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2017年1月27日 (金)

為にはならず

去年8月、「現状悪化の底が見えない」と呟いてから約半年。


ただでさえ少ない給料がさらに減らされ、上司に「こっちはシビアな経営をやっているんだ。お前の給料に回す余裕はない」などと罵られ、他職種の先輩に「民間資格のくせに」「国家資格は格が違う」と何事によらず馬鹿にされ、2016年はいいことなんかひとつもなかった。

なので、2017年はもうちょっとマシな年になりますように、と願っていた。



…のだが、どうも願いは届かなかったらしい。

わしの現状悪化はマジで底がないようだ。







先と言えば先の話なのだが、平成29年4月から自分が加入している社会保険料が上がるのである。それも月額2000円も。

たかが2000円、などと思ってはいけない。私がこれまでの人生で最も節約していたころ、2000円というのは10日分の食費だった。つまりこの時代の生活がまだ続いていたとすると、月2000円さっぴかれる=毎月10日間絶食に等しい。さすがに今はそんなことはなくなったが、生活が苦しくなることには変わりない。




なぜ上がるかというと、理由は言わずもがな、高齢化社会によって膨れ上がる社会保障費の削減である。わしも最近頑張って勉強しているので、主に医療と年金の分野でバカほど金が必要なことはわかっている。しかし、国庫からの支出を抑えるため、我ら労働者の給料から保険料を徴収して賄おうとしているわけである。


…で、ついでにわしの食費も削減か。ただでさえカツカツの生活をしているのに、月額2000円(単純計算で年間24000円)もさっぴかれたら生命にかかわる。

私は3ヶ月に1度、眼科の通院で3000~5000円(3割負担)ほど支払う。これが家計の中で一番大きな支出であり、それでいて何があっても外せないものである。これをケチったら(最悪の場合)失明する。なので仕方なく食費や被服費を削減し、頑張って節約して通院しているのである。



いっそのこと失明して、障害年金や手帳をもらった方が楽に生活できるのではないか…と考えたこともある。でも、なんかそういうのはおかしいし、眼のことでたくさん励ましをくれた人たちに悪いし、すでに緑内障で視野欠損している母を冒涜するような行為だし…。今のところ実行してはいない。



今日、大きな交差点の前でそんなことを考えていたらなんだか悲しくなって、涙がこぼれないように上を向いて歩いた。そしたら本当にこぼれなかった。永六輔さんってすごいな。










…こんな泣き言ばかりこぼしていると、「もっと給料がいい別の仕事に移ればいい」「努力しないから貧乏なんだ」と言われる。去年の8月あたりから騒いでいるのも、「現状悪化はオマエのせいだろ。他人のせいにするな」と責任転嫁を指摘される。



ま、確かに責任転嫁はあるかもね。努力も嫌いだし。


ただ、今の仕事はほんと好きでやってるって感じで、上司や先輩に「民間資格のくせに」とボロクソに言われても辞める気にはならない。自分にとってああいう連中はバクテリア以下の下等生物に思えるため、奴らに何を言われようと黙っていられる。

自分が一介の専門職として日ごろ顔を合わせている人(平たく言うと「患者さん」)、彼らにさえ迷惑をかけていなければ問題ないと思う。別に礼を言われるためにやっているのではないが、何かの拍子に「××さんがいてくれてよかった」と言ってもらえたらやはり嬉しくなる。そんなこと職場の身内に言われたって全然嬉しくない。誰かに満足してもらってこその専門職だと信じている。


それでも物理的な給料の手取りが下がる一方なのは、専門職としての私の仕事が評価されていないからだろう。それがまっとうであるかどうかは知らない。私の評価なんてどうせ他人が勝手につけるものであり、いくらでもバイアスをかけて捻じ曲げられるものである。



「もっと評価してもらえるところに行けばいいではないか」とも言われる。世間にはたぶんもっとまともな職場があって、まっとうな評価を受けてそれなりの給料を得ている人は大勢いるだろう。

だが、それを選択しないということは、私は自分で現状悪化の未来を選んでいるのでしょう。信念なんて言ったら嘘くさいと思われるかもしれないが、他人の評価も物理的な給料も本当はいらない。



批判を覚悟で言うならば、
私という人間の強みは、他人の悲しみや苦しみに胸を痛めることができること、誰のどんな評価にも関係なく目の前の人に無条件に親身になれること、それに尽きると考えている。

それを活かせる職業が今の専門職だった。万が一にも患者さんにとって致命的なミスを犯さない限り、民間資格だなんだと文句をつけられながらもめげずに続けていかねばならん。私は自分のために仕事をしているのではない。必要とする人のために自分はここにいるのだと日ごろから言い聞かせている。





こんな人間でも、いや、こんな人間だからこそ、底が見えない現状悪化の闇に苦しめられる。どんなに足掻いてもなんやかんやと邪魔が入り、自分の生活を持たせるのが精いっぱいになる。なんかよくわからんけど、たぶんそういうものなのでしょう。多少のプライドと向上心がなければ人は出世できません。






ひとの為、誰かの為と励めども、ひとは己の為にはならず。


そんなこんなで、また4月から生活が苦しくなること確定である。現状悪化は誰のせいでもない、自分のせいです。それが原因で精神的に追い込まれることも多々あるが、自覚しているだけマシではないかと思う。なので弱音も泣き言も許してください。


私は真面目に年金も保険料も納めているが、自分が老年になったときどうなるか想像するだけで背筋が凍る。80歳でも現役でいるような身体の持たせ方をしなければ生きていけない。あるいは50歳ぐらいで寿命を終える努力?をするかだろうな。


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ひとりごと

  • 今年初めてふるさと納税をした。どこかの特産品が欲しいとかは特になく、クラウドファンディングの企画があったのでそれにした。自分の生活を鑑みれば米か肉でも返礼品としてもらえばよかったのだろうが、それができないあたり管理人の変なプライドがある。微々たるものだが少しでも地球のためになればいいと思う。
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