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2017年2月

2017年2月17日 (金)

読了『星の王子さま』

いやまぁ、昔から家にある本(児童書)だし、今さら感想を書く意味もないのだが。

でも大人になってから読むのは初めてかな。ストーリーを知っている人も多いと思うので、あらすじの記述やどうでもいい講釈は抜きにする。






『星の王子さま』は子どもの心を失くしてしまった大人に向けてメッセージを発する本であるが、私はどちらかというと子どもの心を持ち続けてしまった大人である。


考え方や価値観の根本は子どものころとおおよそ変わらない。幼いとか貧相とかいうレベルを越え、もはやバカなのだと自覚している。

自分が一番楽しかったのは小学生時代。あのとき学んだこと、経験したこと、喜んだり悔やんだりしたこと、今でもたまにふっと頭をよぎることがある。


それ以降のことはあんまりよく思い出せない。まるで別の誰かの人生を見ているかのようで、他人事みたいに説明することしかできない。たぶん私の時間はあのとき止まってしまったのでしょう。




なので、『星の王子さま』を読んでも教訓には全然ならず、「今さらなに当たり前のこと言うてんねん」と思う。むしろ大人になったことで変な知恵がつき、「王子さまは最後どうなったの?詳しく説明してくれ!」と作者を問いつめたい気分になる。読者が好きに想像すればいいのだろうけど。


私は物語に出てくるどの人物にも似ていないと(自分では)思うけど、望みを言えばキツネになりたいと思う。言うことがいちいち哲学的というか、単純なんだけど考えさせられるというか、そういう簡単な言葉で誰かを導ける人になりたい、と思う。

ストーリーには傲慢な王さまや、数字や自分の財産ばかり気にしている実業家など、明らかに考えが偏った大人たちが出てくる。でも、私は彼らを見下したり笑ったりすることはできない。私にだってあの人たちのようなところがある。傲慢だったり、うぬぼれ屋だったり、心が弱かったり。そうでないと思う人こそ何かが間違っているのではないだろうか。



ちなみにこの本は朗読にも向いている。私はたまに(周りに誰もいないとき)部屋でブツブツ声に出して読んでいる。普通の大人から見れば王子さまは相当へんてこな人だけど、私も同じぐらいへんてこな人だと思う。







「本当に大切なものは目に見えないんだ」


というのが『星の王子さま』最大のメッセージである。

世界に似たようなものがたくさん存在していても、自分が手塩にかけて育てたそのたったひとつのものは、自分にとってかけがえのない宝物であり、最後まで責任を持って大切に育て上げるべきものである。


なにかにつけてフッと思い出すもの、頭の端に無意識にポカンと浮かぶもの、それが「大切なもの」である。どんなにありきたりでも自分にとってそれは唯一無二のもの。


だってどうしようもなく愛しいんだもん。

…みたいなモノ、皆さんにはありますか。








私の場合、取り出してお見せすることはできないが、「だからまだまだ子どもだっていうんだよ!」みたいなモノがある。


やたら熱心に叶えたい夢だとか、小学生のころからずっと想い続けている事柄だとか、冷静に考えればおそろしくチンケなものである。詳細まで語ったら確実に笑い飛ばされるであろう。

王子さまのバラと同じように、それはときどき意地悪をして私をじわじわ苦しめる。だからポイッと捨てたくなることもあるけど、結局はそこに戻ってきてしまう。


そして、そのたびに再確認するのである。私は心底この「大切なもの」に心酔している。始まりは小学生のころ、今や私は20代後半。同じものを抱え続けるには長すぎる時間であった。バカと言われても仕方なかろう。


こんな私がプティ・プランスと出会えたらさぞ話が盛り上がるだろうに、フランス語が喋れないのが残念である。ボンジュールとメルシーぐらいしか知らない。いや、彼が日本語を喋ってくれるなら話は別か。バラと喋れるぐらいだから私とも普通に会話できるかもしれん。






フィンランドにサンタクロースがいるなら、小惑星B612に星の王子さまはいるだろう。

私自身、日本という国に○○という日本人が住んでいることを、フランスの人は誰も知らない。こうしてブログを書いている以上、ちゃんと存在しているのだが、その姿を見たことがないフランスやスペインの人は「いる」と言っても信じないかもしれない。


宇宙人やUMAも結局そういうことなのでしょう。たぶん。


2017年2月 7日 (火)

憂い蜘蛛

ある日のこと、洗濯機に洗剤を入れて回そうとしたら、ふと中の洗濯物に小さな蜘蛛がくっついているのを見つけた。


どこから入り込んだのやら、このまま洗濯機を回せば確実に溺れ死ぬだろう。


いっそ見なかったことにしてやろうか…という意地悪な考えが浮かぶ。昆虫は別に嫌いではないが、やたら足が多い蜘蛛はサイズにかかわらず苦手である。


途中まで本気で蓋を閉めかけたが、自分の中の何かが待ったをかけた。蜘蛛がいるとわかっていながら洗濯機を回すのは、未必の故意によるれっきとした犯罪行為である。


よくわからんが、こういうのを仏心というのだろうか。


それとも自分より遥かに小さい生命に同情したのだろうか。とはいえ素手で触る勇気はなく、洗濯物のハンカチに乗せてそれごと外に出した。


やった、助けられた。


と思ったのも束の間、そのハンカチにはすでに液体洗剤が浸み込んでいたらしく、それに触れた蜘蛛は目の前でもがき苦しんだ。


このとき初めて知ったが、洗濯用の液体洗剤は虫をすぐには殺さない。じわじわと時間をかけて息の根を止めるのである。蜘蛛は足を上げてしばらく苦しんだあと、ぱたりと倒れて動かなくなった。


