2012年5月20日 (日)

にわか勉強:日食網膜症

なに、日食で網膜の病気になることがあるのか!?と驚いたんですが、実際にそういう病気があるそうです。怖いなぁ。病名に「網膜」なんて名前が付いているだけで怖く感じるのは、網膜剥離の手術を経験したことがあるからかな。


ちなみに、私は見ないつもりです(笑) いくら何百年に一度のありがたい日食でも、網膜剥離で手術&入院を経験し、緑内障予備軍という爆弾を抱え持つ人間としては無茶な挑戦に思える。自分の目を犠牲にしてでも見るものではない・・・と思う。
いや、本当は見たいんですよ。これを逃したら当分見られないわけでしょ? そりゃ見たいけどさぁ・・・やっぱり目の方が大事だしさぁ・・・ブツブツ。

世間には全盲でまったく見えない方もおられるわけだし、私だけが無理して見たって仕方ないわけです。最悪、日食を見たせいで網膜を痛め、あの激痛地獄の手術を再経験・・・。嫌だ、それだけは嫌だ(>_<) 主治医に言ったら絶対怒られるよ。

話を戻しましょう。日食網膜症の話です。

日食網膜症とは、太陽を直接見ることで強い光線が目に入り、網膜を傷付ける病気です。いわゆる火傷みたいなもんです。目の中の火傷・・・。聞いただけで恐ろしい。そういえば私もレーザーで網膜を焼かれたことがあるけど、あれとは比較にならんほど太陽光線ってヤバいものなんかな?
症状としては、めまい、目の疲労感、痛み、・・・で済めばいいですけど、症状がひどいと視力の低下、太陽から目をずらしたあとも視野の中央に中心暗点(黒い残像のようなもの)が残る、ということになります。おまけにすべて観察直後に来るわけではなく、数日経ってから症状として現れることもあるらしい。その理由は太陽光線の中に含まれる活性酵素がどうの・・・という話なんですが、難しくてよくわかりません。すいません。

気になる治療法は、なんとなし! なったら治らない! これは恐ろしい。時間が経てば勝手に治ることもありますが、視力障害がずっと残るケースもあるそうです・・・。自然治癒という生物本来のありがたい力を持ってすら、太陽というデカい存在の前には為す術もないのか。人間ってのはほんとちっぽけだな。


テレビなんかでもやってますが、日食が見たいなら最低限「日食グラス」なるものを使用しましょう。しかし、これがあっても見っぱなしは危ないです。長くても2分ぐらいにしといた方がいいんじゃないでしょうか。
しかし、こういう便乗商法はよくやるよね~って感じ。粗悪品も出回ってるらしいし、くれぐれも気を付けてください。部屋の中でグラスを覗いてみて、明るい蛍光灯がまったく見えないものなら大丈夫らしいですね。ちょっとでも見えたら効果はないんだとか。気を付けてください。

それにしてもこの日食グラスって1000円とか2000円とかするんですってね。毎年見られるわけでもない金環日食のためだけに2000円・・・。私はそんな無駄使いはしたくない。
我が家は網膜の手術をした私はもちろん、誰も日食を見る気がありません。グラスも買ってないし。ロマンがねぇよな、うちの家族は。一応ここからも部分日食は見えるんですよ。キレイな金環にはならないと思うけど、それに近い形に欠けるだけできっとみんなは大興奮。
・・・見たいなぁ。中継に期待するか。

個人的な事情はともかく、知れば知るほどあまりにも危険と隣り合わせな日食観察。・・・見ないに越したことはないんじゃなかろうか。いや、それを言っちゃオシマイだ。宇宙のロマンはやっぱり人々の心を引きつけてやまないもの。みんなが興奮して当然のことなのだ。(それで病気になってたら世話ないけど・・・)


当たり前だが、太陽を直接見ない!
サングラス、黒い下敷きは無意味!
専用のグラスを持ってないなら見ない!
撮影にも注意! フィルターがあっても危険!

事情があって見れない私みたいなヤツだっているんだから、あなたがもし見られなくても大丈夫! テレビやネットの中継で臨場感を味わいましょう。リアルで見なくてもいいじゃないですか。安全第一です。くれぐれも事故のないように!


・・・そういえば何百年に一度とか書いたけど、次の金環日食は18年後に北海道で見られるらしいですね。本州のこんな広範囲で見られることが数百年に一度なんですかね? そこんところがよくわかりません。間違っていたらすいません。


2012年5月18日 (金)

名言続出の飲み会

今回は(も)私事な記事ですいません。


今日は新歓の飲み会でした。先輩や先生を交え、主役はたぶん我々1年生だと思いますけど、もうみんなそんなこと忘れてとことんまで親睦を深めておりました。(酒が入ってわけわからんようになっていたともいう)

てっきり居酒屋でやるんだと思いきや、ちゃんとしたイタ飯屋じゃないですか。うーん、イタ飯屋で飲み放題と食べ放題・・・? イタ飯って炭水化物ばっかりだし、量多いし、油ギトギトだし、居酒屋でカクテル片手にアジの開きとか食ってる方がマシだ。間違っても口に出しませんでしたけど。
で、私の着いたテーブルは1年生3人、2年生2人、研修生(←他で仕事をしながら心理相談室でカウンセラーとして働いている人)2人、先生1人の構成。当たり前のことだけど、最年少の我々でも22歳なわけだからさすがに軽い振る舞いなど一切しておりません。私も飲んだのはカクテル1杯だけ。話をするのに夢中になりすぎ、何を食ってる&飲んでるかよくわからん。修論の話とかかなりディープな話題も飛び出す状況下、アルコール濃度の低いカクテル1杯ではさっぱり酔えんかった・・・

・・・まぁ一応飲み会らしく、合コンのごとく「恐怖の質問タイム」がありました。くじを引いて、そこに書かれた質問に嫌でも答えるというヤツです。内容は「結婚の最低条件は?」「好きなタイプは?」「きゅんとくる異性の態度は?」など、答えづらいもんばっかりですね。
私の場合は「好きな人いますか?」。一番ヤバい質問キター!と内心焦っているのに、「いるの?いるの?」と先輩たちが急かしてくる。焦りまくった私は何を思ったか、いきなり「三次元だけですか?」と質問。で、ここはさすが先輩、意味をちゃんと汲み取ってくださり「二次元でも2.5次元でもOK」とのこと。そこで「二次元には・・・います❤」と言ったところ、当然のことながら「えーっ、誰~!?」ということになり、「秘密です~!」→ワハハハ~!という一連の大団円を演じた。
はぁ・・・。疲れた。


そのあと先生の質問タイムになり、質問は「“好き”ってなんですか?」。おまけに「心理学者としての観点から答えてください」というムチャブリ。こんなもん、心理学者じゃなくても答えられるかい!
全員が固唾を飲んで見守る中、先生は「う~~~ん」と相当悩んだあと、やっとこさ出た答えが「なくなったら禁断症状が出るもの・・・?」。ほぉぉぉ、なんか名言が飛び出したぞ。つまり西野カナの「会いたくて、会いたくて、震える」という歌詞は、イコール「好きすぎて禁断症状が出る」という解釈なんだな。ということは、恋は酒やタバコといった嗜好品と同じもの・・・?

