2017年10月 9日 (月)

秋の日は釣瓶落とし

この歳で初めてやったかもしれん。外勤中のサボり。

といっても15分ほど。自転車で「道に迷うといけないので」と早めに出発、事前にLINEで連絡しておいた人と落ち合う。


別にデートしていたわけではない。寄り道先はかつての同級生の職場である。目的地のすぐそばで働いていることを知っていたので、互いにサボりを承知でしばし語り合った。

そりゃこの歳になれば愚痴も文句も殺意も腐るほどありますから、できるなら1時間ほど喋って帰りたかった。が、この日やるべきことはそっちではない。仕方なく本当にしぶしぶ、またLINEするわーと声をかけて別れた。





昔の同級生との飲み会はたまに声がかかるが、なんだかんだ理由をつけて断ってしまう。1対1で喋るならまだしも、数人が集まる飲み会ではどうしても聞き役になってしまい、自分のことが喋れずフラストレーションがたまる。

管理人の手に負えるのはせいぜい自分を入れて4人まで。それを越えるとキャパオーバーに陥るらしく、飲み物をすすりながらひたすら聞き役に回る。お陰で今でも自分のことを話すのが苦手である。


…裏を返せば、管理人が参加した飲み会で、管理人の私事について耳にした者はほぼいないはずである。貝のように口を閉ざし、気配を消すのは上手ですから。

ま、たとえ話が回ってきても、「特に何も」で済ませちゃうから放っとかれるんだろうけどさ。2年前の同窓会も「特に何も」以外喋ることなく終わっちまったしな…。





どこかで言ったかなー。

来年早々、同級生の結婚式の招待が2件も入っている。



管理人はいまだかつて結婚式というものに出席したことがない。それ以前に正式に招待されたのは初めてで、これまでは「えっ、いつの間に結婚してたの!?」と事後報告で済まされていた。私、友達いないですから。


テレビなんかで見ていると、結婚式って歌をうたったりするじゃないですか。だから「家族になろうよ」とか練習しといた方がええの?と相談すると、「それはあんたがすることちゃうやろ」と…。

ブーケトスを受けたら次に結婚できるとか、受付担当するとロマンスが生まれやすいとか、断片的に情報があるだけでよく知らん。なんやかんや理由つけてこれもサボるか…。



自分がボーッとしているうちに周りは次々に結婚し、悩みや愚痴の内容が家庭に変わり、私みたいな独身モラトリアム野郎はますます孤立するってわけね。

そりゃ飲み会に参加したって話題に入れないだろ。





そういえば最近嬉しかったのは、カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を取ったこと。『わたしを離さないで』は数年前に読んで今も家にある。

好きな作詞家さんの影響で読み始めたものの、科学の進歩の弊害ともいうべき深く残酷なテーマに感じ入り、一気に読破した。とはいえメディアは日本と関連付けて加熱しすぎ、あるいは村上春樹さんとの話題を取り上げすぎである。

(…あの人の作品は何度読んでもよくわからん。私の頭が追いついていないのだろうか、毎年ノーベル文学賞候補?に名が挙がるのが不思議でならない)





あと、某オークションに出していたドラクエXIはめでたく売れた。

買ったときの半額で売れたらいいやなんて思っていたら、それよりちょい高値で落札された。11月に予約したポケモンの購入資金に充てよう。


ゲーマーというほどでもないゲーム好きの管理人であるが、「パッケージも見たくない」と思ったのはコレが初めてである。無垢な子ども時代ならともかく、ひねくれた大人になっちまった今、ドラクエのシナリオはまさに「解せぬ」の一言である。

なにしろもはや、勇者と呼ばれる主人公の行動が狂気の沙汰としか思えんのだ。悪役たち、もっと頑張れ!奴(勇者)に天下を取らせてはいかん!と思うものの、システム上そういうわけにもいかず、悪役は次々にやられていく。


