2017年12月 7日 (木)

10連休の悪夢

先日このニュースを聞いた瞬間、職場で軽い眩暈を覚えた。私の職場は医療機関の部類に入るため、休日もしくは祝日はもちろん休み。つまりその間、給料はもらえない。

まだ本決まりではないのだろうが、10連休をもらえて喜ぶ人って国民の何パーセントなのだろう。私ひとり地獄の底に突き落とされたような衝撃を受けているだけで、世間の人にはむしろ喜ばしいことなのか。





じゅうれんきゅう。


私の職場では非常勤の人なら給与ゼロ、常勤の人でも強制的に有休消化とみなされる。ちなみに我が職場の有休の支給額は100%ではない。常勤・非常勤にかかわらず、普通に働いた額より少ない手取りになることは共通している。

おまけに上司は「職員に給料払わないですむからラッキー」ぐらいに思っている人である。そういうところに雇われてしまった私が悪いのか。それとも私の認識が間違っているのか。祝日って国民のためにあるものじゃないの?



社会人になって以来、しみじみ「この国に生まれた不幸」を味わっているが、どうやらこの一件もそのひとつである。

やんごとない方々のやんごとない事情のために生活が破綻しかける実情、あの連中の目には何も見えていないらしい。やんごとない血筋さえ守れたら下々の生命などどうなってもいいのだろうか…。







こういうことを誰かに相談すると、「だったら金に困らない職業に就けばいい」という。確かにそうかもしれん。連休が増えただけで生活に困るような職業に就いているのは私の責任であろう。


ただ、これだけは想像してもらいたい。医療機関が10連休で休診となった場合、困るのは給料もらってる職員だけで済むのかね。たとえ職員が希望したとしても、給料払いたくない上司が出勤を拒んだら何ひとつできない。

いや、ボランティアとして動けば別かもしれないが。


正直、私が日々かかわっている人たちに、国ややんごとない方々の事情は関係ない。休日を増やすことで国民生活を楽にしていると考えるなら、あの方々の脳みそはものすごくカラッポである。

お偉いさんの気まぐれに翻弄されるのが私だけなら話は早い。とはいえ残念ながら現実はそうではない。私だけで済まないから余計いろいろ考えてしまう。


普通の3連休が巡ってくるだけでえらい騒ぎなのである。そこんところをどうサポートするか、どうすれば長すぎる連休をつつがなく過ごせるか、あれこれ考えるのは国ではなく現場。奴らにそのへんが理解できているとは思えない。

自分ひとりならたぶんどうにかなる。短期のバイトを探すか、それとも省エネで耐えるか。管理人は今の職場でいろんな人とかかわるようになり、さまざまな省エネ方法を学んできた。彼らを見習って、生命維持ぎりぎりの範囲で節約すればあるいは…。







何度も考えてしまうが、本当に10連休になったとして、それで得をする人ってどんな人なのだろう。給与が保障されている公務員、正規雇用者、自営業、学生、つつがなく毎日の生活を送れている人、働かなくてもやっていける人、そのへんか。


管理人にはどうしたって損でしかないのは、本人に問題がある…とみなされるのかね。まだ何も決まっていない段階であれこれ考えるのは取り越し苦労かもしれないが、考えざるをえない状況にある民の身にもなってみやがれと言いたい気分です。

そんなこと考えなくてもいい身分になれたら一番いいけど、そこまでいったら何か大切なものを失いそうな気がするので、今のところこのままでいい。


最悪の想定をしていれば怖くないかもしれないし。


2017年11月22日 (水)

加齢

うーむ、このブログはなぜネガティブなことしか書けないのだろう。開設から6年になるらしいが、昔はもっとポジティブで自分の眼の病気のことばかり書いていた。

網膜剥離で入院&手術することになり、あれやこれやと奮闘しまくっていたかつての管理人。それがひと段落したからだろうか。いつこんな風に「現状悪化の底が見えない」などと発言するようになったんだ。





自分の経験上、大抵のことが起きても「これ以上は悪くならないだろ」と思えば楽になれるはずである。なのに去年のあの絶望を皮切りに、なにやらどんどん現状悪化が進行している気がする。

当時のブログを見返してみれば、職場での立場に悩み、飼っていた金魚が死に、入院していたじいちゃんの見舞いに行き、そして年末にじいちゃんが亡くなり、年甲斐もなく泣いたりわめいたりバタバタもがいたりしていたようである。



これまた自分の経験上、大抵のことが起きても時が経てば「なぜあのときこんなに苦しんでいたのだろう」と考えて楽になれるはずである。日にち薬ともいう。

なのに1年経った今も何ひとつ変わらないどころか、これ以上悪くなりようがない現状が余計悪くなっている。一体これは何故だろうか。





…もはや考えるだけ無駄。考えれば考えるほど、どん底の未来が見えて嫌になる。だったら考えない方がいいと思う。

最近、子どものころ癖になっていた歯ぎしりが再発し、起きているときも寝ているときもギリギリ奥歯を噛みしめている。自覚すればやめるのだが、無意識の癖というのはそう簡単に治らないものである。



もはや今の管理人の楽しみといえばサスペンスドラマの鑑賞しかない。月曜名作劇場、水曜の相棒、木曜の科捜研、あとたまにやっている昼間の再放送、そのへんを見ているときだけ現実を忘れられる。


やたら見るようになって気付いたが、サスペンスドラマというのはとっかえひっかえ同じ俳優さんが違う配役で出ている。つまり「Aのドラマでは犯人役、Bのドラマでは刑事役」みたいなことがよく起きる。

あっちのドラマではライバル関係だったのにこっちでは上司と部下の関係、ときには夫婦だったり殺される役だったり、「あー!この人どこかでー!」と記憶力を養う訓練にもなります。

何の変哲もない普通のドラマでも、敵対している人物同士がすれ違ったり、背後から近付いただけで「このあと殺されるのでは?」と疑ってしまう。ほんのわずかなきっかけで愛が恨みに変わること、自分の理性が制御できなくなること、サスペンスドラマはそういうことを如実に語っているからな。



まぁ、いくらドラマで殺人犯が逮捕されようと私の現状が改善されるわけではないのだが。天皇が退位しようが北朝鮮とアメリカが戦争しようが私の待遇が変わるわけではない。

開設から6年経ち、眼のあれこれはおかげさまで落ち着いている。しかし管理人も加齢?とともに社会の荒波にもまれ、不満が噴出し、なにより自分のせいで現状悪化を招いている。6年前は純粋な学生だったのになぁ。