で、飲み会も後半に差し掛かったころ、先生にもうひとつ質問をしてみました。「幸せってなんですか?」。二度目のムチャブリです。・・・気の毒な気もするけど、いじると面白い先生なのよ。アラフィフ(たぶん)で妻+2人の子どもあり。奥さんは自分より10歳年下のエリート臨床心理士。つまり二人の子どもは心理学者のサラブレッド! でも先生曰く、「自分がやってて大変だから、子どもは絶対に心理士にさせない」だそうです。名言だ。

話を戻すと、その先生に「幸せってなんですか?」という質問を投げかけてみたところ、先生は頭を抱え、また「う~~~ん」と悩んでおられました。(当たり前だろう) ・・・で、ようやく出た答えが「眠れないとき、○○の○を○○に○○でなんとか眠りについたとき・・・?」。こ、これはとてもじゃないがブログに書けん! 先輩も「先生!心理学者としてそんなこと言っていいんですか!?」って言っていたので、まぁ・・・先生なりのブラックジョーク・・・で片付けられない発言だなぁ、これは(大汗) 先生曰く「僕はしたことないけどね」だそうですが・・・
・・・いや、それが幸せなはずがないだろう。先生、変なジョークで逃げないでください!などと言っているとき、先輩がふと「そういえば前にもみんなでこの疑問について話したことがあるんだけど、『幸せとは、どこまでも主観的なもの』っていう答えが出たよ」と言った。おおっ、これはすごい名言だ。幸せとは何か、それはどこまでも主観的なもの! なんかうまく逃げた気もするけど、確かにその通りだよね。誰かにとってそれが幸せでも、別の人にとっては不幸せなこともあります。幸せは人それぞれかぁ・・・。いやぁ、深いなぁ・・・

ちなみにそのあと研修生さん(←20代後半か30代前半の男性。奥さんに頭が上がらないらしい)が、「こうしてみんなと酒を飲み交わしてるのが幸せかなぁ」と中途半端なボケをかまし、・・・場をしらけさせました。本当にその場がシーン・・・って。飲み会で中途半端なボケはいけません。どうせなら「俺はいつも幸せだぜぇ。だって俺、いつも自分の手のひらに「幸せ」って書いて飲んでるんだぜぇ。ワイルドだろぉ~?」ぐらい言えよ!

研修生さんのことは置いておいて、こういう話題が出てくるところが普通の飲み会とは違うところかなぁ。どっかで絶対「心理学を学ぶ者としてどう思う?」みたいな話が出てくる。もはや職業病でしょうか。心理学のアンテナを常に張っているのが当たり前、みたいな・・・(;´∀`)

今日・・・っていっても日付が変わっちゃいましたが、本当に楽しくて貴重な時間を過ごしたと思います。飲み会でこんなに充実して帰ったのなんて初めてかも。またやりたいなぁ。次にこれだけの人が集まるのは「2年生を送る会」になるんでしょうかね。「修論が間に合わない~!」って悲鳴上げてる先輩も若干名おられますが・・・


うん・・・、よくわかんないけど、こういうのを幸せっていうんじゃないかな。先生と先輩と同級生と、楽しく充実した時を過ごせるっていう贅沢。そんな輪の中にいられること、これが今の私にとっての幸せなのかもしれません。

最後にクサいことを言ってスイマセン(笑)
今日はもう寝ます。おやすみなさい(ρw-).。o○

2012年5月15日 (火)

元気よく手を抜こう

大学院に入学して1ヶ月半。
やっと環境にも慣れてきて、入学当時、爆発的に増えた顔のニキビも収まってきました。昔から環境が変わるとニキビができる性質なのよね・・・。ストレス性のものだから病院にも行かず放っといてるんですけど。


嬉しいことに、手を抜くタイミングというのがわかってきました。毎日が全力投球!ってのもいいと思いますが、私みたいな未熟者は適度に手を抜かないと燃え尽きてしまいます。バーンアウトっていうらしいですな。
要領をよくする、メリハリをつけるともいいます。「ここは真剣にやらねば!」「ここはちょっと手を抜いても大丈夫だ~」っていうポイントを探して、その通りにやるんですよね。まぁ、間違ったポイントでこれをやると肝心なところは中途半端、どうでもいいところだけ完璧、という本末転倒なことになります。ポイントの見極めは慎重に。


私はぶっちゃけバカなんですけど、これが得意な方なので成績はそう悪くありません。いや、正確にいうと高校まではアレでしたが、大学に入ってからポイントをがっちり掴むコツを見つけて、成績優秀者の称号をゲットしました。バカでも成績優秀者になれる! メリハリのつけ方、要領よく生きてさえいれば!

・・・そういや話は変わりますが、私の友達にも似たような人がいて、大学では2人でいっつも要領よくのらりくらりと過ごしておりました。で、あれは2回生のときだったか、その友達が成績優秀者の称号を得たとき、内輪で「なんでアイツが!?」という論争が巻き起こりました。権力(?)に興味のない私は「別にいいんじゃねぇの?」という感じだったんですが、密かに成績優秀者の称号を狙っていたらしい同級生たち(←自分で頭が良いと思っている連中)には屈辱的だったようで、彼女はかな~りひどい扱いを受けておりました。一体どこで知ったのやら、「高校は偏差値の低いところ出てるくせに」とかいう嫌味も言われ、友達はそれはそれは怒っておりましたね・・・
それにしても失礼な話じゃありません? 私は自分が成績優秀で大学院まで上がったことをナイショにしてるので同級生たちにはひんしゅくを買っておりませんが、バレたら「なんでアイツが!?」リターンでしょうな。ああいう自分に自信を持ってるヤツにとっては、私や友達みたいな「どう見ても賢く見えない人」が誰かに認められることがムカついて仕方ないんでしょう。「なんでお前みたいな奴がのらくらと生きていられるんだ!?」みたいな嫌味、今までに何度言われたことか。悪かったな。
今では褒め言葉として受け取っていますけどね。ありがとう、嫌味言ってくれて。この世を渡り歩くのに必要なのは頭の良さではない。要領の良さなのだ!


私は自分がバカだからこれで済むのかもしれませんが、手を抜くのが苦手っていう人はけっこういますよね。何をするにも全力を注ぎ込んでしまい、どっかで燃え尽きるか、心身を故障するか、最悪命の危険があるところまで自分を追い込んでしまう人もいます。全力でやるのが悪いと言ってるんじゃないですよ。さっきから言っているようにメリハリをつけるんです。本気で取り組まないといけないこと、ちょっとぐらい手を抜いても平気なこと、いろいろあるでしょ?
たとえば私の場合、来週発表の課題は「本気で取り組まないといけないこと」、明後日にある先生や先輩を交えた飲み会は「ちょっとぐらい手を抜いても平気なこと」。飲み会でさんざん羽目を外しまくり、次の日からスイッチを切り替えて「本気」の方に取り組めばいいことです。何も難しくない。「飲み会は課題の発表に支障をきたすからパス」なんて言ってるヤツは、私から言わせれば要領が悪い。飲み会と課題発表、どこにリンクするポイントがあるんだ? それこそ公私混同してるっていうんじゃないのか? きっちりオンオフ切り替えましょう。

どうメリハリをつけていいやら見当がつかないっていう人は、「やらなければいけないこと」っていう題名で紙か何かにあれこれ書き出していって、 まずどれをやらなければいけないか、急がなくていいものはどれか、書いたものを見て判断していってください。ちなみに文字にするっていうのは大事なことで、抱えている問題が目に見える形を取ることで「なんだ、これだけか」っていう気分にもなるんですよね。ならない人もいるでしょうけど・・・
で、そこそこ手を抜いてもいいこと、見つかりました? 最初からそんなに問題がありませんという人なら別にいいんだけど、いっぱい問題を抱えてるのに手を抜くポイントが見つからない人はちょっと注意が必要ですね。無理がたたってどっかで支障が出る可能性があるので、自分の心や身体がSOSを出している場合には敏感に反応するようにしましょう。
ちょっと怖い話をすると、かの有名なユングがかつて診察した患者さんで、「自分は仕事一筋のため、休む時間も惜しんで仕事をしている」という人がおりました。その患者さんは本当に自分のことなど顧みない人で、毎日やることは仕事仕事仕事でいわゆるワーカホリックな生活を続けていました。そんなとき、その患者さんは「猛スピードで走る電車が急カーブを曲がりきれず、脱線してしまう夢を見た」とユングに語りました。ユングはそれを聞いて「電車はあなた、その電車が走っていた線路はあなたの人生を意味しているのでしょう。このままの生活を続けているといつかカーブを曲がりきれずに脱線してしまいますよ、という警告を心が発しているのです」と言って、患者さんに休息をとるよう助言しました。しかし患者さんはそれを聞き入れずに仕事一筋の生活を続けてしまい、最終的にお亡くなりになったか、心身を壊して仕事のできない身体になってしまったか、どっちか忘れましたけどユングの言った通りになったんですね。
心は誰にも見えないけれど・・・、危険なときにはちゃんとあなたに向かって警告を発しているのです。「そろそろ休もうぜ」「ちょっとぐらい手を抜いてもいいじゃない」てな具合に。いつまでも意地張ってないで、ちゃんとそれをキャッチするようにしましょう。

