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2013年9月30日 (月)

現代の子どもは弱いのか

珍しく、うちの母と言い争いをしました。



きっかけは、体罰による自殺問題のニュースを見たこと。あれを見て、うちの母、そして祖母は、「現代の子どもは弱くなった!」と宣言した。


「昔は教師も親も、ビシバシ子どもを叱っていた。そうしないと成長しないから。ちょっと頭を叩かれたとか、そんなことで泣くような弱い子どもは昔はいなかった。それに比べて、現代の子どもは、ちょっと怒られたら泣いたりして、性格的に甘い奴ばっかりだ!」

というのが、うちの母と祖母の意見です。



それに言い返したのが私で、「弱い子どもが増えたとか言うけど、昔からそういう子はいたんじゃないの。ビシバシ叩かれるような指導についていけない子どもは昔からいたはず。今まではそれが見えなかったんだろう。今はメディアの発達なんかでそれが見えるようになってきただけで、弱い子ども増えたわけじゃない」と主張しました。

発達障害なんかもそうだけど、昔から少数派として存在していた人々が、今になって顕在化して増えたように思うのはよくあること。全体数は過去から変わっていない、と私は思っている。ただ見えるようになっただけである。



しかし、うちの母や祖母はそうは考えない。「現代の子どもは弱い、甘い、へなちょこだ」と言い続け、まるで体罰に耐え切れない子どもはダメだみたいな言い方をする。
教師が子どもを叩くのは当たり前なのか?

・・・まぁ、あの人たちは、私自身にもいろんな体罰をしている人である。唇が切れて血が流れるまで叩かれたこともあるし、両足を持って家じゅうを引き回されたこともある。あの人たちからすれば、ああいう体罰に耐えられない子どもはダメなんだろう。私も、よく耐えたよなぁ、と今になって思う。
しかし、あの二人はいくら私が「辛かった」と言ったところで、いまだに謝罪とか悔やむようなことは一切口にしない。「あれであんたが成長できたんだから、いいだろう」の一点張りである。この二人にとって、体罰は「子どもを成長させるための手段」ぐらいの価値あるものなのである。

それに耐えて成長できない者は、いわゆる「ダメな子」。

世の中から体罰がなくならないわけだよなぁ、と思う。



私はそういう意見には反対。まるっきり正しくないと思う。たとえ発言者が自分の母親であろうがなんだろうが、違うと思うことは違うと言う。・・・だからこそ言い争いになるわけだが。


たぶん、自分のことがあるからでしょう。
親から叩かれまくって育ったことももちろん、それに加えて私は絶望的な運動音痴であった。個人競技では場がしらける。団体競技では邪魔者扱いされる。運動会などストレスにしかならない。競争ではビリ以外になったことがなく、いくら同級生や教師に恫喝されようが、ビリ以外の称号を取ったことは一度もない。

こういう奴だったから、たとえあの時代に教師に体罰を加えられようが、私は成長できなかったと断言できる。だって、怒られて足が速くなるわけないじゃん。運動がとことん嫌で、自分の嫌いな競技のときなど、教師に嘘をついてトイレにこもっていた経験もあるほどだが、たとえその不真面目さを体罰をもって調教されようとも、改善できなかったでしょう。
幸か不幸か、教師も私は調教不可能だとわかっていたのか、一度もそういう目には遭っておりませんが。遭っていれば、間違いなく適応障害かうつ病を発症し、学校に行けなくなっていただろうと思う。


身体や心を傷付けることで、何が得られるというのか。幼少期から親にしばき倒され、そこから何を学んだのかと自分自身に問いかけても、なんにも見えてこない。ただただ、肉親に対する恨みが募るだけである。冒頭の言い争いも、これ以上私に親を憎ませるなと訴えかけたい気分だった。

昔からあったけど今まで見えてこなかった、という考えを捨てるつもりはない。きっと、これほどメディアが発達する前、どこかの学校で起きた事件を瞬時に知ることなどまだできなかったころ、その時代においても似たようなことはあったんじゃないかと思う。自殺はなかったかもしれないけど、心の調子を崩す子とか、学校に行けなくなる子とか。
不登校なんていう言葉も、比較的最近できた言葉じゃないかなぁ。不登校の子も今までいなかったわけじゃなく、昔からいたのが現在は顕在化しているだけだと私は思っている。



そもそも、すべての子どもに適する教育方針などないのである。体罰という教育方針にも、合う子と合わない子がいると思う。変な話、それだけビシバシやられて成長できる子も当然いるでしょう。むしろ、そういった体罰があったからこそ、驚くほど成長できた子も中にはいると思う。
ということは、当然、どうしたって成長できない子もいるのである。「体罰で成長できた子がいる」→「全生徒に同じことをしよう」とは、安直すぎる思考回路。うちの母や祖母、そのほか「体罰は必要」だと考える人は、おそらくこの教育方針が身体と心に適していたのでしょう。しかし、数は少ないかもしれないが、合わない子だっている。それがアタリマエである。いないわけがない。