何年経っても変わらないところ、悪い方向に変わってしまったところ、いろいろありました。良い方向に変わっていった周りの人を見て、うらやましいなと感じることもありました。

変わらないままでいるべきか、変わった方がいいのか、学生のころはあまり抱かなかった悩みや迷いも、現場に出れば嫌でも突きつけられる。本当は自分が変わってしまうことが怖い。でも、変わらないままでいることもまた怖い。



ドラマやゲームはちゃんとエンディングが用意されており、主人公の行ないは正しいことが多いけど、現実に生きる我々は誰からもお墨付きがもらえない。自分がやっていることが本当に正しいのか、それとも完全に道を誤っていて最後はどん底に落ちるのか、そこがわからん。

長い長い迷路を手さぐりで進んだ挙句、袋小路に突っ込み、スタート地点が間違っていましたよーと今さら告げられるのはなおのこと恐ろしい。ゲームと違って「さいしょからはじめる」コマンドはないからねぇ。






先日、どうしても行きたいというばあちゃんを連れ、一緒に紅葉を見にいった。あの人は何かあるたび「あんたと出かけるのはこれが最後かもしれないから」と口癖のように言う。

別にそれを真に受けたわけじゃないけど、あっちも80越えてるし、確かにいつお別れするかもわからないから。


地元の紅葉スポットといえば寺社が多い。とはいえ拝観料がバカにならず、1000円払えという寺で「やめようぜ!」と忠告したのだが、ばーちゃんがど~しても中に入りたいとダダをこねたため、魂が抜けて真っ白な灰になったような気分で野口英世さんを支払った。


あう…あ…ありえない…1000円…せんえん…。が…がいこつに…リアル灰になる…灰に…。

(※ 入口の門を抜けたところで実際に呟いた)




管理人が一番好きな季節は秋。そもそもこの時期出歩くのは好き。だがな、私ひとりなら金のかからない紅葉観賞をします。寺なんか絶対入りません!

このときほど「さいしょからはじめる」コマンドを選びたかった日はない。ネットで拝観料を確認せずばあちゃんを連れてきてしまった自分を殴りたい。




1000円は失うわ、歯の噛みしめすぎで奥歯と周辺の筋肉が痛いわ、ストレスが原因と思われる発疹と下痢は治らないわで、管理人は身体的にも経済的にも不調。

いつものことだが。不調でなかったときの方が珍しい。



1000円払って寺に入り、そこの仏様にお参りして何か願いが叶うならもうけもんだが、毎日ささげられる何万もの野望にいちいち対処しておられんだろう。

もし叶うなら?

人並みの幸せってものに触れてみたいです。



2017年11月 6日 (月)

続・やさしくない世界

ちくしょう、また生産的なことをせず連休が終わっちまったぜ。

しいていえばiPhoneとパソコンに振り回され、ヒトが機械に困らされていいのか!?と疲労の真っ只中で思ったような気がする。iOS11に更新したあとの余波(弊害といってもいい)がジワジワ来ているらしい。





…にしても、すでに風化してきた感は否めない、2時間サスペンスも真っ青の猟奇的事件。マスコミの方々、興味が薄れるのが早すぎるんじゃないかい。

私に言わせりゃ芸能人のスキャンダルや某大統領の来日より問題だと思うのだが。以前レポート執筆のため調べた情報によると、10代~30代の働き盛りの若者の死因第1位は自殺である。





私のような人間にとって、この社会は極めてやさしくない世界だと思う。

前回は「仕事の見返りが少ない」という意味で書いたが、それ以前に「ただ楽に生きることすら許されない」という意味でもこの社会はやさしくない。


私の側にも問題があるのだろうが、何をしようとしても出遅れ、挫折や失敗を重ね、他人と同じレベルに到達するまでに倍以上の時間がかかる。徒競走と同じでたとえゴールしても、誰よりも遅れているのだから評価されることはない。

まぁ、そういう人生である。運動会の前日、毎年のように雨乞いをする子どもだったことからもわかるだろう。一応ちゃんとゴールはするが、学年の誰よりも足が遅くビリになるせいで非難を浴びる。

途中で走るのをやめてゴールしない奴の方が怒られて然るべきだと思うんだけどな。私はなんといっても真面目だから(?)、非難されることがわかっていてもちゃんと最後まで走りきる。私のこういうところを理解してくれたのは人生でたった1人である。




かつて何をしてもビリで他人と比較され、そのたびに劣等感を募らせてきた人間が社会に出るとする。こういう人間は誰かに言われなくても他人と比較する癖がついている。何かあるたび功績や成績に優劣をつけ、他人を踏みつけてでも抜きん出ようとするか、あるいはどうせ駄目だからと卑屈になる。

とはいえ、この社会は中途半端に優しくしようとするから厄介である。つい弱音を吐くと、なぜか周囲は「他人と比べなくてもいいんだよ」という。あなたはあなたでいい、オンリーワンなんだからと。

この投げやりなエール…どうにかならんのかね。




そういうことを言ってほしいんじゃないよ。こういう人間がなぜ、こういう人間になってしまったのか。他人と自分を比較する人間は、かつて嫌ほど比較されてきた経験がある。それをオンリーワンだからの一言で片付けられたら困るわ。

わからないというなら運動会の徒競走を思い出せ。ゴールして褒めたたえられるのはせいぜい1位や2位だろう。誰が間抜けなビリのゴールする瞬間を記憶に残したいと思う?


優劣をつけることが悪いとは言わん。ただ、一部の人間にとって、この社会はそういう世界なんだということである。オンリーワンだの個性だのといわれても、結局みんなに見てもらえて高評価されるのは上位の人々だけ。

私を含め、一部の人間はそういう世界に生きている。




現実にそうであるかは問題ではない。

そういう世界に生きている自覚があるということ。








ああいう事件はもちろん起きてはならないことだが、「なぜ人は自殺するのか」という問いを世間に投げかけたのではないかと思う。

どこかのニュースで見た、「死にたい」は「幸せになりたい」の裏返しであるという言葉。私はこの考え方にすごく共感した。


実行したことはないが、私自身「死にたい」と呟いたことがないわけではない。今日このまま命が尽きて、明日を迎えずにいられたらどんなに幸せだろうか、と思った。ただどんな方法を使おうにも怖すぎて行なえなかっただけである。