相変わらず私は左右の弁別もできず、記憶力の悪さもハンパではない。前に言っていた教室の名前ではどうやら「B」「E」の区別が難解らしく、教室の近くまで行って「あれ、BだっけEだっけ」ということがよく起こります。「エビのB」と「身体にいー(E)」という憶え方では不充分らしい。ダジャレだしなぁ・・・。ということでいい憶え方を模索中なので、いいのがあったら教えてください。この前も「ビクトリーだとVだし...」とか考えていて教室の前を通り過ぎちゃいました。ははは・・・
こういうの、実はなんかの病気なのかもしれないけど、今のところ病名を宣告されたこともないし、本人も困ってないし、生きることを苦だと考えていないぐらいだしこれでいいと思ってます。人生を楽しく生きられてるならそれに越したことはありません。左右がわからなくても、バカでも、今が楽しいならそれでいいよね。

心身になんの問題もない健常者と比べて劣等感を抱くこともないのだ。私は私の人生を好きなように生きればいいのだ。それでこっちが成功して悔しがるのは相手の方なんだから。わははは(´∀`)


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2012年5月11日 (金)

通院日5/11

今日は網膜のほうの通院日でした。
今月の26日で手術から半年です。まだそんなもんなんですね~。今日もまた「じゃあ、次は2ヶ月後ね」って言われて「え~っ、まだですかぁ!?」と言いたくなったんだけど、まだ半年も経ってないんだから病院に通うのは当たり前か。

暇そうに見えるかもしれないけど、こう見えて大学院の授業もあるし、その中に通院の予定をねじ込むのが大変なんですよね。今日も12時から13時まで心理相談室の仕事で、13時半からの眼科の予約にもちょっと遅れました。で、次は17時からの授業のために大学にとんぼ返り。
・・・そんな多忙なスケジュールのお陰で、今日は昼飯を食べることすらできませんでした。14時ぐらいに名前呼ばれるのを待ちつつ病院の待合室で菓子パンをモソモソかじったけど、あんなもん昼飯ではありません。17時からの授業が始まる前にもジュース買って菓子パンの残りを食べたけど、あれだっていわゆる「間食」であってまともな食事ではない。
一食抜かすと体力がガタ落ちするのに~


で、今日もまた視力や眼圧を測定したあと、散瞳の目薬をして久々にOCTをやりました。 OCTっていうのは、Optical Coherence Tomography、いわゆる「近赤外線を利用した眼底や血管の検査機器」です。簡単に言えば、目の奥の写真を撮る機械ですね。数秒間まばたきすんなとか言われるので、ぶっちゃけ面倒くさいです。
それが終わったあと、診察室で久しぶりにK先生と対面。予約いっぱいでめちゃくちゃ忙しいのもあるだろうけど、相変わらず無駄話は一切なしでドライな人だ。「なんか変わったことあった?」「ないです」会話終了。眼底を見てもらって、「網膜はキレイにくっついてるね。それじゃ、次は2ヶ月後だから」「はい」会話終了。助手さんにちょっと指示を出して、「それじゃ、お大事に」で自分は次の患者さんへ。・・・ドライだなー。

そういや、あの先生と無駄話らしい無駄話をしたことは一度もないな。私は「患者さんにモテモテ」と表現してるんですが、やっぱり腕のいい先生だし予約は呆れるほどいっぱいです。その8割は年寄り。待合室にて、20代の私の存在はあからさまに浮いている。入院したときも、「こんなに若いのにどんな手術したの?」と周りの患者さんに心配されましたからね・・・
分刻みで次の患者さんをさばいていかないという状況下、病気と関係ない無駄話に割いている時間はないってことでしょうな。だってもう嫌になるぐらいあとからあとから患者さんがやってくるんですから。仕事中、ず~っと老若男女の目を見続けなければならない先生も大変だと思います。それを仕事だからと割り切れたらいいけど、そうじゃなきゃブチ切れて大暴れしててもなんの不思議もない(と思う)。

ほんと、病院で一番大変なのって先生だろうなぁ~。次に大変なのは助手さんで、その次はたぶん受付の人。いや、実は受付の人が一番しんどいかもしれない。私も医療関係のバイトをしてて受付の仕事もしてるけど、ストレスはたまる一方だよ。予約を取る、電話を受ける、患者さんの無駄話を聞く、精算をする、ときには患者さんのクレームに対応したりもします。私も何度か受けたことあるけど、「うるせー、ゴチャゴチャ言うんじゃねぇっ!」って怒鳴りたくなるんですよね。テメェに時間を取られるために仕事してんじゃねぇんだよ。こっちだって忙しいんだっつーの!(これを口に出すと間違いなくクビになる)
皆さんに訊きたいんだけど、医療機関などで「すいません、ただいま立て込んでおりますのでこちらからまたかけ直します」って言われるとやっぱりムカつきます? 私は仕事でよく口にするんだけど、この前自分がされる立場になってちょっとイラッとしたんですよね。自分からするのはいいけど、相手からされるのは嫌・・・って人間としてどうなんだろう。これ、帰属理論とかそういうのと関係あるんじゃないだろうか。臨床家見習いの血がうずく。

次の通院日は、6/15の9:00からと7/13の13:30から。6月は緑内障、7月は網膜です。毎月かよ!って突っ込みたくなりますね。私の抱えている目の病気は「手術してハイおしまい」ではなく、継続して見ていかないといけないものですからね・・・。毎月通院になったって仕方ないといえば仕方ないんですけど・・・はぁ・・・orz

・・・今日実際にやってみてわかったけど、1日のスケジュールが大学院→病院→大学院っていう構造がなんとなく嫌だ。これにバイトが入ってないだけマシですよ。大学院→病院→バイトとかだったら大変だ。あっちでは学生、こっちでは患者、さらに別のところでは医療事務、といういろんな立場の人間にならないといけない。これが意外と面倒で面倒で・・・(;´Д`)


まぁいい。過ぎたことをゴチャゴチャ言ったって始まらない。避けられないものなら受けて立とうじゃないの。
明日は待ち望んだ休日だ。何しようかな~。こうも忙しいと休日がたまらなく嬉しく感じる。久しぶりに10時ぐらいまで寝ようかな。モンハンやろうかな。趣味に従事しようかな。近所の野良猫と遊ぼうかな。むふふ~、楽しみだ~。

欠陥のある人間

昨日ぐらいにTwitterで軽くカミングアウトしたんだけど、私はいろいろと欠陥というか遅れ・・・がある人間なんですよね。よくもまぁ、我ながら今まで生きてこれたなぁと思えるようなものなんですけど。気になる人は読んでやってください。