昔は、それが顕在化してこなかったのだろう。「全生徒に同じ教育方針で」という考え方が定着していたのだと思う。そして、それでおおむねうまくいっていると、世間の人は思っていたのだろう。
だけど、子どもというのは、必ずしも親の都合よく生きないものである。生きたいと思っても生きられない人だっています。昔はそれすらも叩き潰されてきてしまったのかもしれないけど、徐々に子どもの人権や多様性が受け入れられるようになってきた現在、今まで見えてこなかった子どもたちの存在が明るみに出たのだと私は思っている。



・・・だから、弱くなったわけじゃないと思う。

体罰に耐えられない子が「弱い子」かどうかは知らないけど、そういう子が少なくとも見えるようになってきたのは間違いない。
最近ではゆとり教育がどうとか、考え方が甘いとか言われていますが、そんな環境の中でだって自分の力で輝ける子どもはちゃんといるのである。「一部の子どもが弱く見える」→「現在の子どもは全体的に弱くなった」とは、これもまた安直すぎる結論。正直なところ、わずかな結果から全体の傾向を決めつけようとするのは危険な行為だと思う。




前から言っていることだけど、私は個人的に「教師」という人が嫌いである(笑)

同級生の中には教師になった人もいて、今も小学校や中学校で子どもを教えている人が何人かいる。しかし、別にそれだけが理由ってわけじゃないけど、現在は連絡を絶っている。個人的な「教師嫌い」を、同級生にまで当てはめたくはないのだが・・・
いや、これ以上嫌いになりたくないから、近況を知らないようにしているとも言えるな。同級生の近況などを聞いたら、あれこれ口を出したくなるに決まっているし。


結局、教師には子どもの気持ちはわからない。2割ぐらいはわかるかもしれないけど、8割ぐらいはたぶんわかってないんじゃないかと思う。(・・・2割というのは、こんな私にも恩師と呼べる人がいて、その方へ敬意を払うつもりで譲歩した数である。それがなければ0割でもいいぐらいだ)

だが、どんな職業でも、わかろうとすることはできる。わからないのは当たり前である。しかし、そこで終わっていいのか。「子どもの気持ちがわからない」→「じゃあ自分がしたいようにしよう」もダメだし、「子どもの気持ちがわかったつもり」→「じゃあそのやり方ですべてを通してしまおう」もダメだと思う。
教師って大変な仕事だと思うよ。・・・だからねー、嫌いなんだわ(笑) 自分になれると思ったことはないし、なろうとも思わない。たぶん、理想が高すぎるのだろう。自分が理想に思う教師など、たぶんこの世にはいない。少なくとも現在はいない。自分の同級生にそれを求めて、実現できるのか?と考えたら答えは「無理だろう」だし・・・


ぶっちゃけ、やる気が出ない子どもが目の前にいるなら、体罰で痛めつけるのではなく、適切な方法でやる気を出させろよと思う。それが教師の仕事だろう? なぜ暴力という、短絡的な手段に出るのか。まるで、それ以外の対処の方法を知らないから、一番簡単な暴力という手段に出ているような気さえする。それは教師も、親も然り。

そういうことを思うと、教師という人に対して憤りすら感じるのである。もちろん、全員がそうだとは言っていない。巡り合えていないだけで、どこかにはたぶん素晴らしい教師もいるのでしょう。会ったことはないけど。

だが、現代にはまだよくない教師もいると思う。・・・今のこの世の中は、まるで子どもの心が悲鳴を上げているように見える。このままではダメだよと、そろそろ変えていかないとダメだよと、いろんな時代からの子どもの声が、社会に訴えかけているように感じる。



それが「弱い子の顕在化」になるのかどうか、そこまではわからない。だけど、たぶんこれも「声」のひとつだよね。まだ見えないかもしれないけど、私たちはここにいるよって、そういう声が聞こえる気がする。その声が届いた人は、きっとまだ受け止められる心構えがないから、戸惑ったり、疑ったり、否定したりするのだろう。

マイノリティの声というのは、きっと概してそういうもの。私自身、かつてはとても弱い人間だった。今も強くなれたとはいえない。だけどなんとかここまでやってこれたし、それは親の教育方針が実を結んだからだとはこれっぽっちも思わない。体罰があろうがなかろうが、たぶん私は私だよ。今とそんなに変わっていないどころか、もう少しましな人間になれたかもしれない。