この事件が起きて初めて知ったが、今やSNSで簡単に仲間が集まる時代なのね。1人では怖い自殺も集団で行なえば怖くない、か…。赤信号を渡るのと同じで、責任感や恐怖心、倫理観や良心の呵責といったものを分散させる魂胆があるのかね。



…いや、私だって今でも死にたいほど悩み苦しむことはあるが、実際にやり遂げようという気はない。もちろん仲間を集う気もない。

いまだに独り身で安月給、学歴もない私は何ひとつ親孝行できていないが、もしかしたら自分で死を選ばないだけでも親孝行になるんじゃないかと思うからである。「なんでこんな人間にした!」と親を責めたこともあるが、今さらそんなこと言ったって仕方ねぇし、私が私なのは自分のせいだからな。





去年、じいちゃんの葬儀があってしみじみ思ったが、人ひとり死ぬのは大変なことである。まず金がかかるし、親族や関係者に多大な負担をかけるし、9人が同情してくれても1人は絶対文句を言う。全員が快く涙を流して送ってはくれない。

私なんか入る墓もないしな。別に今すぐ予定はないが、やるとしたら手続きをあれこれ終えたあとでないと親族に迷惑がかかる。考えるだけで面倒くさい。




こういうことを踏まえると、「死にたい」はやはり「幸せになりたい」なのである。自殺なんか企てなくても生きていける世界、自分を死に向かわせる問題がすべて解決した世界、なんかそういうのって憧れるよな。


だからこそ、本当に実行する危険があるのは「死にたい」を言わない人だろう。私が思うに、SNSや周囲に「死にたい」を漏らす人はまだ「幸せになりたい」願望がある。

だが、周囲に知らせずひっそりと死を選ぶ人、そういう人もいるだろう。今の時点から幸せになれる気がしない、そういう希望を抱く余裕もない。あとから思えば「どうしてあのときあんなに死にたかったのだろう」と首を傾げる。


こういう場合はちょっとでも片鱗が見えたときに支援しないと手遅れになる。まぁ、食い止める気があればだが。





私の同業者に、自殺防止の電話相談に関わっている人がいる。それによると、電話をかけてくる99%は暇つぶしのように「死にたい」を連呼し、相談員を相手に世間話をして気が済んだらガチャンと受話器を置く。

…正直に告白するが、そんなの意味あるんですか、と言ったことがある。24時間受付の相談窓口では夜中の2時とか3時とか普通にかかってくる。それで相手の気が済んだらお礼の一言もなく電話を切られる。ボランティアなら給料も出ない。


だが、電話をかけてくる人の中には、ものすごく気力を振り絞って、心のどこかで「どうにかしてほしい」「本当は止めてほしい」と思っている人がいるかもしれない。100のうち99が無駄足でも、1が救えるならそっちの方が大事でしょ、と言われたとき、迷い出た1匹の子羊の逸話、あれが頭をよぎった。

なるほど、私のような人間がいるから世界はやさしくないのかもしれない。








死にたいと口に出して言えるうちはまだ、自分と一緒に悩むこと、困り果てること、そういうことをしてくれる人を求めているのではないかと思う。

でも、この社会にはなかなかいないからね。自分のことを馬鹿にせず、遮らず、説教せず黙って聞いてくれる人。たとえ下心があったとしても、そういう珍しい人がいればコロッと騙されてしまうのかも。




…いや、あるいは本望なのか。

たとえ悪意があってもやさしくされたい。騙されてもいい。生涯に一度だけ、最期の最期に誰かに肯定されたい。そういう思いが彼らを駆り立てたのだろうか。


否定され続けた人生の中でたった一度でも肯定されたら、そりゃどんな奴だろうと夢中になるってものですよ。殺人と死体損壊に魅せられたヤバい奴でなくても、世間にはもっと冷徹で無関心で利己主義の人間が大勢いますから。

人体を傷付ける、あるいは命を奪うことは罪であっても、心を傷付けたり殺すことは犯罪じゃないからな。たとえば誰かさんに対し、こぞって「民間資格のくせに」と言葉をかけることは罪にならない。








前回の記事でも書いたように、管理人は何をしても空回りし、誰よりも出遅れて最終的にはビリになる。そういう自分が心底イヤになり、「私が私でなきゃな…」と呟いたことも一度や二度ではない。

昔から何をするのも遅い。走ることも、計算することも、記憶することも、みんなと同じことをしていても追い抜かれた。それは大人になってからも同じで、進路を決めるのも、仕事に就くのも、どんな人より遅かった。



今もちゃんと追いつけているとは言い難い。(この前知ってしまったのだが)給料は他の同業者の半分以下、資格勉強のための出費が予想以上にかさみ、こんな寒い夜にストーブすら使えない生活を送っている。

他の同級生はすでに結婚や出産を経験し、キャリアを積んでそれなりの給料を得、人並みの幸せを掴んでいる。結局私は自分と他人を比べずにはいられない人間である。たぶんこれからもたくさん出遅れるだろう。




こんな状況で死なないだけでも親孝行になってんだろうなぁ、と思いこんでいるあたり、私という人はのんきすぎるのかもしれない。

結婚しろとか孫の顔が見たいとか、もっといい仕事に就けとか…なんか最近よく言われるけど、生きているだけで親孝行者だと思ってもらいたい。



逆を言えばそれだけで救われる子どももけっこういるんじゃないかね。


2017年10月29日 (日)

【悲報】公認心理師

とうとう来年度から資格試験が始まる公認心理師。心理職初の国家資格ということでみんな浮足立っている。これまでいろんな噂が飛び交っていたが、ようやく厚生労働省がHPで概要を発表した。

私が持っている臨床心理士はあくまで民間資格。精神保健福祉士や看護師など、国家資格保持者に馬鹿にされて見下された経験ありきのため、どっちを名乗るかは別として受験できるならしたいと思っていた。




が、残念ながら(今のところ)受験資格なしである。

なぜなら…特例措置のための科目履修が足りていなかったから。


大学院で該当する科目を履修していれば来年度から受験できるものを、管理人はそれを取らずに卒業してしまった。今から足りない科目だけ勉強して補完する措置は認められていない。

ラインのグループで同級生たちが喜びに騒ぐ中、私はひとり輪に入れず。同級生たちと距離を置き、同じ科目を履修しなかったおバカな管理人。それがアダとなり、なんだか懐かしい学生時代の置いてけぼり感に襲われる…。