まず、左右の弁別ができん。
文字通りの意味です。突然「右手と左足を上げて」と言われて、あなたは簡単に従うことができますか? すいません、私にはできません。「えーと、右はお箸を持つ方だからこっち、左はお椀を持つ方だからこっち・・・」といちいち考えないと左右がわかんないのよね。体育の時間にダンスとかあったらもう大変で、必死に「右はお箸を持つ方、左はお椀を持つ方」と信じ込ませたらそのときだけは乗り切れるけど、終わったらもうどっちがどっちかわからない。私の「左」「右」の理解は五歳児並みだと思われます。
私はブログで「←」や「→」といった矢印を使いますが、「ひだり」「みぎ」でタイプするのによくどっちがどっちかわからんようになります。「やじるし」でタイプすると上下左右出てくるでしょ? だから「ひだり」「みぎ」で変換するんですけど、よく考えたら「ひだり」がどっちを向いた矢印なのかわからん。いつもどっちかで変換してみて、正しい方向の矢印だったそれでよし、違ってたら反対の方向で変換します。あまりにも不便なので、「みぎ」を「おはしをもつほう」、「ひだり」を「おわんをもつほう」で辞書登録しようかと考え中です。

そんな中、実際にあった失敗を挙げると、パソコンの操作でわからないことがあって誰かに訊いたとき、「画面の右下のアイコンをクリックして」などと親切に教えてくれます。だけど、どれだけ探しても目的のアイコンが見つからず、わたわたする。そんなことをやっているうちに、「右下だってば!」と怒られる。我に返ってよくよく考えると、私が見ていたのは画面の左下。右下じゃなくて「お箸を持つ手の側の下」って言ってくれたらわかるのに~、とそのときは思うんですが、そんな風に左右を憶えてる人ってそんなにいないんですよね(笑)
こういう行き違いがあるから(←私が悪いんだけど)、わからないことを他人に訊くのが嫌なんですよねー。「そのプリントの右下の方」なんて言われても、私にはどっちの方向かわからんのです。なんか私には左優位な考え方があって、右下、右上なんといわれようとも左下か左上をまず見てしまう傾向があります。だから焦って左を見ているところに、「右だってば!」と怒られてしまうのだ・・・。誰か私に合わせて教えてくれる人がいればいいのに。


ほかにも、記憶力がめちゃくちゃ悪い。
あったことをすぐ忘れる。旅行に行ったことは憶えている。でも、そこでかかった費用、一緒に行った人の名前、巡った観光地、使った交通機関、ほとんどすべてキレイサッパリ忘れてしまう。駅弁がうまかったとか、お土産屋でこんなものがあったとか、いらんことは憶えてるんだよねー。
あとまぁ、他人の名前が憶えられない。同級生の名前もほとんど憶えておりません・・・。そのときは憶えていても、卒業してサヨナラしたらもう忘れてしまう。先日もFacebookで高校の同級生らしき人から申請があったんだけど、名前を聞いてもまったく思い出せないため許可できていません。本当に同級生なのか、イタズラなのか、それがわかんないんだよね。私のこの記憶力に付け込んだ、性質の悪いイタズラかもしれませんから。(勘繰りすぎ)
最後は、場所の名前、大学でいえば教室の名前(アルファベットや数字名)がまったく憶えられない。Twitterでもちょっと言ったんだけど、たとえば「A」のつく教室は「エビのA」(BならエビのBとなる)、「C」のつく教室は「ビタミンC」などと無理やりこじつけないと憶えられん。「今日の教室は、エビのAだから・・・Aのつくあの教室だな」という感じです。ヤバいよなー。絶対なんかの病気だよなー。

・・・で、自分を客観的に観察した結果、左右の弁別ができないという致命的な欠陥はともかく、どうやら「注意散漫」の傾向がありますな。注意散漫っていったら勉強や授業に集中できずフラフラ気が散ってしまう状態・・・と皆さん記憶されているかもしれませんが、私の場合はひとつのことを集中して憶えようと思っても、視線や興味が別のものにフラフラ移ってちゃんと憶えられない・・・って感じの注意散漫ですね。これが本当に注意散漫になるのか、専門家じゃないのでよくわかりません。すいません。
しっかり教室名を憶えようと大学の掲示板を凝視していても、「今日の食堂のメニューは何かなぁ」なんつって雑念が入ってしまうと、せっかく目で見た情報も脳に蓄積されず右から左へ抜けていってしまう。で、そのまま歩き出して教室の名前が憶えられていないことに気付き、結局もう一度掲示板を確認しにここまで戻って来る羽目になる。これは注意散漫じゃないのか? そうじゃないとしたら一体なんなんだ!?

今はちゃんとメモを取って紙媒体に情報を残す、ということをやっております。いちいちその時間になったら「次はこの教室か」って手帳を確認するのも面倒なんですけどね。毎週同じ教室なのにどうして憶えられないんだろうな。

昨日Twitterでも暴露したんだけど、私って幼少期に特別支援学校への入学を勧められた人間なのよね。3歳児健診のときだったと思うけど、普通学級だと勉強に遅れが出るだろうから特別支援学校に入ることをお勧めします、なんて言われちゃって。具体的に何が遅れていたかというと、えーと・・・憶えているのは言語面での遅れ(←うまく喋れない)、口頭で言われた指示を理解できない知能的な遅れ(←「○○してください」と言われてもできない)、健常者と比べて視力が悪すぎる(←これは先天性超強度近視)かな。この時点ですでに左右の弁別がついていなかったかどうかはわかりません。

結局は地元の小学校の普通学級に進んだんだけど、特別支援学校に行ってたらどうなってただろうな。今から考えたらそっちの方が楽だったかもね。これらの欠陥のお陰で、私は普通学級でさんざん他人から遅れを取ってさんざんいじめられましたからねー。だけど、特別支援の方に行っていたらあのころの同級生や友達、そして初恋の男の子にも会うことはなかったんだ。・・・うーん、やっぱり自分の過去のことを後悔するのはやめよう。


そんな私でも、今や大学院生であります。左右の弁別ができなくても大学院生になれる。金にものを言わせたんだろ、なんて身も蓋もないことを思ったあなた、自慢じゃないが私は大学から成績優秀者の特別推薦枠で大学院に入学したんだぞ。それに、そんな金があったらもっと裕福な生活してるわいっ!

ほんとねー、こんな奴が大学院生になったって知ったら昔の知り合いはびっくりするよ。前に小学生時代の恩師に会ったときも、「ええっ、小学生のころ靴箱のところで泣きじゃくっていた乃銀ちゃんが大学院生!?」とかなり驚かせました。あの先生には私が靴箱のところで泣きまくっていた記憶が鮮明に焼き付いているんだな。わはは、かなり間抜けな姿だったからなぁ(*´∀`)
でもね・・・この先生には本当にお世話になったんだよ。馬鹿で間抜けで、とろくさくて欠陥だらけでみんなからいじめられていた私を優しく導いてくださった。私が何かで成功したら、真っ先に報告に行きたい人です。何年か前にお礼の言葉をいっぱい書いた手紙をお送りしたら、のちにお会いしたとき、すごく嬉しくて大事に取ってるよ~って言ってくださいました。教育現場がああいう先生ばかりになればいいと思う。


話がずれましたが、私は自分の経験をもとに思う。

いくらハンデがあったって、どうにもならない人生なんてない。すべては自分次第。プロフィールのところにも書いてるけど、私のモットーは「筋書きのない人生に不可能という言葉はない」です。左右の弁別がつかず「右手を上げて」と言われてそれに従えない人間でも、特別支援学校への入学を勧められた人間でも、頑張れば大学院にだって入れる。言語面、知能面、あと関係ないけど視力にハンデがある私でも、根性と努力でここまで生きてこれたのだ。・・・まぁ、そのためには必死に左右の弁別を頭に叩き込むとか、頻繁にメモるとか、日々の努力が必要なんだけどね。
憶えられんもんは憶えられん、ダメなもんはダメ、だからそれに見合った努力をする、・・・これなら遅れのない人間と比べて差が目立たないほどの生活もできるでしょう。「できないからもうや~めた」ってハナから思っちゃダメです。できますって! ただ他の人と方法や努力の量が違うだけで、我々は大勢の健常者と何も変わらない人間なんですよ。現状を変えようと努力もしないで無理だ無理だと言わないように。ホンマに怒りますよ。

