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2015年10月11日 (日)

○○の秋

皆さんはこの○○の中に何を入れますか?

私は「二度寝の秋」かなー。夏の疲れのせいか、最近眠くて仕方ない。温かい布団の中でぬくぬくと楽しむ二度寝ほど幸せなことはないと思う。




万人にとってはスポーツとか芸術とか食欲とかいろいろあるのでしょう。しかし、わざわざ「○○の秋」と名付けなくても、私は春夏秋冬あんまり変化しない。一年を通してスポーツは嫌いだし、芸術はシュミでやっているし、食欲は相変わらず皆無。秋だから気合を入れようみたいな世間の風潮にはいつも乗り切れない。

先日、近くの河川敷に散歩に行ってきたのだが、秋といえば物悲しくなるよね。木から枯葉が落ち、一部の動物は今のうちに腹いっぱいに食べ物をため込んで、寒い冬を乗り切ろうとする。だからって人間まで食欲旺盛にならなくてもいいと思うけどな。人間は冬眠したくてもできないじゃん。



風景が物悲しいのに加え、私はこの時期は個人的に好きではない。なぜなら運動会の季節だからだ。学生時代、私は体育の成績がいつも5段階評価の「2」。授業には皆勤だったから「2」でいられた。これで授業をサボっていたら堂々の「1」だったでしょう。あ、でも唯一まともにできる競技、水泳がある夏だけは「3」だったかな。4とか5はこれまでの人生で取ったことがない。別に取りたくもなかったけど。

授業に皆勤で「2」ということは、明らかに私は運動音痴だから成績が悪かった。教師にもクラスメイトにもそうみなされていた。こういう奴にとって運動会は地獄の競技。スタンドプレイが成り立つ競技ならともかく、学年対抗やクラス対抗となると私は完全にチームの足を引っ張り、味方の人たちに何度怒られたことか。毎年毎年、運動会の数日前から雨乞いの儀式をしていたのは青春の痛々しい思い出のひとつ。一度も成功したことはなかったけどな!


社会人になった今でも、雨が降ると嬉しいのはこの時期のトラウマが原因だと思う。運動会のみならず体育の授業でも、雨が降れば校庭が使えず、自習になるか体育館での競技になった。別の学年が体育館を使っていたら確実に教室で自習。そうなった日にゃ、私はひとりでこっそり狂喜乱舞していた。(おおっぴらに喜ぶとクラスメイトから反感を買うから)

その当時の経験のお陰で、今でも私は雨が降るとテンションが上がるのでしょう。体育なんてこの世からなくなってしまえ。体育教師は全員離任しろ。運動会なんてハリケーンで飛ばされてしまえ。スポーツの秋なんて言葉自体、この国から絶え果てろ! 当時の恨みつらみは今でも克明に思い出せる。なにより本気で恨んでいたのは体育教師で、どんだけ真剣に授業で頑張っても「2」以外つけてくれない。意欲はあるのに能力がないからダメなのだと、私はあの年齢ですでに世間の理不尽さを噛みしめた。




スポーツに対する恨みつらみ、教師という生き物に対する怒りと憎しみ、真剣に頑張っても評価されない無気力感、この時期に培われたもののような気がする。今でもこの時期になるとブルーになる。スポーツが好きで好きでたまらん人間はともかく、今年もまたどこかで昔の自分のように苦しんでいる人がいるかもしれないと思うと涙が出る。

経験者として切に望むのだが、「スポーツはみんなが楽しむもの」という先入観を捨て、苦手な人には無理せず休ませてあげてほしい。それを「協調性がない」だの「甘えている」だの言う奴は、意欲があっても能力が追いつかない者の気持ちがわからんのだ。苦手なことから逃げずに必死に頑張っているのに、それが評価されないどころか非難される者の苦しみがわかるか? 教師には百ぺん死んでもわからないことだろうな!







…という話を職場の人にしていたのだが、その人は私と真逆でスポーツ万能。この人にはどうせわからんだろうと思いながら話していたら、その人はスポーツこそ生きがいだという人で、スポーツがあるから今までやってこれたのだと話した。何があったのか詳しくは知らないが、その人にとって学生生活は体育があるから破綻せずやってこられたらしい。


恥ずかしながら、私にはこの人の気持ちがまったく理解できんかった。だが、よく考えてみたら、私のようにスポーツで苦しめられた人がいれば、スポーツがあるから救われた人もいるはずである。この2つは極端な例であるが、「どっちかしかない」と思い込むことが問題なのであって、いろんな人がいて当然なのだと相互理解できていれば、私の生き方はもっと楽になっていただろう。

実は現在も、職務の一環としてスポーツをする機会がある。私は本当に泣く泣く参加しているのだが、職場の人とそんな会話をしたあと、自分がそんなに辛いなら「しない」選択肢もあるのではないかとふと考えた。この世界では「しない」選択肢をするのが本当に難しい。特にクラスや学年という縛りがある学生生活では、集団に同調しないと協調性がないだの四の五の言われる。そんな右ならえの思想が本当に正しいのか? できないものはできない、私にだって意見を言う権利はある!と強く主張することができたらなァ…。




だが、それもこれも大人になった今だから言えることだろう。まだ10代になったばかりの若造にそこまで悟らせるのは無理。だからこの時期は教師という大人の存在が大きいんだよ。お前らさえしっかりしていれば、体育の授業、運動会、体育祭、マラソン、いろんな秋の行事を気楽に乗り切れただろうに。そしてこんな大人になってからも尾を引くことはなかっただろうに。奴らが100%悪いわけではないと思うが、私の教師嫌いの根底を作ったのは間違いなくあんたたちだよ。私にとって、教師と名のつく人間ほど信用できないものはない。次は政治家、その次は医者。







私にとっての秋の過ごし方はこんな感じ(ひたすらスポーツを憎む)ですが、皆さんはいかがお過ごしですか? そろそろ紅葉も始まるころですし、目の保養がてら近場まで散歩にいくのもいいかもしれませんな。ひんやりとした空気に金木犀の匂いが混ざって、私の大好きな冬がすぐ近くまで来ている気がしてわくわくします。




冬が好きな理由?

楽しい行事が多いのと、雪が多くて体育の授業が中止になりやすいからです。
(まだそれを言うか)



冬が来たらユリカモメを観察しに河川敷まで行くのが楽しみ。今年はいつ飛来するのかな~。


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ひとりごと

  • 趣味関係で浮かれ騒ぎながらも、じいちゃんの初盆の墓参りにはちゃんと行きました。近い身内が亡くなったのはじいちゃんが初めてで、本人の魂は今どこにあるのだろう?と真剣に考えてしまった。遺影と位牌は実家にある。遺骨と墓は霊園にある。本人の身体は焼けて煙になった。なら魂はいま何処に? お盆ってそもそもなんのためのイベントなの?冷静に考えると不思議だ。
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