ああ、もっと真面目に学生をやっていれば…。







同級生のみんなからは遅れるが、2年ほど経過すれば私も追いつける。7万円+テキスト代金がかかるぼったくり現任者講習を受ければの話だが。

厚生労働省のHPを見れば詳しく書いてあるが、該当する科目を履修していない私が受験資格を得るには、現任者講習の受講と5年以上の実務経験が必要。



悲しいかな、私の実務経験は2年と半年。(今年が3年目)

満5年になるにはあと2年半が必要。つまり早ければ平成32年度の受験に間に合う。いや、このときまでに平成という元号が現存するかどうか。それぐらい先の話である。


しかもこの特例措置、通用するのは来年度から5年間である。ちゃんと科目を履修していた人には5回のチャンスがあるが、私は3回しかない。これを逃せば受験資格は永遠にない。

私らしいというか…何から何までツイていない。






思い返せば私の人生、何かやろうとして「うまくいった!」みたいなことは1度もなかった。確実にどこかで足を踏み外し、あれが足りないとか、これがまだだったとか、なにかしらトラブルが起きては出遅れる。

勉強もそう、仕事もそう、人間関係もそう、郵便物を出すとか代金を振り込むとか、そんな単純なことさえそうだった。みんながやり遂げたあと、最後に「やっと追いついた」みたいなことばかりだった。


絶対的ドンケツである私って一体…。







職場の先輩たちは条件をクリアしておられたので、おそらく来年度受験されるだろう。私は科目が足りなかったから…と正直に言うしかあるまい。恥ずかしい。


ちなみにだが、臨床心理士ということで優遇される措置はない。あくまで該当する科目を履修しているかどうかである。大学によって科目名が違うと思うので、受けようと思っている人は一度問い合わせてみてください。







まー、臨床心理士の方が歴史が古いとはいえ、いずれは国家資格にとって代わられるだろう。

だってそっちの方が名前が強いもん。国家資格保持者からのハラスメント経験者に言わせればだが、中身は関係なく厚生労働省に認められた国家資格は、なんであれ影響力がある。それだけでなんか偉いとみなされる。


いくら真面目に働いていようと、民間資格は民間資格。人によっては馬鹿にされる。忘れもしない去年の夏ごろ、「民間資格は無力」という現実を嫌ほど突きつけられた。発言力もないし、立場も弱いし、後ろ盾もない。

だから合格して見返してやりたかったのだが、やっぱりうまくいかん。私の生き方そのもののようだ。



もちろんお金の問題もある。現任者講習と受験料その他を入れたら10万は下らないだろう。おまけに私は来年度、別の資格試験を控えておる。その分の受験料を捻出することさえ苦難の道のりなのに、また別の金を工面しろと申すか。



ははは…受験資格をもらう前に餓死するかもな…。








うー、ものすごくゲームを買いたかったのだが、中止!

10万を工面するために購入禁止!



チクショー、これ以上どうやって生活を切りつめればいいんだ! 先日の選挙のお陰で確実に消費税は上がるし、いずれまた保険料やら年金の支払いが増え、給料の手取りが減らされるだろう。



ううう、実はこの前、心に闇が広がったんだ…。

たまたま知ってしまった。いつも関わっている、障害年金をもらっている人の受給額…私の給料より多かった。


家賃や光熱費のかからない親の家に住み、自由に好きな物品を買い、美味しいものを食べ、いつでも欲しいときに欲しいものが手に入る。

その人を支援している私は、その人より少ない手取りで生活を切りつめ、欲しいものも満足に買えず、体重は減る一方だし栄養失調にもなりかけた。



こんなこと考えちゃいけないってわかっている。彼らが抱える生活の不自由さ、しづらさを額に換算するとこうなるってこともわかる。

だが、この差って一体なんなの…!? 世間一般でいう健常者として生まれたとはいえ、生活の苦しさだけは彼ら以上なんですけど…!






民間資格がどうしたと馬鹿にされ、期待していた国家資格は受験資格がなく、障害年金の受給額より少ない手取りをやりくりしながら生きる。


ああ、ダメだ、涙が出て止まらなくなってきた。



いや科目が足りなかったのは完全に自分の責任だが、それゆえに口を開けば後悔と悲嘆の声しか出てこない。なんで私っていつもこうなんだろう。


もっとちゃんとやることをやっておけば、今ごろ同級生や先輩たちと試験対策の話ができたものを…。結局どこかで失敗して出遅れるのね。うーむ、何度考えても私らしい結末だ。



人生であと何度ミスをするのか、考えるだに恐ろしい。


2017年10月22日 (日)

明日の朝陽が…

もう駄目だ。憲法改正されるわ、これ。

戦争を知らない私でも平和が一番だと思うのに、その気になったら戦争に参加できるよう法を変えるなんて…。


世の中がそうなってきているから。

それが彼らの言い分らしい。いつの日か、おそらくアベだのアソウだのが天寿を全うされたあと、日本は平然と戦争をする国になっているのだろう。

「相手がやるから自分もする」という考え方はほんと危険だと思うんだけどな。誰かが「やめます」と言わない限りはどんどん連鎖して悪化する。なんでそれがわからんのだろう。





この台風の雨の中、私はもちろん投票に行きました。奴らに好き勝手させてたまるか!という気持ちを込め、公約で憲法改正を掲げていない最もマシそうな党に入れた。つまりアレとかコレとかの党ではない。

当確はアレの党に出ちまったけどな!




まぁ、どっちにしろ3分の2が取れなかったとしても、みどりのタヌキと手を組むから一緒だろう。そう気付いてからは少し冷静になりました。ああ、ほんとにクソみたいな世の中だ。




先週だったか、どこの党に入れようか迷っていると言うと、「どういう世の中になってほしいか、というのを基準にするといいですよ」と言ってくれた人がいた。

なるほど。私が望む世の中は…今の生活が少しでも楽になること。栄養失調になるほど食費を切り詰めなくても生きていけるよう、老後の不安が和らぐよう、明日の朝陽を見るのが少しでも怖くなくなるよう…!