・・・それにしても、どうして「みぎ」は「右」なんだろうね? どっから来てる言葉なのかなぁ。「前」「後ろ」の弁別はできるんだけど、「右」「左」って言われると、「どっちを向いたときのみぎ? あなたに対してのみぎ? わたしのみぎ? あなたのみぎ? っていうかそもそもみぎってどっち?」とかいろいろ考えてパニックになる。私にとっての右は対面する人の左であるわけじゃん。「あんたが言ってる「みぎ」は「右」か、「左」か!?」と猛烈に聞きたくなる。

まぁ、左右の弁別がつかなくても死ぬわけじゃないし。左右の弁別がつくかどうかで成績が決まるわけじゃないし。別にええやんね、パっとわからんでも。

欠陥だらけ、いつまで経っても発展途上の人間だけど、前を向いて歩こう。ちなみに明日は眼科の通院日だから、ますます前を向いて歩こう。もう別の病気が見つかりませんように。っていうか、持病が悪化していませんように。


2012年5月 4日 (金)

クリティカルシンキング

大学院に入学してまだ1ヶ月ほどなんですが、すでに修論のテーマを検討中です。どう考えても早いよなぁ。この前2年生以上の先輩の研究テーマについての発表を聞いたけど、この時点でまだ揺らいでる人がいるみたいだし決めるには早すぎるのでは・・・

・・・まぁでも、あっちから決めろと言われている以上、逆っても仕方ありません。考えようではありませんか。先生宛てにメールすりゃいいだけなのでうっかり気を抜いてたんだけど、よく考えたら期限は明後日。これは考えないとヤバイ。


で、早速いろいろ先行研究を読みながら考えてたんだけど、その途中でふと思った。研究者でもないのに、ただの一介の大学院生が自分の勝手な考えで論文を書いていいものか、という根本的すぎる疑問。ここではあえて言わないけど、たとえば私の研究テーマは「当事者でもないのに研究の題材として利用するな!こっちは真剣なんだよ!」とよく批判を浴びるテーマです。うーん、当事者じゃないと研究しちゃいけないのか。

たぶんそういうわけじゃないだろうけど、なんていうかな...当事者をないがしろにした研究がダメっていうのかな。自分の勝手な想像で仮説を立て、当事者以外の人を対象にし、出た結果をもとに勝手な結論付けをしてしまう。それがダメなんだと思う。
私が選んだテーマも、昔から「当事者抜きの研究」に利用されてきたテーマなんだよねー。だから私がこのテーマで修論を書くって言ったら批判されるわけだ。怖くて大学院以外の関係者には詳しく喋ってないんだけど、これが明るみに出れば、たぶん当事者団体とか支援団体から批判と研究中止の要望書が雨アラレ...かもしれない。うーん、そんな自分のために利用しようとか思ってないんだけどなぁ。


まぁでも、批判は必要なものですよ。研究は批判されつつ前に進んでいくものだもん。「ちょっと待て、これは本当か?」「飛躍しすぎてるんじゃないの?」「オレの理論だとこうならないぜ」「やっぱり問題があるからもう一度やり直せ」という姿勢は、上げ足取りにも見えるけど実は必要なもの。一度も批判されない研究なんてたぶんこの世にありません。

たとえば私は個人的にあまり好きでない、精神分析の第一人者S,フロイトさん。この人は精神分析学においていろんな理論を打ち立て、心理学を勉強するならまず知っておかなければならない人であり、彼を尊敬して集まってきたお弟子さんもいっぱいおりました。だけど、その中のほとんどは「この人にはもうついていけん」とフロイトを批判し、彼の元を離れて独自の理論を展開しました。ユングとか、アドラーとか、そのへん。個人的にはアドラーの考え方が好き。
で、何が言いたいかっていうと、誰かを批判することによって新しい理論が生まれる、ってことです。もしフロイトが慎重な人間で、「こういうこと言うと批判されるかもしれないし、黙っておこう」なんて姿勢で研究をしていたら、批判する人もいなけりゃそれに関連する独自の理論を展開する弟子もおらんかったわけです。フロイトが(私に言わせれば)あまりに飛躍しすぎている理論を展開してお弟子さんたちに疑問を抱かせたからこそ、今日の心理学があるわけです。そういう意味では私もフロイトを尊敬しています。・・・いや、個人的に好きじゃないだけですごい人なんですよ。フロイトの名誉のために言っておきますが、彼がいなかったら心理学はここまで発展してないかもしれません。あくまで個人的に趣味が合わない、というだけでして・・・


他人に疑問を抱かせる、っていうのは実はいいことなんですよね。だからやっぱり、私もいくら批判を浴びようともこの研究テーマで最後までやり遂げる...ってことでいいのかなぁ。批判を浴びるっていうのは、みんなに疑問を投げかけるっていう意味で(たぶん)必要なこと。だけど、多くの人から批判浴びたらやっぱり心が折れちゃうし、当事者団体や支援団体から苦情が来たりしたら大学院としても立つ瀬がないわけで、私も研究テーマの改変を迫られるわけか.......うぅ。

考えすぎのような気もしますが、研究者たるものいつもそういう意識を頭の片隅に置いておかねばなりません。自己満足にならないように、あくまで「誰かのために研究する」ということを忘れないように、これからも精進していこうと思います。ふぁいと!


2012年5月 3日 (木)

資源活用

家族内で服の等価交換をします。

・・・って言ったら驚かれるのかなぁ。皆さんの家ではしてませんか? サイズの合わなくなった服、デザインに飽きた服、着古してヨレヨレになった服など、「欲しい人がいたら持っていってね」という感じで家族に譲渡する、というシステム。・・・ありませんか、やっぱり?


基本的にうちの家族は流行に無頓着で、少々流行はずれでも自分の着たい服を着ます。おまけに家が貧乏だからなんでしょうけど、服っていうのは「衣服」としての機能が果たせなくなったときに捨てるという意識が根付いておりまして、破れたりゴミ同然になったりしない限りは捨てません。最悪着れなくても、Tシャツは切り刻めば万能布きれになるし、靴下だって手にはめて使えば立派な雑巾です。
そうならず、「まだ着れる」と判断された服はみんなで分け合います。最初に等価交換と書きましたが、別に何かと物々交換するわけではありません。ただ「じゃあ、次に着れなくなった服は私がもらってあげるわ」という約束をするくらいで・・・。・・・なに、ケチ? 失礼な。立派なリサイクルですよ、リサイクル!