心配しなくても、弱い人間は昔からいます。いきなり増えるわけがありません。ただ、今まで聞こえなかった声が、いろんなところに届きつつあるということなのかもしれない。

それが悲しい、辛い結果をもたらさないように、大人はしっかりと受け止めなければいけません。「弱い子どもが増えた」というだけでは、誰も何も救われない。弱い子は確かに、これからの人生で困ることがあるかもしれない。それならば将来その子が困らないように、体罰以外の方法で導いてやればいい。
・・・それは「甘やかす」ということではありません。それを研究するのが専門家というものでしょう。教師という人にはしっかりしていただきたい。







・・・・・・。


自分のこういう教師嫌い、少数派の声がどうとかいう意見は、私がまだ昔の自分を救済できていないところにあります。もうあれから10年以上は経ちますが、ちょっと自分の内面に目を向けてみれば、昔の自分が、まだ心の中で声なき声を上げ続けていることがわかる。

あのころの自分は、私の中でまだ救済できていない。テレビや自分の母に向かっていろいろ意見して、教師という人を徹底的に嫌って、同級生にすら辛辣な態度を取る私だけど、何をしても自分自身はいつまで経っても救われない。


辛かっただろうと思うよ。
週に何度叩かれたか、その逆で叩かれなかった日は何日あったか、あのころはそれをカウントし続ける日々だった。叩いた本人は、「それであんたは成長できた。感謝すべきだ」という姿勢を今でも崩していない。体罰だけでは子どもは成長しないと、私は自信を持ってそう言える。

なにより、今でも救われない幼い自分自身を抱え込んだままである。いくらご立派な定説を聞いても、偉い教師様の話を聞いても、なんら心に響くものはない。私がいまだに抱え込んでいる昔の自分を救う教師なんて、それこそこの世にはいないのである。



体罰で成長できない子どもは弱い、と母と祖母は言った。


それじゃ、私だってまだ弱いままである。なんにも成長できていない。厄介な過去の遺物を抱えて、今後も生きていかなければいけないだけである。ああいう学校関連の子どものニュースを見るたび、辛かっただろうなぁと思う。
乗り越えられる子どももいるだろうけど、私みたいにいつまでも引きずる子どもだっている。たとえばそれから10年経って、もしその子が辛い思いを抱えたままでいれば、そのとき教師は子どもを助けてくれるのか? くれないだろう。だから、私は教師が嫌いなのである。


人生の初めのころ、たまたま出会った一過性の大人に、自分の人生まで左右されたくはない。それは親も、教師もである。弱い人間だとレッテルを貼られ、そのまま生きていかなければいけない子どもの気持ちを考えたことはあるのか。



・・・まぁ、今さら昔の自分など救えなくてもいいのである。だが、自分と同じ道を歩む子どもが出てしまわないよう、どうすればいいのか考えることはできる。私は教師じゃないし、意見を言う立場にはない。それでも考えることは自由である。



記事の締めくくりが、沈痛というか自分勝手な考え満載で申し訳ありません。
けっして順風満帆とはいえない私のこれまでの人生を自慢気に語るつもりはありませんが、母と祖母の言い草にあまりにも腹が立ったので、いろいろ書かせてもらいました。

これもひとつの考えですので、おおむね聞き流してください。

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コメント

私は発達障害で「最近の子は弱い」と言われ続けていたので調べているうちにここに来ました。
甲子園が行われていますが「人前で泣くなんて今の子はメンタルが弱いから負けるんだ」とか祖母が言っていて以前からそういう人も多くいたけどメディアとか考え方で祖母の目に映っていなかっただけだと感じました。
そういう人は何をもって弱い、強いを決めているのだろうといつも感じます。そんなもの相対であり絶対評価なんてできないはずなのに
すごく同意でき、考えさせられるものでした

コメントありがとうございます。

今の子はメンタルが弱いって言う人、特に年長の方に多いですよね。私もよく言われるのが「最近の子はメンタル弱いからすぐ仕事を辞める」。まぁ、強くは否定できませんが…。

教師も親も、いつも好きなこと言いますからね。死人が出なければ体罰も虐待も許容範囲なのかと。
ただ、何事にも「やりすぎ」はあって、「子を許容しすぎ」「庇護しすぎ」も駄目なのだと、この記事から4年経った現在はちょっと思います。心身ともに老けた反動でしょうか…。

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  • ウルトラムーン予約した。ので、サン版をデータ消して最初からやっている。ムーンはやり込んで120時間ぐらいかね。そんなに強くなくても好きなポケモンでガンガン攻めたい派。初登場から継続して好きなのはやはりサーナイトですな。初代ルビサファ以降、パーティにいなかったことがない。そういや昔、小さいフィギュアを持ち歩きすぎて首が抜けたことがあったわ。
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