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2015年3月15日 (日)

この1年…

少し早い気がするが、去年の4月から今年3月までの1年を振り返った。




この1年、なんていうか自分の人生で一番行き詰まりを感じた時期だった。

メインは年に1度の資格試験に合格することで、どこに行くにも問題集を持ち歩いていた。頭が良い人にはわからないだろうが、学校の試験勉強すら真面目にやったことがない人間が資格を取ろうとするのだから、これには相当な意思が必要だった。鞄の中に常に問題集を入れておくなんて今までの私の常識からは考えられない。これまではそのスペースに3DSが入っていました。これは意地でも合格してやるつもりだったから、合格通知をもらったときは本当に嬉しかったな。死ぬ物狂いで手に入れるつもりだったもん。だって意地だから。

もちろんそれだけでは生きていけないので、2つのバイトを掛け持ちし、安い賃金で必死になって働いた。それでも手に入る月収は10万ちょっと。この1年はただ本当に「生きるため」に働いていた気がする。
当然ながら、贅沢品を買う余裕はなかった。底に穴が開いた靴を買い替える金がなかったから、雨の日に浸水しても履き続けるしかなかった。これがこの1年で最高の名誉かなぁ。靴が浸水しても死にはしない。それよりもわずかな金を手元に残すことを考え、本当に新品を買わなかった。あれはよく耐えたものだと思う。底に穴が開いた靴は雨が浸水するばかりか、下のコンクリート地面が足の裏に食い込むから痛いんですよ。


こういう生活のお陰で、丸一日休みが取れたのは日曜日だけだった。毎週日曜日は必ず昼すぎまで寝ていた。なぜなら昼まで寝たら1食抜くことができるから。朝と昼を一緒にしたら3食がっつり食べなくていいでしょ。資格勉強とバイト掛け持ちの他にやりたいこと(趣味ともいう)は別にあったし、それを義務のようにこなしていたせいで、この1年間で自分に休息の時間はほとんどなかったように思う。




何足の草鞋かわからんものを履き続け、いつまで自分はこんなことを続けるつもりなんだ……という不安は常に持っていた。ただでさえ睡眠時間が短いのに、不安に押しつぶされそうになって夜が眠れなくなったことが何度かある。資格取得や就活がうまくいかず、バイト掛け持ち生活でこれから何十年も生きていくことになるのでは……と思うと、もう本気で生きていく気力がなくなった。

私はこんな目に遭うためにここまで生きてきたのか? 今の私が抱えている悩みは、順風満帆な人生を歩んでいる人にはけっしてわかるはずのない悩みだ。毎日、毎週、毎月、「何も変わらない日常」を続けてなんかいたくない。ボロボロの心身で自分の人生に何か変化があることを望んでいたが、結局その願いは叶わず今年3月まで来てしまった。やはり今さら順風満帆な人生を手に入れるなんて無理なのでは……。





こんな生活の中でも最も気を付けていたのは、どれだけ劣悪な環境でも病気にならないこと。持病の通院には仕方なく行っていたが、それ以外のことで病院にかかるのは禁止だと自分に言い聞かせていた。そんなもんに金を支払っている余裕はない。食費より光熱費より高額にかかるのが医療費。もちろんドラッグストアで市販薬を買うこともない。
風邪は寝れば治るし、胃腸炎は食べ物に気を付ければ治る。バイトの健康診断で「鉄欠乏性貧血」を指摘されたときも、鉄剤を処方してもらう金銭的余裕がないのと、コーヒーが飲めなくなるのはキツイという理由で放ったらかしにしている。まぁ、死にはしないでしょう。


そういう態度でいたせいか、この1年、ストレスで腸炎を発症した以外は病気にならなかった。これは家にあった期限切れのビオフェルミンと根性で治した。今はそれでも治ってくれるが、問題は歳を取ったときどうするか。将来的にデカい病気にかかったとき、私は手の施しようがない状態になってから病院を訪れるのだろう。もしくは自宅で白骨化して死んでいるか、そのどちらかだと思う。
数年前、網膜剥離になったときも、私は半年以上も放ったらかしにしていて、病気が発覚したときには今すぐ入院しなければ危ない段階まで進行していた。あのときの自分の手術費用と入院代は親に払ってもらったが、その高額ぶりには驚愕した。「医療」は医療費が払える人間にだけ施されるものなんだ……としみじみ思った。生活保護でももらっていたら別だろうが、まっとうに働く月収10万ちょっとの人間にとっては高額医療は手の届かない高級品の域だった。

そう思うから私は必然的に削ってしまうんだよね。この1年、何かの病気にかかって病院にかかるのは、靴を買い替える以上に贅沢なことだった。その機会が来なかったことに心から感謝している。本当に病気にならなくてよかった。