という思いを込めて公約を見返したのだが、なかった。

明日の朝陽を見るのが怖くなくなるべく公約を掲げているところはなかった。大多数の政党が対象にしているのは、子育て、教育、そのへんである。


あるとすればせいぜい同一賃金、最低賃金の引き上げ。だが、公務員ならいざ知らず、民間でこれをやると今度は人員削減が始まる。最低限の人数で、少しでも(雇い主にとって)損がないよう仕事をさせようとする。

ま、国家公務員である政治家、あるいは恵まれた生活を送っている有権者にはわからんだろう。私みたいな民間の普通の貧乏人は嫌ほどわかる。誰かの給料を上げればそれ以外を減らして釣り合いを取ろうとする、それが卑しい現実。


かくいう私だって以前給料が(微々たるものだが)上がったとき、代わりに交通費を減らされた。「なんでや」と言いたいところだが、文句を言えば即クビ。そうなっている人を何人も見てきた。

こういうことも政治家の目には映らないらしい。




ご存じの通り、私は独身で子どももいない。生殖能力は残っているとはいえ、今後それが役に立つかどうかはわからん。もしかしたら生涯ひとりきりかも。

そういう奴に子育てや教育を重視しますといったって実感が湧かない。子どもは国の宝であるが、何をどうカバーしてもらったら子どもが幸せになれるのか、そこのところの基準がわからない。関係ないけど、スマホを持たせないようにした方がいいんじゃないのかね。


20代、それも低所得で明日の朝陽が見るのが怖い独身野郎を救済するつもりは、どうやらどこの政党にもないらしい。ふむ、ならば誰かと無理やりにでも子作りしろということか。そうでもしないと支払った税金が返ってくるチャンスはない…と、そういうことか。


無茶言うな!






それは冗談として、一昨日あたりからなんかアホらしくなってきて、今日も夕方からずっとボクシングを見ていた。

テクニカルノックアウトっていうの? CM終わってさぁゴングだ!と思っていたら、相手が戦意喪失して村井選手勝利!って、おいおい、それでいいのか。



ボクシングのルールはよく知らんけど、TKOってテクニカルノックアウトの略だったのね。個人的には長谷川穂積選手が好きで、初めてテレビで試合を見たときカッコいいなぁと純粋に思った。

何かを背負った人というのは勝っても負けても輝いているな。






ハァ、それに比べて…。私って一体…。

結局何も変わらず、明日以降、今後も同じ生活が延々続くってわけね。台風だし明日の朝陽は見れないかもしれないけど、新たな1日を迎えることがこんなに怖く思えるとは。



自分の生活を背負って初めての衆院選(前回は確か学生だった)だっただけに、ショックはデカい。

アベだのみどりのタヌキだの、あんな奴らに人生を左右されるとは情けない。ああ、台風で永田町ごと流されてしまえばいいのに。



それでも結果がこうなるってことは、社会が彼らを求めてるってことなんでしょうね。私ひとりがこんなところでワーワー言ったって、無駄を通り越してただうるさいだけ。

もういい、あれこれ呪いまくりながら眠りに就くとします。

どこかにいるかもしれない同志たちに幸あれ。




2017年10月 9日 (月)

秋の日は釣瓶落とし

この歳で初めてやったかもしれん。外勤中のサボり。

といっても15分ほど。自転車で「道に迷うといけないので」と早めに出発、事前にLINEで連絡しておいた人と落ち合う。


別にデートしていたわけではない。寄り道先はかつての同級生の職場である。目的地のすぐそばで働いていることを知っていたので、互いにサボりを承知でしばし語り合った。

そりゃこの歳になれば愚痴も文句も殺意も腐るほどありますから、できるなら1時間ほど喋って帰りたかった。が、この日やるべきことはそっちではない。仕方なく本当にしぶしぶ、またLINEするわーと声をかけて別れた。





昔の同級生との飲み会はたまに声がかかるが、なんだかんだ理由をつけて断ってしまう。1対1で喋るならまだしも、数人が集まる飲み会ではどうしても聞き役になってしまい、自分のことが喋れずフラストレーションがたまる。

管理人の手に負えるのはせいぜい自分を入れて4人まで。それを越えるとキャパオーバーに陥るらしく、飲み物をすすりながらひたすら聞き役に回る。お陰で今でも自分のことを話すのが苦手である。


…裏を返せば、管理人が参加した飲み会で、管理人の私事について耳にした者はほぼいないはずである。貝のように口を閉ざし、気配を消すのは上手ですから。

ま、たとえ話が回ってきても、「特に何も」で済ませちゃうから放っとかれるんだろうけどさ。2年前の同窓会も「特に何も」以外喋ることなく終わっちまったしな…。





どこかで言ったかなー。

来年早々、同級生の結婚式の招待が2件も入っている。



管理人はいまだかつて結婚式というものに出席したことがない。それ以前に正式に招待されたのは初めてで、これまでは「えっ、いつの間に結婚してたの!?」と事後報告で済まされていた。私、友達いないですから。


テレビなんかで見ていると、結婚式って歌をうたったりするじゃないですか。だから「家族になろうよ」とか練習しといた方がええの?と相談すると、「それはあんたがすることちゃうやろ」と…。

ブーケトスを受けたら次に結婚できるとか、受付担当するとロマンスが生まれやすいとか、断片的に情報があるだけでよく知らん。なんやかんや理由つけてこれもサボるか…。



自分がボーッとしているうちに周りは次々に結婚し、悩みや愚痴の内容が家庭に変わり、私みたいな独身モラトリアム野郎はますます孤立するってわけね。

そりゃ飲み会に参加したって話題に入れないだろ。





そういえば最近嬉しかったのは、カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を取ったこと。『わたしを離さないで』は数年前に読んで今も家にある。

好きな作詞家さんの影響で読み始めたものの、科学の進歩の弊害ともいうべき深く残酷なテーマに感じ入り、一気に読破した。とはいえメディアは日本と関連付けて加熱しすぎ、あるいは村上春樹さんとの話題を取り上げすぎである。

(…あの人の作品は何度読んでもよくわからん。私の頭が追いついていないのだろうか、毎年ノーベル文学賞候補?に名が挙がるのが不思議でならない)





あと、某オークションに出していたドラクエXIはめでたく売れた。

買ったときの半額で売れたらいいやなんて思っていたら、それよりちょい高値で落札された。11月に予約したポケモンの購入資金に充てよう。


ゲーマーというほどでもないゲーム好きの管理人であるが、「パッケージも見たくない」と思ったのはコレが初めてである。無垢な子ども時代ならともかく、ひねくれた大人になっちまった今、ドラクエのシナリオはまさに「解せぬ」の一言である。

なにしろもはや、勇者と呼ばれる主人公の行動が狂気の沙汰としか思えんのだ。悪役たち、もっと頑張れ!奴(勇者)に天下を取らせてはいかん!と思うものの、システム上そういうわけにもいかず、悪役は次々にやられていく。


駄目だこれは…。売ろう。世界なんか救いたくない。

プレイヤーが放棄すればさしもの勇者も為す術はない。少しのためらいののち冒険の書を消去、別れを告げた。誰か優しいプレイヤーさんのもとで世界を救ってもらえよ。





そういう意味ではシミュレーションゲームは楽。無心で畑を耕したり、家畜に餌やったり、好きなキャラと恋愛したりできるんだし。


主人公とその取り巻きに都合いいハッピーエンドなど、世界ごと滅び去ってしまえばいいと思う。しかし、それができないのがRPGなんだろうな。主人公サイドに怒りを覚え、悪役に同情し始めたら、速やかに積むか売るしかない。

ドラクエに限らず、世界樹シリーズも実はそういうところがある。プレイヤーが悪役に加担し、勇者を討伐したあと世界を滅ぼすシナリオはさすがに用意されていない。とはいえ、ぶっ潰した世界をイチから作り直すのは大変だと思うぜ?








