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2016年12月 4日 (日)

祖父に冥福を

12月4日の今日、M-1を見ている最中、祖父が亡くなったと報せがあった。

記憶に間違いがなければ享年83歳。死因はまだ聞いていないけど、肺炎か老衰だと思う。ずっと肺炎を繰り返していて危ないって聞いてたし。



生きている祖父を見たのは、今年8月に病院に見舞いにいったのが最後。経済的にも精神的にも相当追いつめられていた盆休み、「現状悪化の底が見えない」の発言はこのとき生まれた。腹の中はギトギトのドロドロで、そんな状態で寝たきりの祖父に会い、不覚にも病室で泣き出してしまったのである。


こんな自分が見舞いにいったって嬉しくないだろうと思いながら、なんとなく今年が最後のような気がして、ものすごい勇気を振り絞って行った。今思えばあのとき行っておいてよかったのだろう。そうでなければたぶん後悔していたと思う。

最期は看取れなかったが、私の代わりにと置いてきたピカチュウのぬいぐるみがずっとそばにいてくれたはずだ。あのとき、確か私は「これ以上お盆に見送る魂が増えませんように」と願った。祖父が孫より先に逝くのは当たり前かもしれないが、それでもやっぱり誰かの死は悲しいし、永遠なんてないってわかっていても受け入れづらい。

誰だってそうだと思うけどね。


近い親族の死を経験するのは実はこれが初めてで、孫として何をすればいいかさっぱりわからない。明日いきなり仕事を休めるものなのだろうか。怒られるかもしれんな。



住む場所は違うけど、祖父のことはなんやかんや話題に出していたし、たまにふっと思い出すこともあった。病室で泣き出すような情けない自分の姿も、寝たきりの祖父だからこそ素直に見せられた。まるで死にそうもない健康体の人間より、あの状態の祖父の方が自分に近い気がしてならなかった。


しかし、それにしてもまだ全然実感が湧かない。以前、「鳥や金魚などの動物の命と人間の命は価値が違う」なんて言われて喧嘩になったことがあるが、私は今も両者は同じ価値だと信じている。どっちも死んだら悲しいし、簡単に無くなってはいけないものだと思う。

金魚と同等かよって声が聞こえてきそうだが、孫がこんな人ですみませんと謝るしかない。祖父もかなり変わった人だったから覚醒遺伝じゃないの。どうせゴチャゴチャ考えたって現状は変わらないんだし、なんかもう死ぬときは死ぬんだとわかった気がする。





…じいちゃん、残念ながら私は今も情けない貧困労働者のまま、成功した姿を見せられなくてごめんなさい。いつも自分のことばっかり、自分の心配ばっかりしててごめんなさい。ひたすら謝り倒して明日もまた馬鹿みたいに泣いてしまうだろうけど、これが現在の孫の姿なんだって諦めて受け入れてください。


口を開けば将来の悲観と現代社会の皮肉、こんな私でもいつかそっちに行くから。世間の孫の皆さん、くれぐれも後悔しないよう今のうちに祖父母孝行しておいてください。


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ひとりごと

  • 趣味関係で浮かれ騒ぎながらも、じいちゃんの初盆の墓参りにはちゃんと行きました。近い身内が亡くなったのはじいちゃんが初めてで、本人の魂は今どこにあるのだろう?と真剣に考えてしまった。遺影と位牌は実家にある。遺骨と墓は霊園にある。本人の身体は焼けて煙になった。なら魂はいま何処に? お盆ってそもそもなんのためのイベントなの?冷静に考えると不思議だ。
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