我が家は6人家族なのですが、じいちゃんは参加してない(理由:じいちゃんの服は誰も着たがらない)ので、祖母・父・母・私・弟で服を分け合っています。まぁ、大体は私や弟が着なくなった服を誰かがもらう、ということが多いですね。そのお陰(?)で、祖母も父も母も滅多に新しい服を買いません。だって私や弟からの服が回ってくるんだもん。
その逆で、年寄り連中から服が回ってくることはあんまりないなぁ。コートとかジャージとか、あんまりサイズ気にせず着れる服はもらったことあった気がする。あと、未使用の靴下とか。

あと、あり得ないとか言われそうですが、実は私と弟との間でも服をあげたりもらったりすることがあります。私は何をあげたか具体的には憶えてないんだけど、私はあいつの着なくなったTシャツやら上着をもらったりします。私の持っているTシャツの3割ぐらいはあいつからのおさがり。一応あっちはメンズでこっちはレディースなんだが、サイズに問題はまったくない。・・・趣味と体格が似てるからできることちゃうかな(汗)


先日も、弟が自分の服を整理して「いらんからみんなで分けて」と家族共用の部屋にどっさり置いていった。私はその中から上着とTシャツの一部をいただき、父が残りのTシャツと靴下を持っていき、誰もほしがらなかった服は母がバッサバッサとハサミを入れて万能布きれとして片付きました。

昔、足の悪い文鳥を飼っていたころはその子の尻拭きマットとして再利用されることが一番多かったですね。あの子は死ぬまで両足で立ち上がったことがなかったもんですから。いつも皿巣の上に座っていて、ときどきフンだらけになった布きれを換えてやるのです。あの子が亡くなってもうすぐ3年。布きれを切っているのを見るとその子のことを思い出してしまいますね。
命日は5月6日なので、このGWの間に3周忌です。今思い出したのがなんかのお告げかと思うぐらい、すぐのことですね。私の馬鹿な話はともかく、これからもずっとこの子のことを忘れないでいたいものです。


・・・ちなみに誰も選ばず、まだ衣服としての機能は残っていると判断された服は、我が家から遠く離れた田舎(祖父の実家、日本海沿岸)へと送られます。もちろんあっちで再利用されるんですよ。田舎に行くと、「あれ、なんか見たことある?」っていう服を着た親戚と出会えます。利用できるものはとことんまで利用するのです。

貸した服がそのまま借りパクされたり、自分も借りといて忘れたり、我が家では当たり前のように起こります。自分の服に対する執着心がほとんどないんだよな。「どうせいずれ誰かのものになるんだし」みたいな。
それならもういっそクローゼットも共有しちゃえばいいんじゃねぇか、と思うんですが、さすがにそれはしていません。我々は持ち主に「いらない」「貸してあげる」と判断された服をもらっているのであって、無断で勝手に着て持っていったりするのはマナー違反です。このへんの線引きが一番重要。我が家において、借りパクと泥棒はニュアンスがまったく違うのだ。

もし我が家に誰かが嫁いで一緒に住むことになったら、たぶんこの奇妙な家族システムに驚くことでしょう。「いらない服があっても捨てないでね。誰かが着るかもしれないから」とか説明されて、すぐに納得できるんでしょうか。逆に、「いらない服があるから好きなの持っていって」と言われ、戸惑わない方が変かもしれません。

・・・まぁでも、無理やり言い訳をすれば、「いらない服を何かに活用する」という考え方は3年ほど前に亡くなった足の悪い文鳥の子が教えてくれたことだし、大事にしていきたいと思う。Tシャツや古タオルはもちろん、パンツやらブラやらを尻に敷いて座っていたあの子のことはいろんな意味で忘れられない。普通、使えなくなった下着は捨てるだろう。それを有効活用(?)し、文鳥の尻に敷いていたんだから、我々は衣服に関して少々のことがあったって驚かない。文鳥の神サマからは怒られるかもしれないけど・・・

いやー、それにしてもほんとに忘れてた。5月6日に3周忌なんだよなぁ。「オレのこと忘れんなっ!」ってお告げだったんでしょうか。この子の彼女の命日(10月29日)は憶えてるんだけどな。数が多いから全部は憶えられなくなって・・・。あ、いや、ゴメン、ちゃんと忘れないようにします。みんなのこと今でも大好きだよ。

・・・さて、ブラのカップにちょこんと入っていたあの子のことを思い出しつつ、残りのGWを楽しもうっと。

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2012年4月28日 (土)

薬物療法依存

今日の報道特集でやってたんだけど、気になったので取り上げてみました。最近の精神科・心療内科は薬に頼りすぎ、その薬のせいで医療事故(OD:オーバードーズ...など)が頻発している、という問題です。

・・・まぁ、確かに薬出しすぎだと思うよ。私は精神科に患者として行ったことはないけど、通院してる人たちの話を聞くと「眠れないって言えばすぐ睡眠薬出してくれる」「何も言わなくても次の1ヶ月分の薬を処方してくれる」などと、おもわず目を丸くするようなことばかり聞きます。おまけに、薬に関してなんの説明もない、とかね。少なくとも「これは副作用で○○という症状が出るかもしれません」ぐらい伝えたらどうかね? それは薬剤師の仕事だし~なんていう奴は医師としての自覚が欠如していると思う。
世の中の馬鹿な精神科医やら心療内科医やらに言いたい。あんたらが医師として患者に出してるのは、抗精神病薬やら抗うつ薬やら抗てんかん薬やら、一歩間違えれば命にかかわる諸刃の剣だということを自覚しているのか?


医師が薬ばっかり出すという理由、私に思いつくのは2つですね。

1つは、カウンセリングが面倒くさい、という理由。カウンセリングっていうのは患者ひとりひとりに合わせ、じっくり時間をかけて話に耳を傾けなければなりません。ただ他人の話を聞き流せばいいわけじゃなく、患者の話をもとに今後の治療方針や見通しを立てねばなりません。楽じゃないのよ、カウンセリングってのは。それが面倒くさい、または適切にカウンセリングする能力がない、という理由でこの段階をはしょり、すべて投薬によって片付けようと思っている医師は薬物療法のみに逃げるでしょうね。
2つ目は、金もうけのため。まぁ、あんまり頻繁にいるわけじゃないですが、わざと依存性の高い薬を患者に処方し、じわじわと薬→自分の病院と依存状態にして金を搾り取る医師がいないわけじゃありません。患者を患者と見ていない、というかそもそも人間として見ていませんね。ああいう薬は依存性が高いから怖いんですよね。薬とカウンセリングその他をうまく組み合わせて、それが患者さんにぴったり合えば素晴らしい治療法になるんですよ。でも、間違った使い方をすると薬だって麻薬と一緒です。死ぬまでやめられない...ということになる可能性はあります。出す人も、飲む人も、その危険性については知っていないといけないと思います。

・・・さっきも言ったけど、薬=悪いってわけじゃなく、うまく使えば薬物療法は素晴らしい治療法になるんですからね。人間味のない人間の手にかかればどんなものでも悪魔の治療法になる、というだけのものです。正しい精神科医の手にかかれば幸をもたらすけど、悪い精神科医の手にかかれば災厄をもたらす・・・って、なんかゲームのキーアイテムみたいだな。トライフォースとか、そのへん。


精神科や心療内科(主に精神科)の実状がこんなことになった理由として、臨床心理士の資格が国家資格になっていないことが挙げられるでしょうね。これは私が大学院卒業後に取得しようと頑張っている資格なんだけど、医師免許みたいに国家資格ではありません。でもまぁ、なりつつあるんだけどね。

この資格は、そもそも受験資格に「心理系の大学院を卒業していること」「特定の科目を履修、単位を取得していること」「実習を○○時間以上行っていること」というのがあります。大学院で理論と実践の両方を積まないと受験することすらできないんだから、けっこうハードルの高い資格だと私は思うんだけどなぁ。
で、本当かどうか知らないけど、この資格がいまだに国家資格になってないのは、「臨床心理士が国家資格になって需要が上がると我々の仕事がなくなる」と危惧した精神医学会が間に入って止めているからだ...という説があります。先生から聞いた話なので本当かどうか知りません。まぁ、整形外科と接骨院がバトルしているようなもんですね。

でまぁ、最近になって国家資格になりつつあるっていうのも、資格の認定を止めていた精神医学会が「このままだと薬物療法依存になってしまう」とようやく危機感に気付いた...という説(あくまで)があります。つまり実践を積まない精神科医が薬物療法に頼り切ってしまい、それによって症状が悪化する患者が増え、こりゃカウンセリングに精通した専門家がいないとさすがにヤバいだろ、ということで臨床心理士の国家資格認定が進み始めてるらしいんですよね。本当なのかなぁ。本当だとしたら、こんな単純なことに気付くのにどれだけの患者さんを犠牲にしてきたんだ、と怒りをぶちまけたい気分ですね。