…はぁ、また無駄に時間を潰して3連休が終わってしまった。


紅葉の時期にどっか行きたい。生きとし生けるもの、栄華を極めたあとはみんな枯れてみすぼらしい姿に変わるのよ。と語りかけられている気がするので、管理人は秋が好き。

同様の理由で春は嫌いである。






ちなみにタイトルは亡き祖父から教わった言葉である。

自分が小学生だったか中学生だったか、秋の夕方に祖父と2人で道を歩いていたときのこと、「秋はあっという間に日が暮れて真っ暗になるやろ。それを釣瓶落としっていうんや」と教えられた。


管理人は昔から(良い意味で)イマジネーションが豊かなので、誰かが引っ張り上げた太陽をすとんと下に落とす想像をして怯えた。そのほか、「自分の中身は骸骨である」「世界に自分以外の他人が存在している」と知ったときも怖くなった。

子どものころいろんな想像をしすぎてこうなったんでしょうかね。



12月にはそんな祖父の一周忌がくる。

一言でいうと「妙な感性の変人」だったが、元気なころ教えられたことは今でもフッと意識に上ってくる。人は死んでも誰かの記憶の中で生きる、ということを生で味わわせてくれている祖父。私もそうなりたいものである。


2017年9月28日 (木)

心も折れます

国家公務員っていうのはいいですね。暴言を吐いても嘘をついても、税金を好き勝手に使っても不倫しても給料がもらえるんですから。

決められた仕事を決められた量やっていれば給料がもらえる。新しいことを始めなくても給料がもらえる。国民に何の得もないことをやっていても給料がもらえる。いいですねぇ。



最近思うのさ。

自分がこんなに(主に仕事のことで)悩み苦しんでいるのは、国家公務員じゃないからなんだね…と。国家公務員だったらこんなに苦しまないで済むだろう。というかそもそも苦しむ余地すらないのではないか。








「私ってここで役に立ってるんですかね?」



…と、ついに職場で口にし始めた管理人である。フラグか。




この管理人、ウダウダ言っている割には、「給料もらうからにはそれに見合う仕事をする」がモットーの意識高い系である。(自分で言うか)

が、けっして高いとはいえない給料に見合った仕事ができているのか、自信がなくなってきた。仕事をするうえで何が一番怖いって、自分が職場で何ひとつ役に立っていない自覚をしてしまうことである。



ま、そりゃ誰もはっきりと「その通り」とは言わないし、職場の人も「そんなことないよ」と言う。「その通り」と言ってくれた方が気が楽なんだけどな。気を遣わせているだけだろうし。

とはいえ、私じゃなくても代わりはいくらでもいるだろう。




どんなに必死にやったって、ダメな奴は結局ダメなのかもしれない。「あんたみたいな人、この仕事する資格ないよ」とリアルな現場の声を聞かされることもある。

そういうときは返す言葉もなく、「申し訳ありません」とひたすら頭を下げるしかない。ショックのあまり膝が震え、トイレなど人目に触れないところで声を殺して泣いたりもする。夜もずっと悶々考え、眠れなくなっちまう日もある。


もちろんこれは私が私だからであって、全員がそうではありません。もっとうまいこと仕事をしている同業者はたくさんいます。今さら気付きたくなかったけど、管理人はセンスがないのかもしれん。




「私、誰のために仕事やってんですかね?」

「誰かの役に立ってるんですかね?」

「こんなんで給料もらってていいんですかね?」


とは重すぎて職場の人に相談できないので、自問自答したりとか、たまに親に聞いてもらったりとかしている。親に言ったってまともな答えは返ってこないけど。




キャリアは浅いにしても、「この心理士に出会ってしまった不幸」を他人に分け与えないよう、必死こいてやっているつもりである。新しいことにも挑戦し、成功も失敗も自分の糧として吸収しようと努力している。(つもりである)

が、リアルなクレームで心が折れてしまったり、「役に立ってんですかね?」なんて発言が飛び出したり、そもそもクレームを受けてしまうこと自体、私ってこの職種に向いていなかったんじゃ…?と思われてならない。



いやだ…このトシで転職か…?

今日まで肺呼吸だった生き物が、明日から鰓呼吸しろと言われるようなものだ。考えるまでもなく絶対無理に決まってる。





いいよなぁ、政治家は。

こんなことゴチャゴチャ考えなくても給料が入ってくるし、定められた仕事をしていれば新しいことを始めなくていいし。オレって政治家に向いているのか?なんて自問自答、奴らはしたことがあるのか。


もうすぐまた選挙が始まるが、このまま日本にいても社会に殺されるだけのような気がする。どこの政党に票を入れたって同じだろ? 苦労したことがない連中が助けるのはせいぜい同レベルの人々であって、それ以外の人には目がいっていない。そもそも存在に気付いているかどうか。








全然関係ない話だが、先日地元で右往左往していた観光客グループを助けた。私の年齢(20代)で、初対面の観光客にこっちから「どうされましたか?」と声をかけるのはかなり勇気がいる。

だが、困っている様子だったのでつい声をかけてしまった。


もちろん悪いことではない。行き先を聞き、乗るべきバスの系統を伝え、ついでに地元特有のバスの乗り方も話した。するとこっちが恐縮するぐらい感謝され、なんか久々にいいことをしたつもりになってしまった。


ここで書いたかどうか、数ヶ月前には子どもが怪我をして右往左往するお母さんを助けたことがある。額から血を流した幼い子がそこで泣いているのに、見て見ぬふりをする通行人には憤りを感じた。

このときは慌てるお母さんをとりあえずなだめ、近くの病院に行ってもらったと思う。




真面目に仕事したって報われない。人に親切にしたって報われない。どうせクレーム言われてまた心が折れるだけだろ?