駄目だこれは…。売ろう。世界なんか救いたくない。

プレイヤーが放棄すればさしもの勇者も為す術はない。少しのためらいののち冒険の書を消去、別れを告げた。誰か優しいプレイヤーさんのもとで世界を救ってもらえよ。





そういう意味ではシミュレーションゲームは楽。無心で畑を耕したり、家畜に餌やったり、好きなキャラと恋愛したりできるんだし。


主人公とその取り巻きに都合いいハッピーエンドなど、世界ごと滅び去ってしまえばいいと思う。しかし、それができないのがRPGなんだろうな。主人公サイドに怒りを覚え、悪役に同情し始めたら、速やかに積むか売るしかない。

ドラクエに限らず、世界樹シリーズも実はそういうところがある。プレイヤーが悪役に加担し、勇者を討伐したあと世界を滅ぼすシナリオはさすがに用意されていない。とはいえ、ぶっ潰した世界をイチから作り直すのは大変だと思うぜ?








…はぁ、また無駄に時間を潰して3連休が終わってしまった。


紅葉の時期にどっか行きたい。生きとし生けるもの、栄華を極めたあとはみんな枯れてみすぼらしい姿に変わるのよ。と語りかけられている気がするので、管理人は秋が好き。

同様の理由で春は嫌いである。






ちなみにタイトルは亡き祖父から教わった言葉である。

自分が小学生だったか中学生だったか、秋の夕方に祖父と2人で道を歩いていたときのこと、「秋はあっという間に日が暮れて真っ暗になるやろ。それを釣瓶落としっていうんや」と教えられた。


管理人は昔から(良い意味で)イマジネーションが豊かなので、誰かが引っ張り上げた太陽をすとんと下に落とす想像をして怯えた。そのほか、「自分の中身は骸骨である」「世界に自分以外の他人が存在している」と知ったときも怖くなった。

子どものころいろんな想像をしすぎてこうなったんでしょうかね。



12月にはそんな祖父の一周忌がくる。

一言でいうと「妙な感性の変人」だったが、元気なころ教えられたことは今でもフッと意識に上ってくる。人は死んでも誰かの記憶の中で生きる、ということを生で味わわせてくれている祖父。私もそうなりたいものである。


2017年9月28日 (木)

心も折れます

国家公務員っていうのはいいですね。暴言を吐いても嘘をついても、税金を好き勝手に使っても不倫しても給料がもらえるんですから。

決められた仕事を決められた量やっていれば給料がもらえる。新しいことを始めなくても給料がもらえる。国民に何の得もないことをやっていても給料がもらえる。いいですねぇ。



最近思うのさ。

自分がこんなに(主に仕事のことで)悩み苦しんでいるのは、国家公務員じゃないからなんだね…と。国家公務員だったらこんなに苦しまないで済むだろう。というかそもそも苦しむ余地すらないのではないか。








「私ってここで役に立ってるんですかね?」



…と、ついに職場で口にし始めた管理人である。フラグか。




この管理人、ウダウダ言っている割には、「給料もらうからにはそれに見合う仕事をする」がモットーの意識高い系である。(自分で言うか)

が、けっして高いとはいえない給料に見合った仕事ができているのか、自信がなくなってきた。仕事をするうえで何が一番怖いって、自分が職場で何ひとつ役に立っていない自覚をしてしまうことである。



ま、そりゃ誰もはっきりと「その通り」とは言わないし、職場の人も「そんなことないよ」と言う。「その通り」と言ってくれた方が気が楽なんだけどな。気を遣わせているだけだろうし。

とはいえ、私じゃなくても代わりはいくらでもいるだろう。




どんなに必死にやったって、ダメな奴は結局ダメなのかもしれない。「あんたみたいな人、この仕事する資格ないよ」とリアルな現場の声を聞かされることもある。

そういうときは返す言葉もなく、「申し訳ありません」とひたすら頭を下げるしかない。ショックのあまり膝が震え、トイレなど人目に触れないところで声を殺して泣いたりもする。夜もずっと悶々考え、眠れなくなっちまう日もある。


