだもの。




開始数分で「あぁ…」とため息が漏れたのだが、終わってみればそれほどでもなかった。


さぁ、これはどういう意味なのか。

ネタバレを見ても構いませんという方は↓へどうぞ。







続きを読む "鑑賞『関ヶ原』" »

2017年9月18日 (月)

『深夜廻』 (やってないけど)

台風が目下接近中の現在、ホラーゲームのプレイ動画に夢中である。この状況下でそんなことやっていていいのだろうか。

なんでも避難勧告が出ているらしいが、こんな時間にどこ逃げていいかわかんないし、河川や山の近くでもないのでとりあえず自宅待機。


いや、むしろ家を出たらそれは「夜廻」であり、そっちの方が怖い。なんだか得体の知れないものが街角にフツーに乱立し、それが自分めがけて襲ってくるというのだから。そんなんに殺されるぐらいなら逃げ遅れて死んだ方がましだ。






知らない人は何言ってんだかわからないでしょうが、『夜廻』というゲームが実際あるんですよ。先月、続編の『深夜廻』が出たばかり。管理人は超ビビリなので、よっぽど心惹かれない限りホラーゲームはやらない。

確実に夜眠れなくなるから。


なので、プレイ日記を書かれている方のブログや動画を見て楽しんでいる。プレイする予定はゼロを越えてマイナスなので、ネタバレも全然OK。





ま、私は霊感がなくて本物は何ひとつ見えないのだが、このゲームはそれ以前に演出が怖い。ガチでビビる。結末がわかっていてもいちいちビビる。心臓に悪い。

システムとしては、前作も今作も小学生の少女がひとりで夜の町を歩き回る。で、そこかしこで謎のオバケ(化け物)と出くわす。それぞれちゃんとした目的はあるのだが、それにしたって彼女らは豪胆である。

一度目は仕方ないにしても、そこでオバケと遭遇したら次は二度と行かないと思うんだが。私だったら諦めて家に戻り、霊媒師もしくは警察に相談するだろう。少女たちが諦めないあたり、すでに「得体の知れない何か」に意思も感情も取り込まれているのでは…。






さっき確認したら、このゲームのCEROはC(15歳以上対象)。

おお…。私が愛してやまないソルサク(こっちはD)よりは優しい。ビビる演出と即死率が半端ないだけで、同行者を生贄にしてえげつない死に方をさせたり、異形の魔物をフルボッコするあれよりましということか。


そういえば、あっちも願いの代償として何かを差し出すシステムである。魔物になってしまった元人間の中には、自分の肉体だったり人として死ぬ権利だったり、自分の親族や一般市民を捧げた奴もいる。プレイヤーも(状況によっては)臓物やら目玉やらとんでもないものを捧げたりする。

どうしても叶えたい願いがあるとき、自分にとって大事な何かを捧げろというのはどこの世界も同じなのかもしれない。


管理人自身、とある目標のために今年2月からあるモノを断っている。別に根拠はないけど、そっちの方が願いが叶いやすい気がするのよね。大事なものを断つ。あ、コトワリさま…?







ひぃぃぃぃぃ…!!


シーンと静まり返った部屋の中、プレイ動画を直視していると怖いので、裏で好きなアーティストの曲を大音響で流している。のだが、やっぱり怖い。

こんな心臓バクバク状態で眠れるのだろうか? すでにトイレに行くのがものすごく怖いのだが…。







こうなったときの管理人の最強コマンドは「眼鏡を外す」である。

これなら何も見えない。仮にそのへんに何かいたとしても、強度近視の私には見えない。手さぐりでトイレに行き、部屋に戻り、布団を被って朝まで目を開けなければよい。




こんな私に「夜廻」は不可能。もし狙われたら諦めます。私をダシに使って次の人を引っ張り込もうとかはやめてください。

管理人が住んでいる地域の近くにもそれらしい神社(ネタバレになりかねないので伏字)があり、確かにそこの絵馬などはすさまじいことが書かれている。毎日人で賑わっているので廃れる心配はないが、ダークサイドに落ちないことを祈るばかりである。



ちなみに、怖い怖いと言いながらプレイ動画を見ている理由は、単純に想像力を膨らませたいというよくわからないもの。お陰でちょっと頭が活性化した気がする。


この記事を書いている最中、いきなりパソコンがシャットダウン…ということはまだないので(以前あった)、よし…勇気を出してもうちょっとだけ見よう。

子どもたちよ、くれぐれも夜中に町を歩き回ってはいけません。むやみやたらと懐中電灯の光を当てまくってはいけません。そして10円玉は大切にしましょう…!












【追記】

この記事を投稿したあとさんざん動画を堪能し、すでに2時になろうとしていたので、今日はここまでにしようとパソコンを閉じた。

前述の通り、眼鏡を外した装備でトイレに向かえば怖くない! そう思っていたのだが、部屋を一歩出た途端、煌々と明かりを放つ光源を目撃した。


日常的に金欠でケチな私は、節電のため使わない電気を点けっぱなしにすることはない。はずなのに、トイレの電気が点いて廊下まで漏れていた。そういうわけである。

これは強度近視に関係ない。電気が点いているかどうかは眼鏡がなくてもわかる。…この私としたことが、うっかり消し忘れましたか?




脳内がパニックになり、


「で、ででで電気が点けっぱなしですけど…

ははは入ってもよろしいのでしょうか…?」



って誰に聞いてんだ。返答があったらそっちの方が怖いだろ。とにかく余計な想像をせず、さっさと用を足して布団に逃げ込むべし!