贅沢といえば、私は結局今年もスマホに替えなかった。いつになったら替えるの?と周りから催促され、来年になったら替えると言いながらもう何年になるだろう。周りは続々とスマホに替えてLINEで連絡を取り合っているのに、私がまったく参加しないから気にしているらしい。

君たちにはわからないだろうけど、スマホなんて医療費と同じくらい無用な贅沢品だよ……。毎月数千円なんて支払う余裕があると思うのか……。現在、私のガラケーの使用料は月額1500円未満。5年前、本体料金0円で買った年代物。スマホに替えて自分が飢えてしまったら元も子もないと思うのだが、あの連中に何を言っても少しも理解してもらえない。だったら私のスマホの料金をお前が払えよ。私ならその数千円で少しでもいいものを食べようと思うけどな。




そういえば昨日、4月になったらスマホに替えると嘘八百を言ったばかりだった。4月になれば状況は少しでも変わるのだろうか。この1年、私には金がなく、時間がなく、余裕がなく、もう最悪の1年だった。いや実はまだ進行形なんだけど。金もないし、時間もないし、余裕もないし、もはや趣味なのか義務なのかわからない「やりたいこと」の実現にも至っていない。死ぬ前にこの実現だけは果たしたいと思っているのだが……。


自分がまだ若い学生のころ、普通で当たり前の人生は歩みたくないと思ったことを懐かしく思い出す。今のこの生活は甘っちょろい私を叩きのめすため、神様から課せられた試練なのかもしれない。あのころは波乱万丈の人生に憧れた(?)ものだが、あれは一種の中二病みたいなもので本気ではなかったんです。なんて言ったところで神様は聞いていないでしょう。自分本位で無責任なのが神様の特徴ですから。



この生活があとどれぐらい続くのかわからないが、次の1年はこの1年よりマシだと思いたい。現在がもう相当に苦しいし、さすがにこれ以上落ちることはないと思う。月収10万からさらに下がるとか、 それともクビになって無一文になるとか……? 親に助けを求めるのは絶対に嫌だから、なんとかいけるところまで自分ひとりで生きなければならない。


……うーん、生きなければならない、か。生きなければならないのかな。また同じ1年を繰り返すのか……。。やだなぁ……。(ため息)













ちょっと追記。



今私は同じ1年と言ったが、次の1年が今と同じ1年になるはずはない。現状からさらに下の段階に落ちること(ニートになるとか?)は現実的にあり得るけど、自分のメンタル的には今年よりひどい年が来るとは思えない。本当に今年は自分で「生き地獄」と名付けるほど辛い年だったんだもの。

この1年、とにかくお金と時間に余裕がなく、意地と根性で耐え忍んだ。だが、どれだけ苦しんだところで輝かしい未来が保証されているわけではない。私はよく「苦しみ損」と言っているが、これまで重ねてきた苦しみがなんの役にも立たないことはザラにある。「苦しんだ分だけ報われる」なんて成功者の妄言に過ぎない。それが嫌ほどわかったから、今を生きるのをやめて来世に行った方がマシなんじゃないかと思ったことも何度かあった。「○○○○(本名)は25年も生きるべきじゃなかった」って、口に出して言うこともあった。



今はただ、あのとき踏みとどまったことが裏目に出なければいいと思うんだな。


自分がこれから何年生きるにしても、「生き地獄」なこの1年を生き延びたことは間違いなく自分の力になる。だが、私が尊敬する唯一の人物、小学生時代の恩師(60代女性)はかつて「人として強くありすぎるのも考え物」と自分に言い聞かせるように言っていた。ここでは詳しく書かないが、恩師はドキュメンタリードラマが1本撮れるほど様々なことを経験している。それもこれも恩師が「人(女性)として強くありすぎた」ことが原因だった、とご本人が言っていた。そう割り切って考えられるところこそ、恩師が強い人である証拠だと思う。

3月初旬に会いにいったとき、私もそういう人間のひとりでしょうという話をした。恩師に並ぶべくもないが、私だって順風満帆な人生を歩んでいる人はけっして経験しないであろうことをいろいろ経験している。恩師は私に「絶対、強い人になれるよ」と言ったあと、「強くありすぎるのも考え物だけどね……」と少し悲しげに付け加えた。
こんなことで強くなったって自分は何も嬉しくない。誰だって順風満帆な人生が良いに決まっている。猛風に吹きさらされる人生がいいなんて、昔の私は何を馬鹿なことを言っていたのかと今になって反省する。