もちろんこれは私が私だからであって、全員がそうではありません。もっとうまいこと仕事をしている同業者はたくさんいます。今さら気付きたくなかったけど、管理人はセンスがないのかもしれん。




「私、誰のために仕事やってんですかね?」

「誰かの役に立ってるんですかね?」

「こんなんで給料もらってていいんですかね?」


とは重すぎて職場の人に相談できないので、自問自答したりとか、たまに親に聞いてもらったりとかしている。親に言ったってまともな答えは返ってこないけど。




キャリアは浅いにしても、「この心理士に出会ってしまった不幸」を他人に分け与えないよう、必死こいてやっているつもりである。新しいことにも挑戦し、成功も失敗も自分の糧として吸収しようと努力している。(つもりである)

が、リアルなクレームで心が折れてしまったり、「役に立ってんですかね?」なんて発言が飛び出したり、そもそもクレームを受けてしまうこと自体、私ってこの職種に向いていなかったんじゃ…?と思われてならない。



いやだ…このトシで転職か…?

今日まで肺呼吸だった生き物が、明日から鰓呼吸しろと言われるようなものだ。考えるまでもなく絶対無理に決まってる。





いいよなぁ、政治家は。

こんなことゴチャゴチャ考えなくても給料が入ってくるし、定められた仕事をしていれば新しいことを始めなくていいし。オレって政治家に向いているのか?なんて自問自答、奴らはしたことがあるのか。


もうすぐまた選挙が始まるが、このまま日本にいても社会に殺されるだけのような気がする。どこの政党に票を入れたって同じだろ? 苦労したことがない連中が助けるのはせいぜい同レベルの人々であって、それ以外の人には目がいっていない。そもそも存在に気付いているかどうか。








全然関係ない話だが、先日地元で右往左往していた観光客グループを助けた。私の年齢(20代)で、初対面の観光客にこっちから「どうされましたか?」と声をかけるのはかなり勇気がいる。

だが、困っている様子だったのでつい声をかけてしまった。


もちろん悪いことではない。行き先を聞き、乗るべきバスの系統を伝え、ついでに地元特有のバスの乗り方も話した。するとこっちが恐縮するぐらい感謝され、なんか久々にいいことをしたつもりになってしまった。


ここで書いたかどうか、数ヶ月前には子どもが怪我をして右往左往するお母さんを助けたことがある。額から血を流した幼い子がそこで泣いているのに、見て見ぬふりをする通行人には憤りを感じた。

このときは慌てるお母さんをとりあえずなだめ、近くの病院に行ってもらったと思う。




真面目に仕事したって報われない。人に親切にしたって報われない。どうせクレーム言われてまた心が折れるだけだろ?

だったら誰にも手を差し伸べなくていいじゃないか。役立たずな仕事なら辞めちまえば?
・・・なんて嫌らしい声がささやきかける日もある。悪魔…ではなく自分の声だ。



それでも、見ず知らずの人、困っている人に声をかけられるっていうのは、そこらに捨てちゃいけない自分の強みではないかと思う。やっぱりどっかで「ただの通行人になってはいけない」と感じ、そこで足を止めさせる。

もちろん出しゃばりやお節介は余計だが、そういうところが私らしいところなんじゃないかとふと思う。奉仕とかボランティアには興味ない。聖人君子じゃないからそういう意識はない。




「オマエに心理士の器はない」みたいなクレームはフツーにあるし、ものすごく心が折られて退職届を出すところまで考えることもある。ただの卑下ではなく、本気で自分には才がないんじゃないかと思う。


それでもなんだかんだ今の職にしがみついているのは、そこらの道端で困っている観光客やお母さんに声をかけさせるような、そういう自分がどこかにおるからだろう。優柔不断で基本ネガティブ、人見知りで人嫌いな管理人だというのに。








