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2016年10月10日 (月)

雑念の権化

3連休、またアクティブに出かけてきました。

ようやく秋らしくなってきました。管理人の服装も。
(昨日まで半袖オンリーだった)



_20161010_092634 ~♪



出不精の私がアクティブになるとき、それはほぼ間違いなくストレスが溜まっているとき。ストレスフリーのときはひたすら家にこもる。そういうタイプの人間。

そんな私がやたらと外出したがり、その行き先が自然・動物・寺社のどれかに当てはまっている場合。それは自分では持ちきれない鬱々とした感情が溜まっている証拠である。





基本的に毎日が極貧生活なので、「できるだけ交通費をかけないように」行動した結果、知らんうちに1日13000歩ほど歩いていたらしい。貧乏人が痩せるわけだね。通勤定期のお陰で市バスが乗り放題なのは嬉しい。(ただし地元に限る)



寺社仏閣が好きなわりに最近まで朱印帳を持ったことがなかった(理由はお金がかかるから)が、周囲の強い勧めもあって持つことになってしまった。昔は島根の出雲大社やら広島の厳島神社やら行っていたものだがな~。あのころ朱印帳を持っていたら…。そう悔やまれてならん。

親の金で旅ができていたあのころと違い、今はもう自分の稼ぎから旅費を工面せねばならない。皆さんご存知だと思いますが、朱印ひとつもらうのにもお金がかかるんですよ。毎日の生活費にも困っているのに、ハンコ買いに島根やら広島やら行ってられるかっつーの!

電車賃だけでメシ何食分ですか?みたいな話よ。





あんまりにもカネカネ言っているので、「そういうの(朱印)はカネじゃないんよ」と諭されてしまったが、信心だけでメシが食えたら苦労しない。そういう発言が出てくること自体、アンタは金に困ってないということだろう。

ぶっちゃけ朱印代で昼飯が食える。

そういう計算しかできない自分がみすぼらしくて嫌になる。





どっかで書いた気もするが、私の参拝方法はまず「○○から来た××と申します。雑念だらけですみません。なんか持ちきれなくて来ました」と言い訳から始まる。そのあと仕事のことやら人間関係やらなんやかんや、神仏にすがらなければもはやどうにもならない状況を告白し、あとはひたすら救いを求める。

それしかやったことない。あ、でも初めての参拝じゃないときは、「いつもお世話になってます。また来てしまいました」「この前はすみませんでした。お陰様で落ち着きました」と一応言葉を添える。くれぐれも失礼にならんようにといつも思うのだが、なにぶん雑念だらけで神様をうっとうしがらせているだけのような気もする。

まさか菓子折りを持っていくわけにもいかんからなぁ…。






ちなみに今日、ふと思い立っておみくじを引いてみた。そうすると出たのは謎の「半吉」。中吉は引いたことがあるが、半吉ってなに?(英語ではHalf Luck。ラッキーが半分…)


「はじめは何事も思うようになりませんが、中ごろより転じて末は大いによくなります」だそうだ。私はてっきり、吉に転がるか凶に転がるかわからん運勢かと思ったのだが…。いや、確かに今の私の状況は、吉になるか凶になるか全然わからん。そういう分岐点にいる。

打開策は「神仏を祈ればよろしい」そうなので、今後も寺社仏閣巡りを続けたいと思います。積極的に朱印を押していけたらいいんだけどなぁ。なんでタダで押してくれへんのかな…。維持費と人件費にそれだけかかるってことなのか。







何かを積極的に信心しているわけじゃなし、極楽浄土を目指しているわけでもない。今から頑張ったところで極楽には行けないだろうが、地獄に落ちるほどのこともやっていない。たぶん次また何かの生物に生まれ変わって徳を積むのでしょう。


今でも「菩薩と如来は何が違うんですか?」なんてことを言っている半端者だが、子どものころから寺社仏閣がとても好きだった。その場所に行くこと、立っていることがただ好きだった。朱印というモノの存在を知ったのはごく最近。「朱印帳? またお金がかかるじゃないですか」なんて言っているような奴である。

だからなのかねぇ、神や仏という存在にものすごく親近感がある。昔から自分を知ってくれている恩師みたいな感じ。失礼だと思うが、そういう気持ちで「会いにいく」のである。参拝という名目で、ものすごい軽装で恐ろしく気軽に。



だから必要ないのよ。朱印なんてカネのかかるものは…。


「信心するなら金をくれ」なんて言う奴は本物ではない、と思う。









…こんなことを言うとドン引きされるかもしれないが。


ま、いつものことだからいいか。



ごくたまーに、「あれ、これって天啓的な何かですか?」みたいなことがあったりする。最近は仕事関連の愚痴をひたすらこぼしていたのだが、つい先週のこと、夢の中で奇妙なことがあった。

それはなんだか懐かしいような雰囲気の人で、私はその人に「…で、前から悩んでた仕事の方はどう?」と尋ねるのである。すると、その人は「うーん、なんだかんだまだその仕事してる」と言い、「ま、でも生きていたら嫌なことはたくさんあるものだしさ」とすごく朗らかに笑っていた。


私はそれを昔の同級生か誰かだと思っていたのだが、目が覚めてからよく考えると、私の周りに仕事の悩みを抱えている人はいない。いや、もしかしたらいるかもしれないが、相談を受けたことはない。前から仕事の悩みを抱えている人といえば、ほかでもない私自身しかおらんわけである。

ああ…、こりゃアレだなと思うあたり何かに毒されているのかもしれないが、たまーにこういうことがあるんだよね。今は苦しくても将来的には笑って懐かしむことができると言いたいのか。だから今はまだこの仕事を続けなさいということなのか。そう思うと今日引いたおみくじも理にかなっているような気がする。



それもこれも考えるだけならタダなのです。自由に想像して自分の好きに捉えたらいいのです。あんなものただの想像じゃんなんて身も蓋もないことを言ったらそこで終わりじゃないですか!





天啓(と勝手に思っているもの)が本当にあるなら、わらしべ長者のように私が大成するまでの道筋を具体的に示していただきたい。

「今の仕事を続けなさい」っていうのが天啓か? 本気で? …えぇ~、個人的にはものすごく嫌だけどなぁ。(転職を考えているぐらいなのに)



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ひとりごと

  • GYAOで『ペット・セメタリー』を観た。ホラー小説で有名なスティーブン・キング原作である。この手の映画はなぜヤバい奴がいるとわかっている屋敷にひとりで踏み込むのだろう。バラバラにされた人体の一部でも降ってきたらどうするんだ!と思ったが、そんなことはなかった。ちなみにペットとタイトルに名がついているものの、結局一番怖いのは人間だと理解した。
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