ほとんど憶えていないが、トイレ中にノックがあったり背後から襲われることもなく、部屋まで駆け戻って無事に就寝しました。節電節電とやかましい私としたことが、こんな日に限って電気を消し忘れるなんてバカですね。


そういうことにしておきましょう。


2017年9月 2日 (土)

やさしくない世界

座学中心の研修期間を終え、ものすごく足がむくんだ。職場では立って歩き回っていることが多いので、家に帰ってから自主的にラジオ体操第一とかやって凌いでいた。

周りにいるのは初対面ばかりだが、運よく初日に仲の良い人ができた。自分の職域とは微妙に違う現場の話を聴けてよかった。こんな管理人でも社交スキルはあるんですよ。







それにしてもしみじみと思うのは、我々の専門領域は儲からないね。


「やりがいはあるが生活が苦しい」「この職域で金持ちを見たことがない」と皆が口を揃えて言うほど給料が少ない。

医師や大学教授、公務員などピラミッドの上方にいる方々は別だろうが、底辺にいる大多数は全然儲かっていない。以前、保育士の給料が少ないと社会問題になったが、こっちだってもれなく低待遇の安月給である。

むしろあっちは社会問題として取り上げてもらえて羨ましいと思う。





我々の職域、神経をすり減らす仕事である割には見返りが少ない。同業者の人に「こんな仕事を選んでご愁傷様」と言われたこともある。社会に貢献してるとか、需要があるとか、なんだかんだ言われても生活が苦しかったらどうしようもないよな。



今回の研修でも、「ボランティアで尽くす覚悟でやれ」と言われた。

私はまだ20代。あれもこれもやりたい、いろんなことがしたいと思っても構わない年頃であろう。見返りを求めないボランティア精神で仕事なんかできません。

人助けをして餓死しろというんですか!(とはさすがに言えなかったが)





私は聖人ではありません。マザーなんとかさんみたいに他人を救うことに喜びなんか見出しません。尽くした分だけ見返りがほしい。そう思うのは何か間違っているのか。


いや、もちろん働いている全員がそうなら私も同調するよ。現実としてはそうではなく、ピラミッドのどこかにはしっかり見返りを得て裕福な生活をしている奴がいるわけでしょ。

自分の職場で言うと、上司とか。噂によるとあの上司、儲かりすぎて税金対策に頭を悩ませているらしい。節約節約と口癖のように言い、職員を安月給でアリのように現場で働かせ、得た収益をほとんど自分のものにして税金対策に困る?


こんな馬鹿なことがあるか!と言いたくもなろう。






仕事にやりがいを持てと言われても、こんな現状でやる気を出せというのが間違っている。

他人のために尽くせ、生活を楽にしてさしあげろ、その代わりお前が死ね…ってか。他人の生活の世話して、自分の生活が破綻したらどうしてくれるんだ?



保険料の値上げも毎年のように生活を苦しめるし、この時代、この国に生まれたことが人生最大の不幸ではないか…とも思い始めた。


自分はまっとうに生きているのに、こんな奴でも誰かの役に立てるかもと思ってこの仕事を選んだのに、手取りはどんどん減っていく。当然ながら生活が苦しくなる。

人を助ける以前に、自分の生活基盤がそもそも安定していないのである。今のご時世、ちっぽけな人間がいくら世界にやさしくしても、世界は自分にやさしくしてくれない。




これでどうやってやる気を出せというのか…。

ポジティブな励ましごときでモチベーションは上がらねぇぞ。






10代のころや20代前半は「手取りは少なくても社会の役に立てるなら」なんて偉そうなことをほざいていた気がする。


だが、この歳になってようやくわかった。

人間はそれなりの見返りがないと生活できない。偽善の皮をかぶって仕事に打ち込むことはできるが、心の底から満たされることは絶対ない。そういう生き物なのだと。


見返りもなしに人のために働けというのは不公平すぎる。私が万人のために尽くしたところで、万人は私のために何もしてくれない。なんのためにこんな安月給で、嫌な思いまでして仕事を続けなきゃならないのだろう。




この職業に就いて以来、誠心誠意を込めて必死にやってきたつもりだが、先日の研修を機に悶々と考えている。言葉はよくないが、いろんなことがバカバカしくなった。


私ってのはほんとモノグサだから、何かに向かって努力しない代わり、たいした悩みを抱えることもない。目標も願い事も「特になし」で、ある意味ものすごく平和な奴だと思う。

そんな私が「このままではヤバい」と思うのだから、今回はよほどヤバいのだろう。



…いや、生活がリアルに破綻するヤバさではない。これまでのような純粋な気持ちで仕事ができなくなるヤバさである。

同じ職域、同年代の子たちと話題になるのは、いつも決まって「保険料の値上げ」と「年金問題」と「生活の破綻危機」。あとたまに「孤独死危機」も。






こんなことやってたらいずれ生きていけなくなるぞ。


悲しいかな、仕事の帰り道にふと頭をよぎる言葉である。



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ひとりごと

  • 過剰なストレスが祟ってか、昔から指摘されていた歯ぎしりがひどくなってきた。寝ているときも起きているときも気付いたら奥歯を噛みしめている。意外と全身に負荷がかかるらしく、数日前から肩がこってサロンパスのお世話になっている。むぅ、歯ぎしり以外に発散の手立てを考えねば。いや考えるだけでまた奥歯を噛みしめているから考えるのをやめよう。
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