別に「結果を出せ」と要求されているわけではない。ただ、必要以上に自分を追いつめてしまうのが管理人の悪い癖である。


だが、近ごろの社会のゴタゴタを見る限り、自分の行動は誰かの役に立っているのか…と考えるのは多少必要な視点だと思う。他人に損害や不幸しか与えられない人の行動は、北朝鮮のミサイル発射並み、国会で野次を飛ばすしか能がない政治家以上に罪深い。




管理人の願いとしては、せめてクレームが来ないレベルまで上がりたいものである。



2017年9月21日 (木)

鑑賞『関ヶ原』

約10ヶ月ぶりの映画館。

本当はものすごく行きたくなかったのだが、700円で観れるチケットをもらってしまったため、仕方なくしぶしぶ観にいった。


私にとって『関ヶ原』鑑賞は、落ちるとわかっている就職面接に臨むようなもの。気が重い。何をどうしたって元気は出ない。だって歴史は変えられないんだもの。




開始数分で「あぁ…」とため息が漏れたのだが、終わってみればそれほどでもなかった。


さぁ、これはどういう意味なのか。

ネタバレを見ても構いませんという方は↓へどうぞ。







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2017年9月18日 (月)

『深夜廻』 (やってないけど)

台風が目下接近中の現在、ホラーゲームのプレイ動画に夢中である。この状況下でそんなことやっていていいのだろうか。

なんでも避難勧告が出ているらしいが、こんな時間にどこ逃げていいかわかんないし、河川や山の近くでもないのでとりあえず自宅待機。


いや、むしろ家を出たらそれは「夜廻」であり、そっちの方が怖い。なんだか得体の知れないものが街角にフツーに乱立し、それが自分めがけて襲ってくるというのだから。そんなんに殺されるぐらいなら逃げ遅れて死んだ方がましだ。






知らない人は何言ってんだかわからないでしょうが、『夜廻』というゲームが実際あるんですよ。先月、続編の『深夜廻』が出たばかり。管理人は超ビビリなので、よっぽど心惹かれない限りホラーゲームはやらない。

確実に夜眠れなくなるから。


なので、プレイ日記を書かれている方のブログや動画を見て楽しんでいる。プレイする予定はゼロを越えてマイナスなので、ネタバレも全然OK。





ま、私は霊感がなくて本物は何ひとつ見えないのだが、このゲームはそれ以前に演出が怖い。ガチでビビる。結末がわかっていてもいちいちビビる。心臓に悪い。

システムとしては、前作も今作も小学生の少女がひとりで夜の町を歩き回る。で、そこかしこで謎のオバケ(化け物)と出くわす。それぞれちゃんとした目的はあるのだが、それにしたって彼女らは豪胆である。

一度目は仕方ないにしても、そこでオバケと遭遇したら次は二度と行かないと思うんだが。私だったら諦めて家に戻り、霊媒師もしくは警察に相談するだろう。少女たちが諦めないあたり、すでに「得体の知れない何か」に意思も感情も取り込まれているのでは…。






さっき確認したら、このゲームのCEROはC(15歳以上対象)。

おお…。私が愛してやまないソルサク(こっちはD)よりは優しい。ビビる演出と即死率が半端ないだけで、同行者を生贄にしてえげつない死に方をさせたり、異形の魔物をフルボッコするあれよりましということか。


そういえば、あっちも願いの代償として何かを差し出すシステムである。魔物になってしまった元人間の中には、自分の肉体だったり人として死ぬ権利だったり、自分の親族や一般市民を捧げた奴もいる。プレイヤーも(状況によっては)臓物やら目玉やらとんでもないものを捧げたりする。

どうしても叶えたい願いがあるとき、自分にとって大事な何かを捧げろというのはどこの世界も同じなのかもしれない。


管理人自身、とある目標のために今年2月からあるモノを断っている。別に根拠はないけど、そっちの方が願いが叶いやすい気がするのよね。大事なものを断つ。あ、コトワリさま…?