私は助けてやるつもりだったのに。


素手で助けてやればこんなことにならなかったかもしれない。ただ蜘蛛が苦手だからという理由で、洗剤が付着したハンカチを使ったせいで死んでしまったのだ。


小さな骸を前に、ひどく悲しい思いに駆られた。自分が日ごろ使っているものが、あんなにもあっさりと虫を殺してしまえることに衝撃を受けた。人間なら肌についても洗い流せばいいが、ひとたび虫が浴びればもがき苦しみながら死んでいくのである。


そんなつもりはなかったとはいえ、命を奪ったのは私である。


小さな命に手を差し伸べるのは思うほど簡単ではない。善意のつもりでやった行ないも、実は相手の命を危険にさらす行為かもしれない。


誰だって苦手な相手を怖がったり、生身で触れるのを嫌がったりするものである。だが、そのたった1つの壁が自分と相手を隔て、知らぬ間に見殺しにしてしまう。やはり命と命の間、心と心の間に壁なんか作ってはいけない。


改めてそう感じた日であった。


助けられなくてごめんよ。



2017年2月 3日 (金)

鬼は内、福は外

タイトルは誤植ではない。


私が愛してやまない某ゲームで、節分の挨拶を「鬼は内、福は外」と言っているのである。禍事を引き受けるから鬼は内、幸せを他人に分け与えるから福は外。深いなぁ~と感じ入り、個人的に節分の挨拶はこれで通したい。私がやっている仕事も、もしかしたら「鬼は内、福は外」かもしれないし。

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近くの神社で追儺式、弓神事、豆まきをしていたのでちゃっかり参加してきた。恵方巻きすらまともに食べないくせに、某ゲームの影響で追儺とか方相氏とかいうワードにやたら反応してしまうのである。


鬼は内~、福は外~!





なんだかんだ管理人の語彙や価値観はほぼゲームから学んでいる。主人公に個性は要らない、戦闘ににコマンド入力は要らない、RPGにラブ要素は要らない、脳筋に戦略など要らない、というゲーマーと称するほどでもないゲーム好き。



そんな管理人の大切なPSVitaちゃんが、ようやく修理から帰ってきた。急に充電ができなくなり、「バッテリーの寿命か!?」と焦ってアフターサービスの修理を頼んだのである。

愛用のVitaは通称「旧型」、PCH-1000。2000は故障が怖くて変えられない。1月29日にネットで申し込み、ヤマト便の着払いで向こうに送った。…のはいいが、なぜか心にポカンと穴が開いたような心地。腕を一本どこかに置き忘れてきた感じ…って全然たとえになってないですね。

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4年前から愛用しているVitaちゃん。買ったときの箱がまだあったので、その上から包装し、ガムテで補強して発送。

知り合いに「4年前の空箱を残しているのが怖い」と言われたが、私は電化製品の箱は保証書とともにすべて残している。ゲームソフトのパッケージ版を愛するのとどこか似ているかもしれない。要するに目に見える形でコレクトしたいのだろう。



翌日には入荷メールが届き、翌々日には電話で故障箇所の連絡があった。私はてっきりバッテリーの寿命と思い込み、申し込みの詳細にもそう書いたのだが、どうやら問題は本体ではなく、断線したUSBケーブルにあったらしい。

SONYが出しているケーブルは断線しやすい(要するに脆い)ことで有名で、確かに1年ほど前から配線が露出していた。だが、ケチな私はそれをガムテでぐるぐる巻きにし、そのまま使っていた。どうやらそれが悪かったらしい。断線したら買い替えろ、ということだろう。当たり前の話だが。

「バッテリーが原因かと想像しておりますが、配線が露出したケーブルも気になるので同梱いたします」と控えめに書き、迷ったものの一緒に入れて送っといてよかった。本体バッテリーの交換は(ホームページの情報では)5000円ほどで、こればかりは致し方ないと覚悟していたのだが、USBケーブルの交換は1003円(税込)で済んだ。


配送料は向こうが持ってくれるし、送ったあともメールや電話などでしっかり対応してくれたし、製品そのものがもうちょっとマシになったら言うことないのに。いや、それとも製品が脆いゆえに、これぐらいサポートしないとやっていけないのか。





ともあれ、Vitaちゃんが無事に帰ってきてよかった。

3DSも持っているが、あっちは操作性において物足りない。○△□×ボタンとスティックおよびLRボタンでガチャガチャやれなきゃ面白くない。モンハンもDSに移行してからやらなくなったしな。ニンテンドースイッチの情報もtwitterで仕入れているが、買うかどうかは微妙…。今のところソフトがイマイチ。

複雑な人間模様が描かれ、社会問題を風刺し、敵をばっさばっさ倒しまくれるゲームが好き。主人公に個性(名前や家族設定など)があったらまずやらない。自分でキャラメイクできてこそ二次元の世界に浸れるというものである。








…さて、追儺式と豆まきのお陰で厄払いができたかな。

今年こそいいことがありますように。PSVitaが無事に手元に戻り、某ゲーム内での節分に間に合ったのは「いいこと」のひとつかもしれないが…小さすぎる。もっとデカいの! デカい福の到来を求む!





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ひとりごと

  • GYAOで『ペット・セメタリー』を観た。ホラー小説で有名なスティーブン・キング原作である。この手の映画はなぜヤバい奴がいるとわかっている屋敷にひとりで踏み込むのだろう。バラバラにされた人体の一部でも降ってきたらどうするんだ!と思ったが、そんなことはなかった。ちなみにペットとタイトルに名がついているものの、結局一番怖いのは人間だと理解した。
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