今日の報道特集では、ODによって自殺した患者さんの家族、17種類もの薬を飲み続けた結果依存症になってしまった患者さんの事例が出ていました。こういうのも大変結構だと思うけど、心理学を学ぶ人間としてはぜひの特集もやっていただきたいですね。

こちらは治療を提供する立場であり、患者さんはいつも被害者、という感じで捉われがちですが、こっち(精神科医、心療内科医、臨床心理士など)だって被害者になることはあるんですよ。だって、私も実習に行く前に賠償保険に入らされましたもん。これ、私が患者さんを傷付けた場合はもちろんですが、患者さんにこっちが怪我させられた場合にも保険がおります。最初はほんまかいな、と思ってたんですが、けっこう臨床の現場って危険と隣り合わせなんですよね・・・
私は経験していませんが聞いたことがあるのを挙げていけば、いきなり衝動的に飛びかかってこられたり、電話口で延々怒鳴られたり、仕事帰りにあとをつけられたり、「個人的な電話番号教えろ」と迫られたり、もっと効果的な治療法を施せと怒られたり、ドタキャンされたり、責められたり、・・・まぁいろいろですね。精神科や相談室というのはそもそも精神のバランスを崩した人が来るところであり、こういうのがあるのは当たり前といえば当たり前なんですが、同時に賠償保険に入るのが当たり前というのにも驚くと思います。子どものプレイセラピーとか特に、スコップ持って振り回したり泥団子を投げつけてきたりするんだから、怖いといえば怖い。

まぁ、そんな危険と隣り合わせな仕事を胃を痛めながらやっているのに、「即効性のある治療をしろ、このヤブが!」などと罵られると悲しくなりますね。心理療法ってのは長期的にじわじわやっていくのが一番いいのであって、パッとやってパッと治る心理療法なんてひとつもありません。さっき挙げた悪い精神科医なんかは知りませんが、こちらはひとりひとりのクライエントの症状を吟味し、治療方針を決め、今後の見通しを立てます。その際にひとりで暴走したらいけないので、スーパーヴァイザーに頼んだりカンファレンスに事例を持ってきたりしてできるだけ多くの人と情報を共有します。もちろん守秘義務は守ります。
・・・そういうことを胃を痛めるほどしているのに、ありがとうございますの言葉もなくそれかよ!? 「即効性を求めるなら病院(なり相談室)に来るな!」と叫びたいのですが、それを言っちゃぁオシマイですからね・・・。黙って受け止めますよ。気の済むまで怒ればいいさ。困るのは私じゃなくアンタなんだから。

ちなみに守秘義務についていえば、今日の報道特集でODによって自殺した患者の家族が医師に対し「自殺するかもしれないということを見抜けなかったのか」と言っていましたが、医師は「自殺の衝動があるかどうかを家族に伝えるのは守秘義務に反するからできませんでした」と答えていました。
さー、あなたはこの医師の対応は正しいと思いますか?

精神科医はわかんないけど、この人が臨床心理士だったら間違ってますね。「日本臨床心理士会倫理綱領」の「秘密保持」のところに書いてあります。「業務上知り得た対象者及び関係者の個人情報及び相談内容については、その内容が自他に危害を加える恐れがある場合又は法による定めがある場合を除き、守秘義務を第一とすること」。自他に危害を加える、つまり患者が自殺を考えているとわかったら、(少なくとも臨床心理士は)秘密保持をかなぐり捨てて家族に伝えなくてはなりません。あとで守秘義務違反だなどと責められても、自殺を食い止めることができたらそれでいいじゃん。規則と他人の命、どっちが大事なんだ!?という話です。前回の記事でも書いたけど、やっぱり大事なのはモラルと本能だ。
・・・精神科医の倫理はどうなってるんだろうな。自殺考えてても守秘義務があったら言っちゃダメ、という規則でもあるんだろうか。少なくとも臨床心理士がこの医師と同じことをしたら絶対ダメです。患者が自殺を企てている、またはこちらに危害を加えようとしている、ということがわかれば速やかに誰かに相談してください。どっちも死んじゃったら元も子もないからね。

・・・とまぁ、大学院にいるとこういう報道が気になって真剣に見てしまいます。こういうのはテレビ局が作るわけだし、「どこまで本当なのかなぁ」という冷めた頭は持ってるんですけどね。「こういう書き方は視聴者に誤解を招くんじゃないの?」と思う場面ももちろんあります。話題を視聴者に提供するという立場であればテレビはやっぱり強いわけで、少々批判を受ける危険性があっても正しい報道を心がけていただきたいです。
私も軽々しく情報に流されないように気を付けないとね。

2012年4月25日 (水)

モラルと本能の欠如

最近、京都で2つも恐ろしい事件が起きましたよね。ひとつは祇園で、車が暴走して19人を死傷させた事件。もうひとつは亀岡で、無免許&居眠り運転の車が集団登校に飛び込んで10人が死傷した事件。どっちも痛ましい事件です。まさか自分の住んでる地域のそばでこんなことが起きるなんて思わないし、今でも信じられないです。

あの人たちは、他人の車に追突したら謝る、無免許では車を運転しない、という当たり前のことがどうして守れないのか。最近の日本人(に限らないかもしれないけど)に欠けているのは、ズバリ「モラル」と「危機感」でしょう。前者はいわゆる「倫理」ですが、後者は「動物的カン」と言うべき「○○したら危ない」「××することは相手にとって危険だ」と直感的に悟る能力です。今の人間には徹底的に欠けていることだと思います。
たとえば子どもの間では、「手加減」とかね。最近の子どもは取っ組み合ってケンカとかしないでしょ。最近のガキンチョは、自分から相手に向かっていくのではなく、陰でネチネチ相手を恨むという草食的なことしかできない傾向にあります。取っ組み合いのケンカって大事なんですよ。動物的カンを養うのに最適です。どこまでなら手を出していいか、自分は何をされたら嫌か、殴られると痛いか、蹴飛ばされると痛いか、髪の毛を引っ張られてたら痛いか、地面に倒れたときの痛みはどれぐらいか・・・ということを実際に経験することで気付き、次第に相手が痛がったら手を緩める、ということができるようになります。今の子はそんなこともできないのが増えてるんだよね。

嫌なことがあったら真正面から向かっていけ! 逃げたっていいことないぞ! 立ち向かって負けたり勝ったりして、自分と相手の痛みを両方とも知ることができる大人になれ!
いつかわからないけど、私に子どもが生まれたらそういう子に育てたいものです。ぜひとも自分と相手の痛みがわかる人間になっていただきたい。そのためなら私の身ぐらいいくらでも差し出すぞ。まったく、最近は甘やかされた未熟なガキンチョ(←精神的な意味で)が増えて困る。


話を戻します。
私が学んでいる臨床心理学でも、一番うるさく言われるのが「倫理」です。授業で「日本臨床心理士会倫理綱領」を何回読まされたことやら。基本的人権の尊重から始まり、専門家としての立場を忘れるな、秘密保持は何があっても守れ、インフォームドコンセントは当たり前のごとく遂行しろ、クライエントとはカウンセリングの枠を超えて親密な関係になってはいけない、クライエントが嫌がることをするな、情報の開示をしろ、クライエントを騙すな、専門家としてのプライドを持て、などなど挙げたらキリがない。

でもまぁ、いくらご立派な倫理綱領があったって、守るのは生身の人間です。「オレは嫌だから守らない」と言ったって、ぶっちゃけバレなければ処罰されないわけです。守るかどうかはその人間次第、というのが今の人間の「規則」ってヤツですね。そもそも作るのが人間なんだから仕方ないか。
毎日ヒーヒー言いながら受けている講義でも、「理論を学んで実戦を積んだところで、一番大事なのはそれぞれのがモラルを持つことだ」と先生陣がうるさく言っています。いくら倫理について勉強したって守れなければ意味ないんですもんね。これが守れなくなると、やっぱりモラルや危機感のネジが緩んできたっていえるのかなぁ・・・