ひぃぃぃぃぃ…!!


シーンと静まり返った部屋の中、プレイ動画を直視していると怖いので、裏で好きなアーティストの曲を大音響で流している。のだが、やっぱり怖い。

こんな心臓バクバク状態で眠れるのだろうか? すでにトイレに行くのがものすごく怖いのだが…。







こうなったときの管理人の最強コマンドは「眼鏡を外す」である。

これなら何も見えない。仮にそのへんに何かいたとしても、強度近視の私には見えない。手さぐりでトイレに行き、部屋に戻り、布団を被って朝まで目を開けなければよい。




こんな私に「夜廻」は不可能。もし狙われたら諦めます。私をダシに使って次の人を引っ張り込もうとかはやめてください。

管理人が住んでいる地域の近くにもそれらしい神社(ネタバレになりかねないので伏字)があり、確かにそこの絵馬などはすさまじいことが書かれている。毎日人で賑わっているので廃れる心配はないが、ダークサイドに落ちないことを祈るばかりである。



ちなみに、怖い怖いと言いながらプレイ動画を見ている理由は、単純に想像力を膨らませたいというよくわからないもの。お陰でちょっと頭が活性化した気がする。


この記事を書いている最中、いきなりパソコンがシャットダウン…ということはまだないので(以前あった)、よし…勇気を出してもうちょっとだけ見よう。

子どもたちよ、くれぐれも夜中に町を歩き回ってはいけません。むやみやたらと懐中電灯の光を当てまくってはいけません。そして10円玉は大切にしましょう…!












【追記】

この記事を投稿したあとさんざん動画を堪能し、すでに2時になろうとしていたので、今日はここまでにしようとパソコンを閉じた。

前述の通り、眼鏡を外した装備でトイレに向かえば怖くない! そう思っていたのだが、部屋を一歩出た途端、煌々と明かりを放つ光源を目撃した。


日常的に金欠でケチな私は、節電のため使わない電気を点けっぱなしにすることはない。はずなのに、トイレの電気が点いて廊下まで漏れていた。そういうわけである。

これは強度近視に関係ない。電気が点いているかどうかは眼鏡がなくてもわかる。…この私としたことが、うっかり消し忘れましたか?




脳内がパニックになり、


「で、ででで電気が点けっぱなしですけど…

ははは入ってもよろしいのでしょうか…?」



って誰に聞いてんだ。返答があったらそっちの方が怖いだろ。とにかく余計な想像をせず、さっさと用を足して布団に逃げ込むべし!

ほとんど憶えていないが、トイレ中にノックがあったり背後から襲われることもなく、部屋まで駆け戻って無事に就寝しました。節電節電とやかましい私としたことが、こんな日に限って電気を消し忘れるなんてバカですね。


そういうことにしておきましょう。


2017年9月 2日 (土)

やさしくない世界

座学中心の研修期間を終え、ものすごく足がむくんだ。職場では立って歩き回っていることが多いので、家に帰ってから自主的にラジオ体操第一とかやって凌いでいた。

周りにいるのは初対面ばかりだが、運よく初日に仲の良い人ができた。自分の職域とは微妙に違う現場の話を聴けてよかった。こんな管理人でも社交スキルはあるんですよ。







それにしてもしみじみと思うのは、我々の専門領域は儲からないね。


「やりがいはあるが生活が苦しい」「この職域で金持ちを見たことがない」と皆が口を揃えて言うほど給料が少ない。

医師や大学教授、公務員などピラミッドの上方にいる方々は別だろうが、底辺にいる大多数は全然儲かっていない。以前、保育士の給料が少ないと社会問題になったが、こっちだってもれなく低待遇の安月給である。