だったら誰にも手を差し伸べなくていいじゃないか。役立たずな仕事なら辞めちまえば?
・・・なんて嫌らしい声がささやきかける日もある。悪魔…ではなく自分の声だ。



それでも、見ず知らずの人、困っている人に声をかけられるっていうのは、そこらに捨てちゃいけない自分の強みではないかと思う。やっぱりどっかで「ただの通行人になってはいけない」と感じ、そこで足を止めさせる。

もちろん出しゃばりやお節介は余計だが、そういうところが私らしいところなんじゃないかとふと思う。奉仕とかボランティアには興味ない。聖人君子じゃないからそういう意識はない。




「オマエに心理士の器はない」みたいなクレームはフツーにあるし、ものすごく心が折られて退職届を出すところまで考えることもある。ただの卑下ではなく、本気で自分には才がないんじゃないかと思う。


それでもなんだかんだ今の職にしがみついているのは、そこらの道端で困っている観光客やお母さんに声をかけさせるような、そういう自分がどこかにおるからだろう。優柔不断で基本ネガティブ、人見知りで人嫌いな管理人だというのに。








別に「結果を出せ」と要求されているわけではない。ただ、必要以上に自分を追いつめてしまうのが管理人の悪い癖である。


だが、近ごろの社会のゴタゴタを見る限り、自分の行動は誰かの役に立っているのか…と考えるのは多少必要な視点だと思う。他人に損害や不幸しか与えられない人の行動は、北朝鮮のミサイル発射並み、国会で野次を飛ばすしか能がない政治家以上に罪深い。




管理人の願いとしては、せめてクレームが来ないレベルまで上がりたいものである。




2017年9月21日 (木)

鑑賞『関ヶ原』

約10ヶ月ぶりの映画館。

本当はものすごく行きたくなかったのだが、700円で観れるチケットをもらってしまったため、仕方なくしぶしぶ観にいった。


私にとって『関ヶ原』鑑賞は、落ちるとわかっている就職面接に臨むようなもの。気が重い。何をどうしたって元気は出ない。だって歴史は変えられないんだもの。




開始数分で「あぁ…」とため息が漏れたのだが、終わってみればそれほどでもなかった。


さぁ、これはどういう意味なのか。

ネタバレを見ても構いませんという方は↓へどうぞ。







» 続きを読む

2017年9月18日 (月)

『深夜廻』 (やってないけど)

台風が目下接近中の現在、ホラーゲームのプレイ動画に夢中である。この状況下でそんなことやっていていいのだろうか。

なんでも避難勧告が出ているらしいが、こんな時間にどこ逃げていいかわかんないし、河川や山の近くでもないのでとりあえず自宅待機。


いや、むしろ家を出たらそれは「夜廻」であり、そっちの方が怖い。なんだか得体の知れないものが街角にフツーに乱立し、それが自分めがけて襲ってくるというのだから。そんなんに殺されるぐらいなら逃げ遅れて死んだ方がましだ。






知らない人は何言ってんだかわからないでしょうが、『夜廻』というゲームが実際あるんですよ。先月、続編の『深夜廻』が出たばかり。管理人は超ビビリなので、よっぽど心惹かれない限りホラーゲームはやらない。

確実に夜眠れなくなるから。


なので、プレイ日記を書かれている方のブログや動画を見て楽しんでいる。プレイする予定はゼロを越えてマイナスなので、ネタバレも全然OK。





ま、私は霊感がなくて本物は何ひとつ見えないのだが、このゲームはそれ以前に演出が怖い。ガチでビビる。結末がわかっていてもいちいちビビる。心臓に悪い。

システムとしては、前作も今作も小学生の少女がひとりで夜の町を歩き回る。で、そこかしこで謎のオバケ(化け物)と出くわす。それぞれちゃんとした目的はあるのだが、それにしたって彼女らは豪胆である。

一度目は仕方ないにしても、そこでオバケと遭遇したら次は二度と行かないと思うんだが。私だったら諦めて家に戻り、霊媒師もしくは警察に相談するだろう。少女たちが諦めないあたり、すでに「得体の知れない何か」に意思も感情も取り込まれているのでは…。






さっき確認したら、このゲームのCEROはC(15歳以上対象)。

おお…。私が愛してやまないソルサク(こっちはD)よりは優しい。ビビる演出と即死率が半端ないだけで、同行者を生贄にしてえげつない死に方をさせたり、異形の魔物をフルボッコするあれよりましということか。


そういえば、あっちも願いの代償として何かを差し出すシステムである。魔物になってしまった元人間の中には、自分の肉体だったり人として死ぬ権利だったり、自分の親族や一般市民を捧げた奴もいる。プレイヤーも(状況によっては)臓物やら目玉やらとんでもないものを捧げたりする。

どうしても叶えたい願いがあるとき、自分にとって大事な何かを捧げろというのはどこの世界も同じなのかもしれない。


管理人自身、とある目標のために今年2月からあるモノを断っている。別に根拠はないけど、そっちの方が願いが叶いやすい気がするのよね。大事なものを断つ。あ、コトワリさま…?







ひぃぃぃぃぃ…!!


シーンと静まり返った部屋の中、プレイ動画を直視していると怖いので、裏で好きなアーティストの曲を大音響で流している。のだが、やっぱり怖い。

こんな心臓バクバク状態で眠れるのだろうか? すでにトイレに行くのがものすごく怖いのだが…。







こうなったときの管理人の最強コマンドは「眼鏡を外す」である。

これなら何も見えない。仮にそのへんに何かいたとしても、強度近視の私には見えない。手さぐりでトイレに行き、部屋に戻り、布団を被って朝まで目を開けなければよい。




こんな私に「夜廻」は不可能。もし狙われたら諦めます。私をダシに使って次の人を引っ張り込もうとかはやめてください。

管理人が住んでいる地域の近くにもそれらしい神社(ネタバレになりかねないので伏字)があり、確かにそこの絵馬などはすさまじいことが書かれている。毎日人で賑わっているので廃れる心配はないが、ダークサイドに落ちないことを祈るばかりである。



ちなみに、怖い怖いと言いながらプレイ動画を見ている理由は、単純に想像力を膨らませたいというよくわからないもの。お陰でちょっと頭が活性化した気がする。


この記事を書いている最中、いきなりパソコンがシャットダウン…ということはまだないので(以前あった)、よし…勇気を出してもうちょっとだけ見よう。

子どもたちよ、くれぐれも夜中に町を歩き回ってはいけません。むやみやたらと懐中電灯の光を当てまくってはいけません。そして10円玉は大切にしましょう…!