なんで「やるな」って言われてることをやる奴がいるのか。やるなと言われてなくても、常識的に考えてやっちゃいけないだろ、と思えることを平気でする奴がなぜいるのか。時代がそう思わせるのかなぁ。なんでも「なぁなぁ」になっちゃって、「これはやめとこう」って気持ちが薄れて「ちょっとぐらい違反しても大丈夫だろ」ってことになってきちゃってるのかな。
せっかく知能の高い人間に生まれたんだしさぁ、モラルも何もかも無視して自分のやりたいことを突き通すとか、まるで知能の足りない動物のようなことをするのやめようよ。いや、本能的な危機感がないところは動物以下だ。自然界に生きる動物は無駄なことは何もしないよ。群れの中のメスが他のメスが産んだ子どもを食い殺すのも、優勢な遺伝子を後世に遺すためという立派な理由があるんですよ。それに引き替え、「自分の欲望を満足させるため」「なんとなくムシャクシャしてやった」というアホみたいな理由で犯罪に手を染める人間、群れの中の動物より下等だと思う。しっかりしろよ、人間。

何か精神疾患や発達障害を抱えているなら別ですが、そうでもないのにモラルや危機感を失った人間はもはや人間じゃないですよ。私は日常的に自転車に乗るのですが、ケータイやスマホをいじりながら自転車乗ってる奴を見るといちいち腹が立つ。あれこそモラルや危機感の欠けた人間のいい例だと思うんだよな。何かしながら自転車には乗らない、周りの人間に危害を加える可能性がある、自分は危険行為を行なっている、ということにどうして気付かないんだろう? だから危機感がないっていうんだよ!アホめ!... 最近はすれ違いざまに「そのままひとりで事故死して、墓場までそれ(ケータイやスマホ)を持っていけ」と呪いをかけています。逝くなら他人には迷惑をかけないで逝ってほしいです。


そういえば前に読んだ本で、「近ごろ、個性が強調されてきたせいで急激に自分勝手な人間が増えた」という文章を読みました。いわゆる「ナンバーワンじゃなくオンリーワン」というヤツです。あれの意味を「なるほど、これからは自分の好き勝手に生きていいんだ。それがオレの個性だ」と取る奴がいたんですかね。さすがにそういう意味じゃないと思うけどなぁ。
まぁ、どこまでが個性なのかってことですよね。自分勝手に振舞うことがオレの個性だ、などと宣言する人がそばにいたとしたらどうします? 個性なんだから何をしても許されるんだ、と言ってあなたを傷付けてきたら? もしそれがあなたの娘や息子だったら、あなたは親としてどう答えて間違った考え方を直してやりますか?
私も明確には答えられませんが、「自己中」と「個性」の違いは一体どこにあるんでしょうね。今の世の中であまりにもねじ曲がった考え方をしていたら、最悪「パーソナリティ障害だ」なんつって分類されることになります。すべてを「個性」だと捉えるなら、たぶんそんな病名は存在していないと思います。また、すべての個性に意味づけをすると、たぶん全人類がパーソナリティ障害になると思います。それほどややこしいのよ、人の個性ってのは。

まぁ、数多の性格を持つ人間をひとつの枠組みで捉えようとするのがそもそも間違ってるんですよね。だからってなんでもかんでもやっていいってわけじゃありません。じゃあ何をすればいいかって? ...やっていいことと悪いことのけじめぐらい自分でつけろ。

自分自身もモラル満タンの人間ではありませんが、少々の欠如は仕方ないにしてもまるっきり欠けているのはヤバいと思いますよ。「無免許運転なんてバレなきゃいい」なんて思ってるそこの人、次の犯罪を誘発する前にやめておきなさい。誰も言う人がいないなら私が言ってやる。あと無灯火、並走、片手で電子機器を操作しながら走る自転車乗り、あんたらも他人の命を奪う前に自分のやってることを見つめ直せ。
これはこちらの話ですが、たとえば自分のやっていることを客観視できない人間は絶対に臨床心理士になれません。というか、なっちゃいけません。他人の心の問題を扱う以上、自分の行動を客観視して批評できる人間でなければ信頼なんて勝ち得ることはできません。だからカウンセラーにはスーパーヴァイズや教育分析が必要不可欠なんですよね。この言葉の意味がわからない人は自分で調べてください。


今日はえらいキツイことを書きましたが、どうか自分の行動を第三者の目で見つめ直す機会を作ってみてください。誰かに迷惑をかけていませんか? それは本当にしていいことですか? 自分のやりたいことをゴリ押ししていませんか? 今の自分はどういう心理状態ですか? それは誰かを喜ばせることですか? ・・・まぁ、ここまで詳しく考えることはないと思いますが、これをプライベートや仕事のときに習慣づけることができたらカウンセラーに向いているかもしれません。一緒に夢を追いましょう。

ときどきは一歩引いた場所から自分のことを見つめ直してみてくださいね。今までわからなかった自分の心理状態がわかるかもしれませんよ。それが「やっぱりダメなことだな」って思えたら改善しましょう。そこまでいけたらあなたはスバラシイです。その領域まで達したら、ぜひとも自分を褒めてあげましょう(`・ω・´)b
・・・さて、私もいつまでも遊んでないでレポート書かないと。第三者から見た私・・・。いろいろ理由つけてレポート作成サボってる悪い人間にしか見えないな。本腰入れてやろうかね。


2012年4月23日 (月)

彼らが好きすぎて

GARNET CROWが好きすぎて、曲を勝手にイラストにすることに最近はまっています。最初に謝っておきます。ファンの皆さん、ごめんなさい。自分勝手な愚行をお許しください。


好きな曲は数多くありますが、今のところ勝手なイラスト化を試みたのは『アオゾラカナタ』と『Jewel Fish』です。どちらも大好きな曲です。ランダム再生にしておいて、この曲が流れるといきなりはしゃぎ出します。ウザいです。
勝手な観点からいうと、『アオゾラカナタ』は誠実で純真な男の子(←通称アオタくん)、『Jewel Fish』は冒険好きでアクティブな男の子(←通称ジュエフくん)、という感じです。・・・まぁ、曲から何を受け取るかは個人の自由だし、別にいいやんね。

次は『Clockwork』に挑戦しようかと思っています。男の子ばっかり描いてるから、ここらで女の子も登場させたいですね。ちょっとダークな女の子(←名付けるとしたらクロワちゃん)という感じ。あと、できたら『Nora』もやってみたいんだけど、こちらは主人公が人間じゃない(←名前は未定)ので何をどうすればいいのか自分でも迷っています。純愛・・・、純愛なんだけど、うーん・・・
あとはそうだなぁ、カラオケでよく歌うといえば『Misty Mystery』とか、『Mr. Holiday』とかなんだけど、あんまりやりすぎると別のファンの方に怒られそうな気がするし・・・。ただの趣味にしてこれ以上は出さないようにしようかな。脳内キャラはアオタくんとジュエフくんだけで充分といえば充分だ。


・・・え? で、実際の絵はどこかって?
ここでお見せできるような代物じゃないので、upはいたしません(笑) アオタくんはTwitterのサムネ、ジュエフくんはfc2ブログのサムネにしているので、興味ある方はどうぞ。あんまり期待はしないでください。

さて、今日も遅くなった。くだらない話をしてないで寝よう。本当は心理学について真面目な話をしようと思っていたのに、興が乗ってしまって止められなくなったんだよね。明日以降には真面目な話をするので、乞うご期待。
(...誰か期待する人がいるのか?)

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