むしろあっちは社会問題として取り上げてもらえて羨ましいと思う。





我々の職域、神経をすり減らす仕事である割には見返りが少ない。同業者の人に「こんな仕事を選んでご愁傷様」と言われたこともある。社会に貢献してるとか、需要があるとか、なんだかんだ言われても生活が苦しかったらどうしようもないよな。



今回の研修でも、「ボランティアで尽くす覚悟でやれ」と言われた。

私はまだ20代。あれもこれもやりたい、いろんなことがしたいと思っても構わない年頃であろう。見返りを求めないボランティア精神で仕事なんかできません。

人助けをして餓死しろというんですか!(とはさすがに言えなかったが)





私は聖人ではありません。マザーなんとかさんみたいに他人を救うことに喜びなんか見出しません。尽くした分だけ見返りがほしい。そう思うのは何か間違っているのか。


いや、もちろん働いている全員がそうなら私も同調するよ。現実としてはそうではなく、ピラミッドのどこかにはしっかり見返りを得て裕福な生活をしている奴がいるわけでしょ。

自分の職場で言うと、上司とか。噂によるとあの上司、儲かりすぎて税金対策に頭を悩ませているらしい。節約節約と口癖のように言い、職員を安月給でアリのように現場で働かせ、得た収益をほとんど自分のものにして税金対策に困る?


こんな馬鹿なことがあるか!と言いたくもなろう。






仕事にやりがいを持てと言われても、こんな現状でやる気を出せというのが間違っている。

他人のために尽くせ、生活を楽にしてさしあげろ、その代わりお前が死ね…ってか。他人の生活の世話して、自分の生活が破綻したらどうしてくれるんだ?



保険料の値上げも毎年のように生活を苦しめるし、この時代、この国に生まれたことが人生最大の不幸ではないか…とも思い始めた。


自分はまっとうに生きているのに、こんな奴でも誰かの役に立てるかもと思ってこの仕事を選んだのに、手取りはどんどん減っていく。当然ながら生活が苦しくなる。

人を助ける以前に、自分の生活基盤がそもそも安定していないのである。今のご時世、ちっぽけな人間がいくら世界にやさしくしても、世界は自分にやさしくしてくれない。




これでどうやってやる気を出せというのか…。

ポジティブな励ましごときでモチベーションは上がらねぇぞ。






10代のころや20代前半は「手取りは少なくても社会の役に立てるなら」なんて偉そうなことをほざいていた気がする。


だが、この歳になってようやくわかった。

人間はそれなりの見返りがないと生活できない。偽善の皮をかぶって仕事に打ち込むことはできるが、心の底から満たされることは絶対ない。そういう生き物なのだと。


見返りもなしに人のために働けというのは不公平すぎる。私が万人のために尽くしたところで、万人は私のために何もしてくれない。なんのためにこんな安月給で、嫌な思いまでして仕事を続けなきゃならないのだろう。




この職業に就いて以来、誠心誠意を込めて必死にやってきたつもりだが、先日の研修を機に悶々と考えている。言葉はよくないが、いろんなことがバカバカしくなった。


私ってのはほんとモノグサだから、何かに向かって努力しない代わり、たいした悩みを抱えることもない。目標も願い事も「特になし」で、ある意味ものすごく平和な奴だと思う。

そんな私が「このままではヤバい」と思うのだから、今回はよほどヤバいのだろう。



…いや、生活がリアルに破綻するヤバさではない。これまでのような純粋な気持ちで仕事ができなくなるヤバさである。

同じ職域、同年代の子たちと話題になるのは、いつも決まって「保険料の値上げ」と「年金問題」と「生活の破綻危機」。あとたまに「孤独死危機」も。






こんなことやってたらいずれ生きていけなくなるぞ。


悲しいかな、仕事の帰り道にふと頭をよぎる言葉である。


2017年8月17日 (木)

仕事行きたくねぇ

あっ!という間にお盆休みが終わってしまった。


今年はせっせと貯めていたお金を手に、「行きたいところに行こう、やりたいことをしよう」をモットーに過ごした。おかげさまでお金はスッカリなくなりましたが。




私が小学生なら、夏休みの宿題分の絵日記はざらに書ける。

極めてマニアックで密度が濃く、決められた金額内ではあるが散財し、現実から逃避しまくったせいで明日からの仕事に行きたくない! 戻ってきたくない!と叫び出すほどである。



あー…。幸せのあとには必ず地獄が待っているのかー…。

帰りたくなかった。ずっとあの世界観(?)にいたかった…!




