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2017年4月16日 (日)

なんかかんか

今日は晴れていたかと思うと雨が降り、雷が鳴って雹が降った。



現状は相変わらず。ネガティブ以上、ポジティブ以下。またしても職場の人に「要らない」と言われ、挙句の果てに「パワハラが嫌なら辞めた方がいい」とまで言われた。ショックより先に自覚があることに驚いてしまった。

ちょっと前ならものすごく落ち込んでいただろうが、今はそれほど思わない。「みんなは私の才能に嫉妬しているんだ」と思い込むようにしているから。そうでも思わないと変な病気になりそう。





ネガティブの権化のような管理人がちょっとだけマトモになったのは、去年の12月に祖父が亡くなったことがきっかけである。


別にこれまで大好きだったとかではなく、寝たきりになって病院に見舞いにいったとき、「自分に一番近いのはじいちゃんかもしれない」と思った。たったそれだけである。

食事も寝返りも自分でできない状態になり、私が誰かもわかっていないような祖父を前にして、恥も外聞もなく病室で大泣きしてしまった去年8月。盆休みの時期であった。



ちょうどあのとき、職場の人からの嫌がらせや給料の減額などが相次ぎ、かつてないほど精神的に追い込まれていた。だが、あのとき祖父を前にして、自分は食事もとれて手足も内臓も健康なんだし、こんなことやってたらあかんと思った。

じいちゃんとは一言も言葉を交わせなかったが、あのとき会ったことは自分の人生で大きな意味があったと思う。




それから4ヶ月ほどしてじいちゃんは他界した。肺炎を起こし、家に帰ることも叶わず病院で息を引き取った。


お通夜と葬式の最中、最も号泣していたのは誰あろう私である。ハンカチをびしょびしょにしてしゃくりあげるように泣いていた。思うのだが、私は両親が死んでもこんなに泣かないかもしれない。

葬式の前日(お通夜)も自ら志願し、葬儀場に泊まり込んだ。死人と壁一枚隔てた向こうの部屋で寝ることをそれほど苦とは思わなかった。人間、死んだらそれっきりである。

驚いたのは、参列者が意外と多く、変人と名高いじいちゃんが実は人望があったらしいことである。変人ながらも大勢の人(身内、それ以外含む)から悼まれているじいちゃんを見て、なんかちょっと羨ましいと思った。



それから、自分はこれではいけないと思った。

現状が変わらないだのなんだのと文句を言う前に、なら自分から変わる努力はしてんのか?という話である。私はやたら悲観的になるだけで努力していなかった。理想を抱いてもいなかった。だからたぶん駄目なのだろう。

なにごとも理想から始めていかなければ、現実を変えることなど夢のまた夢だ。職場の人の嫌がらせにも、給料の減額にも、雨にも風にも夏の暑さにも負けず、欲はなくけっして怒らず…と宮沢賢治のような悟りを開かねばならない。右に困った人がいれば助け、左にウザい人がいれば無視するのである。





「パワハラが嫌なら辞めろ」というなら「辞めさせてみろ」と思う。

「死ね」というなら「殺してみろ」と思う。


これまでもそうやってなんかかんか生きてきたのではないか。私はじいちゃんが旅立った世界に行くのはまだ早い。いつか立派になって奴らを見返してやる。





…たぶんであるが、職場の人もかつて先輩や上司に似たようなことを言われてきたのだろう。人間は「目には目を」が好きな生き物であり(アメリカが良い例)、自分が受けた苦痛や屈辱を他人にも味わわせようとする。

虐待を受けて育った子どもが親になったとき、自分の子にも虐待をするのと同じ理屈である。


だから、私がもし後輩を教える立場になったとき、彼らと同じことをしてしまわないように、とひたすらそれを願っている。自分がされたことを次の世代に持ち込んではいけない。万が一私がやってしまったら、その後輩も自分より下の人に同じことをするだろうから。





じいちゃん…。

地元を歩くたび、ああ、あそこはじいちゃんと昔入った店だとか、遊びに連れていってもらった場所だとか、忘れ物を届けてくれた学校だとか、いろんなことが思い出される。

他にも、じいちゃんは塾まで送り迎えしてくれた。地図帳をプレゼントしたら喜んでくれた。認知症になってからはそばに近寄らなくなって、顔を合わせてもつい怒ったり暴言を吐いたりしてほんと最悪の孫だった。



生前、大好きだったとは言わない。でも、今になってこれだけ思い出が溢れてきて、思い出すたび寂しくなって、涙まで出てくるということは、やっぱり好きだったのだろう。

じいちゃんが生き物として命尽き、動かないただの抜け殻になって、それから真っ白な骨になって、納骨も終わった今、改めて実感する。生命体の本質は、いかに長く生きるかではなく、何を残して死ねるかである。


それが子孫であるが思想であるかは人それぞれだが、じいちゃんはここにネガティブで卑屈でまともに理想も抱けない孤独な孫を残した。

その孫がこれからどうなるかは知らん。パワハラの重圧に負けて露のごとく消えるかもしれない。ただ…もらった時間を無駄にしてはいけないし、できるなら今よりもっと裕福で立派になりたいと思う。




残念ながら私はじいちゃんと同じ墓に入ることはないが、血族というのは不思議なもので、やっぱりどこかしら通ずるところがある。

葬式の前日、ばあちゃんから聞いた話であるが、じいちゃんはあんな顔して変人なくせに博愛主義者で、世の中の誰かのためになりたいと熱心に思っていたらしい。それも人間は動物より高等で完璧な生き物だという考え方を持っており、それだけは私には到底理解できない。


私が(職場の人いわく)なんの役にも立たない民間資格を取ったとき、すでにじいちゃんは病院生活を送っていて報告も何もできなかった。あのとき、じいちゃんにそれを報告できる機会があり、さらに理解できる認知機能が残っていれば喜んでくれただろうか。






…イヤ、聞くまでもない。


こんなズタボロの孫、自慢には思えへんよな。





じいちゃんの葬式のあと、家に持ち帰った遺影とお骨の前から離れられなかった。馬鹿みたいに何時間も何時間も、じいちゃんの遺影を前に黙っていた。

あれから4ヶ月が経ち、ようやく少し冷静になれた気がする。あのとき感じたこと、頭の中で考えたこと、自分が向こうに行くその日まで、けっして忘れてはいけない。



…誤解を恐れずに書けば、あのとき見えたのは、じいちゃんと手を繋いで歩く幼少期の自分だった。あいつを泣かせてはいけない。もっと大切にしなければいけない。

なんかそう聞こえた気がするから、大切にしよう、泣かせないようにしようって思った。自分を大切にするとかあんまり考えたことなかったからな。じいちゃんが本当にそう言ってくれたのかどうか、ただの私の妄想かもしれないが…。





…しかし、私は死後どこの墓に入るのだろうか。

立派な墓はいらないから、ぜひ実家の庭に撒いてほしいと切に願う。

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ひとりごと

  • 今年初めてふるさと納税をした。どこかの特産品が欲しいとかは特になく、クラウドファンディングの企画があったのでそれにした。自分の生活を鑑みれば米か肉でも返礼品としてもらえばよかったのだろうが、それができないあたり管理人の変なプライドがある。微々たるものだが少しでも地球のためになればいいと思う。
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