【追記】

この記事を投稿したあとさんざん動画を堪能し、すでに2時になろうとしていたので、今日はここまでにしようとパソコンを閉じた。

前述の通り、眼鏡を外した装備でトイレに向かえば怖くない! そう思っていたのだが、部屋を一歩出た途端、煌々と明かりを放つ光源を目撃した。


日常的に金欠でケチな私は、節電のため使わない電気を点けっぱなしにすることはない。はずなのに、トイレの電気が点いて廊下まで漏れていた。そういうわけである。

これは強度近視に関係ない。電気が点いているかどうかは眼鏡がなくてもわかる。…この私としたことが、うっかり消し忘れましたか?




脳内がパニックになり、


「で、ででで電気が点けっぱなしですけど…

ははは入ってもよろしいのでしょうか…?」



って誰に聞いてんだ。返答があったらそっちの方が怖いだろ。とにかく余計な想像をせず、さっさと用を足して布団に逃げ込むべし!

ほとんど憶えていないが、トイレ中にノックがあったり背後から襲われることもなく、部屋まで駆け戻って無事に就寝しました。節電節電とやかましい私としたことが、こんな日に限って電気を消し忘れるなんてバカですね。


そういうことにしておきましょう。


2017年9月 2日 (土)

やさしくない世界

座学中心の研修期間を終え、ものすごく足がむくんだ。職場では立って歩き回っていることが多いので、家に帰ってから自主的にラジオ体操第一とかやって凌いでいた。

周りにいるのは初対面ばかりだが、運よく初日に仲の良い人ができた。自分の職域とは微妙に違う現場の話を聴けてよかった。こんな管理人でも社交スキルはあるんですよ。







それにしてもしみじみと思うのは、我々の専門領域は儲からないね。


「やりがいはあるが生活が苦しい」「この職域で金持ちを見たことがない」と皆が口を揃えて言うほど給料が少ない。

医師や大学教授、公務員などピラミッドの上方にいる方々は別だろうが、底辺にいる大多数は全然儲かっていない。以前、保育士の給料が少ないと社会問題になったが、こっちだってもれなく低待遇の安月給である。

むしろあっちは社会問題として取り上げてもらえて羨ましいと思う。





我々の職域、神経をすり減らす仕事である割には見返りが少ない。同業者の人に「こんな仕事を選んでご愁傷様」と言われたこともある。社会に貢献してるとか、需要があるとか、なんだかんだ言われても生活が苦しかったらどうしようもないよな。



今回の研修でも、「ボランティアで尽くす覚悟でやれ」と言われた。

私はまだ20代。あれもこれもやりたい、いろんなことがしたいと思っても構わない年頃であろう。見返りを求めないボランティア精神で仕事なんかできません。

人助けをして餓死しろというんですか!(とはさすがに言えなかったが)





私は聖人ではありません。マザーなんとかさんみたいに他人を救うことに喜びなんか見出しません。尽くした分だけ見返りがほしい。そう思うのは何か間違っているのか。


いや、もちろん働いている全員がそうなら私も同調するよ。現実としてはそうではなく、ピラミッドのどこかにはしっかり見返りを得て裕福な生活をしている奴がいるわけでしょ。

自分の職場で言うと、上司とか。噂によるとあの上司、儲かりすぎて税金対策に頭を悩ませているらしい。節約節約と口癖のように言い、職員を安月給でアリのように現場で働かせ、得た収益をほとんど自分のものにして税金対策に困る?


こんな馬鹿なことがあるか!と言いたくもなろう。






仕事にやりがいを持てと言われても、こんな現状でやる気を出せというのが間違っている。

他人のために尽くせ、生活を楽にしてさしあげろ、その代わりお前が死ね…ってか。他人の生活の世話して、自分の生活が破綻したらどうしてくれるんだ?



保険料の値上げも毎年のように生活を苦しめるし、この時代、この国に生まれたことが人生最大の不幸ではないか…とも思い始めた。


自分はまっとうに生きているのに、こんな奴でも誰かの役に立てるかもと思ってこの仕事を選んだのに、手取りはどんどん減っていく。当然ながら生活が苦しくなる。

人を助ける以前に、自分の生活基盤がそもそも安定していないのである。今のご時世、ちっぽけな人間がいくら世界にやさしくしても、世界は自分にやさしくしてくれない。




これでどうやってやる気を出せというのか…。

ポジティブな励ましごときでモチベーションは上がらねぇぞ。






10代のころや20代前半は「手取りは少なくても社会の役に立てるなら」なんて偉そうなことをほざいていた気がする。


だが、この歳になってようやくわかった。

人間はそれなりの見返りがないと生活できない。偽善の皮をかぶって仕事に打ち込むことはできるが、心の底から満たされることは絶対ない。そういう生き物なのだと。


見返りもなしに人のために働けというのは不公平すぎる。私が万人のために尽くしたところで、万人は私のために何もしてくれない。なんのためにこんな安月給で、嫌な思いまでして仕事を続けなきゃならないのだろう。




この職業に就いて以来、誠心誠意を込めて必死にやってきたつもりだが、先日の研修を機に悶々と考えている。言葉はよくないが、いろんなことがバカバカしくなった。


私ってのはほんとモノグサだから、何かに向かって努力しない代わり、たいした悩みを抱えることもない。目標も願い事も「特になし」で、ある意味ものすごく平和な奴だと思う。

そんな私が「このままではヤバい」と思うのだから、今回はよほどヤバいのだろう。



…いや、生活がリアルに破綻するヤバさではない。これまでのような純粋な気持ちで仕事ができなくなるヤバさである。

同じ職域、同年代の子たちと話題になるのは、いつも決まって「保険料の値上げ」と「年金問題」と「生活の破綻危機」。あとたまに「孤独死危機」も。






こんなことやってたらいずれ生きていけなくなるぞ。


悲しいかな、仕事の帰り道にふと頭をよぎる言葉である。



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ひとりごと

  • 今年初めてふるさと納税をした。どこかの特産品が欲しいとかは特になく、クラウドファンディングの企画があったのでそれにした。自分の生活を鑑みれば米か肉でも返礼品としてもらえばよかったのだろうが、それができないあたり管理人の変なプライドがある。微々たるものだが少しでも地球のためになればいいと思う。
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