詳しく話すと記事5つ分ぐらいになるのでごく簡単に説明すると、戦国武将の生きざまに完璧に胸打たれたせいで現代生活に戻るのが嫌になったのである。


現代人がやっているような、毎日決められた時間に起きて出勤し、人間関係に辟易しながらダラダラと定時まで仕事をこなし、1年後も10年後もなんとなく同じ生活を送っている…なんて生き方はくだらん!

メリもハリもない、生も死もない、忠義も謀略もない、こんなつまらない現代社会で私は何をやっているんだ? 叶うならばこの身尽きるまで、敵を刃を交え血みどろの合戦場で露と消えたい…!



職場での人間関係がどうとか、給料の安さがどうとか、社会的地位が低く独り身で肩身が狭いとか、本気でどうでもよくなってしまった。なぜ現代人は戦国武将のように、あるいは名もなき侍のように、もっとこうガッツを持って「己の本懐を遂げるべし」みたいな生き方をしないのかね。

ううむ、27にもなって、がっつり何かの病だろうか。





ちなみに、ドラクエXIの1周目シナリオもめでたくクリアしたのだが、なんかあんまり感動しなかった。死んでしまったアレコレの人がかわいそうだ。エンディング後になんらかの形で救済してあげてほしいと願う。


王道RPGにありがちな「悪者はみな滅ぶべし」って考え方も違うと思うんだよな。何かを善とみなせば別の方面にあるものが悪とみなされる。戦争っていつもそういうところから始まってるんだよ。

あの勇者も、魔王サイドから見れば立派な破壊者であろう。










仕 事 行 き た く な い 。



現 実 に 戻 り た く な い 。





呪文のように唱え続けて、明日になったら現実が少し変わってないかな。現代人の暮らしってほんと無駄が多いというか、つまらない日常の繰り返しだよな~。







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2017年8月 9日 (水)

負け戦と勇者

今日の夜食は…うるめイワシの丸干し2尾。

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晩飯はもらい物のゴーヤを調理。冷蔵庫にあったミンチ肉と一緒に炒めたのだが、よく考えたら卵を入れるべきだったと後悔。個人的には苦味がある方が好きだけどね。

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ここ数日、『関ヶ原』の読書とドラクエXIを並行。『関ヶ原』は12日に返さないといけないので二度読みは無理かも。


ドラクエは相変わらず、勇者やら魔王やら世界の破滅やら王道まっしぐら。ゼルダや他のゲームでもたまに思うけど、よく彼らは途中で投げ出さないよね。家族といい道中で出会う町民や王族といい、なにもかも勇者に頼りすぎ。つい「自分でやれ!」と言いたくなる。

純粋で心優しく、不屈の心を持った人間にしか勇者はできんのだろう。日ごろから【CERO:CもしくはD】の常連である私など、心が荒みきっているせいで「コイツは絶対あとで裏切る」と登場人物全員を疑う始末。


勇者や英雄などともてはやされるより、犯罪者だったり異端者だったり最初から誰かに追われる立場であり、何かの拍子に(あるいは私情で)ついでに世界を救うぐらいの方が身の丈に合っていると思う。

ただし現実世界に勇者はいないし、核兵器の方が魔王より怖い。神に選ばれし力で悪を断つというなら、ぜひ現実世界にも降臨してあれやこれや成敗してもらいたいものである。







…そんな勇者バンザイ大団円RPGに比べ、(多少の脚色はあるとはいえ)歴史上の戦はけっしてハッピーエンドでは終わらん。なぜなら、こっちには魔王などというわかりやすい悪役がいないからである。