あの恩師は私がニートになっても犯罪者になっても普通に接してくれると思う。あの人はただ強いだけでなく、考え方が柔軟で誰のことも悪く言わない。ホントに頭に来るほど心が広く、何事も「そんなの想定範囲よ」って受け入れてしまう。私は嫌な奴だから、誰に対しても欠点や苦手なものを探す。だけど、それがないんだな。あの人は。いや、欠点はあるんだけど、本人がそれを知っているから指摘できない。人格者ってああいう人のことを言うのだろうか。

だからかな、私は尻込みしてなかなか会いにいけない。去年から何度か誘いを受けていたのだが、あれこれ理由をつけて今月まで引き延ばした。できればあの先生には胸を張って会いにいきたいと思う。だけど、今の私は何も誇れないばかりか、社会の掃き溜めで汚水にまみれてうずくまっているような人間である。こんな奴が恩師の前にのこのこ現れるなんて不作法すぎるだろ。家に上がらせてもらうなんて絶対ダメ。床が汚れる。先生は絶対にそういうことを言わないから、自分であれこれ考えてしまう。



……で、4月にもう一度、会う約束をした。会いたくないのは自分に後ろ暗いところがある証拠だろう。その後ろ暗いところを克服すれば会いにいけそうな気がするが、そうすれば私はまた弱いところを見せられない人になる。恩師を見ていればわかるが、強い人は自分にも他人にも弱いところを見せられない。このキツイ1年を克服すれば、私はまたそういう人に一歩近付いてしまうのだろうな。


誰かを頼り、支えてもらうことができるのは弱い人の特権だよね。強い人はひとりで何もかも片付けてしまうから助けは必要ない。……と、周囲からそう思われる。私は恩師が言っていた「人として強くありすぎるのも考え物」という言葉を忘れないでおこうと思う。様々な経験を経て強くなった人は、誰かに頼るのが下手でときどき孤独を感じる。弱い人の方がもっとうまく他人に甘えられるよね。私も羨ましく感じることがある。

間違っているかもしれないが、「弱い人」というのは「自分を幸せにできる人」、「強い人」というのは「他人を幸せにできる人」ではないだろうかと思う。究極に弱い人は、他人をないがしろにして自分を幸せにすることしかできない。究極に強い人は、自分を放ったらかしにしてでも他人を幸せにしようとする。だから本当はその中間にいる人が一番いいのではないだろうか。
私が見た限り、世間には弱い人の方が多い気がする。他人のことなんて放ったらかしで自分を幸せにすることしか考えていない。自分と同じぐらい、もしくは自分以上に他人を幸せにできる人なんて滅多にいない。……いや、他人を幸せにしようとしすぎて自分を不幸にしたら意味ないんだけど。他人を本気で幸せにしようとした人は、(私の思い過ごしかもしれないが)自分自身が幸せになることを忘れている気がする。自分だけ幸せになっちゃいけないと思うのかな。他人を幸せにできる人は、自分も同じぐらい幸せになる権利があると私は思っている。



ちなみに現在の恩師は、教師を退職して家にひとりで住んでいる。子どもさんは全員独立して3人の孫がいるが、大半はあの家でひとりきりである。私なんぞを家に誘ってくださるのも、本心ではひとりきりでいるのが寂しいからでしょう。これがまたけっこうデカい家なんですよ。教師って儲かるんですかね……。

自宅から歩いて行ける距離だし、ときどき会いにいけたらなぁと思っている。泊まりもOKだと言われたので、先生さえよければずっと入り浸ってしまいそう。ただ、恩師は今でも私に本心で接してくれるので、うちの親より間違いなく厳しい。喧嘩になれば負けるに決まってる。甘えさせてはくれないだろう。




そういえば自分でも少し不思議なのだが、私は「恩師のような教師になりたい」などと思ったことは一度もない。普通、誰かに感銘を受けたら同じ職業に憧れたりするんじゃないの? それなのに私はまったく恩師を意識せず、まるで違う道を自己流で突っ走っている。自分はあの人のような教師にはなれないと頭でわかっているからだろうか。

そもそも自分は教師という職業が嫌いである。同級生に教師になった人間が何人かいるが、誰のことも応援していない。かつて「手のかかる生徒」として恩師にかなりの面倒を見てもらった身でありながら、教師という職業そのものに憧れは抱いていない。むしろ嫌っている。

仕事として従事していても、自分の心のことはいまだによくわからない。私が今一番わかりたいのは自分の本心かもしれない。



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ひとりごと

  • GYAOで『ペット・セメタリー』を観た。ホラー小説で有名なスティーブン・キング原作である。この手の映画はなぜヤバい奴がいるとわかっている屋敷にひとりで踏み込むのだろう。バラバラにされた人体の一部でも降ってきたらどうするんだ!と思ったが、そんなことはなかった。ちなみにペットとタイトルに名がついているものの、結局一番怖いのは人間だと理解した。
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