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2013年5月18日 (土)

なんか難しい

近ごろは特に、“政治家といえば失言”と言えそうなほど、あの人たちは普通に言っちゃいけないことを言いますよね。差別発言とか、侮辱とか。

しかしまぁ、思っていることを口に出さないというのは難しいんですよね。


ちょっと前まで、私は「言うことがダメ」だと思っていたんですが、いつだったかうちの母親に「思うこと自体がダメ」と言っていたんです。言っちゃいけないということは、思っていてもいいということだろう、と言っているのを聞いてから、なんだか目が覚めたような気がしました。
・・・個人的にあんまり好きじゃないんだけど、あの人、ときどき核心を突いた鋭いことを言うんだよ。ときどきこっちの頭を活性化させてくれるから、話すのは楽しいと思っている。



でも、よく考えたら、差別とか侮辱とか、思っているから口を突いて出てくるんですよね。思ってもいないことを言うはずがない。それを「言うな」ということは、イコール「心の中で思っていてもいいから、口には出すな」ということ・・・なのかな?

思考や感情は、人の勝手です。他人があれこれ言うこともない。しかし、その侵襲されない自由な思考や感情が、どこかの他人を傷付けることもあるわけです。そういうところに強く根付いているのが差別や間違った偏見、侮辱、ステレオタイプってことになるんですよね。


「思わない」というのは、はっきりいって難しい。自分の中で湧き上がってくる感情を無理やり止めようとするのは、その人にとってかなりの苦痛を伴います。そんなことはしないでください。自分が辛いだけです。
まぁ、ぶっちゃけ、自分の中に湧き上がってくるものに注意を向けられるかどうかですね。たとえば誰かに対して「近付きたくないなぁ」と思うとき、その思っている自分の思考に気付くことができるかです。専門的には『メタ認知』とかいいます。

自分が差別的なことを考えているかどうか、それを知るだけでも思考を改めるきっかけにはなります。なんでもそうだけど、強制的に、やりたくもないのに、無理やりやることはあんまり意味がありません。自然に、深いことを考えずに、強制されずにやることが大事です。

だから、あえて自分の中の感情を抑えつけようとはせず、最初は「ああ、なんか今の自分、差別的なことを考えているなぁ」と自覚するところから始めたらいいと思います。自分がしたいと思えば、それを改めていけばいいんですから。



・・・ちなみに私に限って言えば、あんまり他人に興味を持たない人なので、差別とか偏見とかそれほど持っていないように思います。他人を差別するほどに関心がないというか・・・。専門科目として心理学を選んでいるぐらいなので、自分の思考や感情に注意を向けることは日常的にやっていますけどね。


また、自分に対する否定的な言葉もあんまり気にしません。先日、業務関係で初めて会った人から、いきなり「あんた、男? 女?」と訊かれました。

私の外見を知っている人は納得するかと思いますが、私は生物学的には女性であり、それでいて女子トイレに入ると他人に二度見されるほど男性っぽい外見をしております。心の中も、80%ぐらい男性だと思っています。なので、生物学的な性を間違えられることもしばしばなのですが、あそこまで正面から訊かれたのは初めてです。

そう言われて、傷付く人もいるでしょう。あとから思えば、あの発言は一種の差別や偏見のようにも聞こえますが、本人(私)は気にしていません。なぜなら、ひとつの身体に女性と男性が同居していて、中性的な雰囲気を持っていることに、私個人としては満足しているからです。
確かに日常生活に支障が出る(←女子トイレが使いにくい)こともありますが、二度見されて「あれは男? 女・・・?」と他人の心に揺さぶりをかけることにもはや楽しみを感じている状態なので、何を言われても全然気にしていません(笑)


差別や偏見の意識というのは、受け取る側によっても質が変わるのかもしれません。「あんなこと言われた・・・。悲しい」という人もいれば、私みたいな動じない変人もいる。・・・それでも、あまりにも間違っていて偏っている考えを抱くことは、やはり問題があると思います。



正しい知識を与えるだけじゃ、たぶん差別や侮辱の意識は消えないと思います。同時に、自分自身の思考や感情を客観的に見て、そこに含まれた否定的な意味に気付くことも大事なのではないかなーと思います。

考えないように努力する必要はないと思う。だけど、自分が考えていること、思っていることは、他人に損害を与えてしまうものではないだろうか?って、気付くことはもしかしたら誰でもできるかもしれない。



何度も言いますが、思考や感情は個人の自由ですから、自然に湧き出てくるのを押し留める必要はないんですよ。出てきたときがむしろチャンスで、「あ、自分はこんなことを思っている」って気付いて、「自分は知らないうちに差別的なことを考えていたんだな」ってちょっと反省する気持ちが出てきます。そうすれば、少しぐらい自分の中の価値観が変わるかもしれない。それがもっと広がれば、差別や侮辱の言葉を思うままに口にする人はいなくなるのではないだろうか?





・・・なんてことを考えて、実は自分の研究テーマにちょっと取り入れたりもしています(笑) 独創的といえば独創的で、裏付けができるデータがなく、少し困っているところなんですが。でも、「性別」という概念でラベリングや偏見を受けたりする私としては、差別や偏見を口にする側のスキルっていうのも今後必要なんじゃないかな~と思います。発言者を頭ごなしに非難したり、失言を順番に撤回している状態では、たぶん社会は変わらないよ。「言うのがダメ」ではなく、「自分の発言内容に含まれた意味に気付いていないことがそもそもダメ」なのかもしれない。



私もブログなんか書いていますが、あとで読み返すと「どういう気持ちで書いていたのかなぁ」なんて思って恥ずかしくなることがあります。だからと言って、「さて、どういう気持ちで書こうかな」なんて考えていると、ネットに記事を上げるなんてことはできないわけで(笑)


まぁ、今後とも冷静な視点でブログを書いていけたらいいですね。












おまけ画像。


家の窓から見えた、きれいな空(´∀`)

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あと、うちの息子。
衣替え(羽の生え変わり)の時期のせいで、尻尾がありません(爆)

Pap_0029_22

Pap_0033_22

ちんちくりんの息子~♪
新しい尻尾はいつ生えてくるんでしょうかねー。

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ひとりごと

  • GYAOで『ペット・セメタリー』を観た。ホラー小説で有名なスティーブン・キング原作である。この手の映画はなぜヤバい奴がいるとわかっている屋敷にひとりで踏み込むのだろう。バラバラにされた人体の一部でも降ってきたらどうするんだ!と思ったが、そんなことはなかった。ちなみにペットとタイトルに名がついているものの、結局一番怖いのは人間だと理解した。
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