どちらに加担するかで敵・味方は変わる。私は石田三成が好きで西軍派だから、徳川率いる東軍は完全なる敵である。しかし、もちろん逆の立場の人もいるだろう。


著者の司馬遼太郎さんの見解になぞらえるなら、石田三成は「義」を、徳川家康は「利」を貫いた人であり、文字通り利害を重んじる人々はことごとく徳川についた。つまり豊臣か徳川か、どちらに味方すれば自分に得であるか(損がないか)、という基準で決めたわけである。

私はどちらかというと「義」や「恩」を大事にしたい人だし、だからこそそれを貫いて負けた石田三成を敬愛している。私には彼のような才能はカケラもなく、自他ともに認める変人で嫌われ者だが、それでも見捨てずにいてくれた人、ある程度の理解を示してくれた人、そういう人のことは大切にしたいと思う。



強き者にヘコヘコ頭を下げ、自分の身の安全を確保するために過剰な配慮をする。それこそ今の日本の姿そのもののような気もする。

先日「広島原爆の日」を迎えて改めて思ったが、日本政府は強き者=アメリカにペコペコへつらい、肝心の被爆者や国民の感情をないがしろにしている。「義」を重んじるなら国民の意見にもっと耳を傾け、核兵器など廃絶すべきなのに、「利」のためにアメリカに追従している。

三成がこのありさまを見たらどう思うだろう。野党を率いてほしい戦国武将ナンバーワンである。関ヶ原で徳川に加担した加藤清正や福島正則一派がそうだったように、日本だっていつポイッと捨てられてひどい扱いを受けるかわからんぞ。






やめとけやめとけと思うのに戦が始まり、大谷吉継が死に、島左近が死に、石田三成が六条河原で処刑され、やっぱり泣いてしまった。落ち延びた先で「欲しいものはあるか」と問われ、返した言葉は「家康の首が欲しい」である。あー、やっぱり好きだ。こういうところがいい。


最後まで読んで、黒田官兵衛(如水)があんまりいい書かれ方をしていないのが印象的だった。人に媚びず、富貴を望まずの人物だが、頭が働くだけにネチネチとした根回しをしてくるから嫌らしい。そういうイメージが定着してしまった。

あと、真田家のことはあんまり深くは書かれていなかった。ただ、真田幸村の妻は大谷吉継の娘!?という情報に驚いたぐらいか。うーむ、知らんかった…。




歴史上の人物にビジュアルがつくのはあんまり好まない(ゲームは除く)ので、大河ドラマや映画は極力見ない。ので、8月26日公開のも見にいかない。…あんなジャニーズごときに三成のすべてが演じられるとは思えんよ。


盆休みに時間があれば三成ゆかりの地を巡りたい。彼は勇者でも英雄でもないが、馬鹿正直でまっすぐで、現代においても稀有な「義」の人である。

諸説あるだろうが、私はそう思っている。



2017年7月26日 (水)

読書『関ヶ原』(途中)

司馬遼太郎さん著『関ヶ原』

読みたいが、文庫本3部作なんて買う金はない!と意地になっていたところ、図書館の存在を思い出し、早速【上】を借りて読んでいる。某ゲームをやっているせいで、登場人物の台詞にいちいちCVとビジュアルがつくのは致し方なかろう。



図書館ってホントいいところですね~。タダで本を読ませてくれるなんてすごく親切。そういえば以前も、『西遊記』を借りて貪るように読破した。

教科書や専門書はダラダラとしか読まないくせに、興味のある歴史書やフィクション本はあっという間に読んじまう。とりあえず下巻まで読んで、面白かったらお金を貯めて買おう。









先日、知人と「好きな戦国武将は誰か」と少々コアな話題になり、その理由を滔々と語った。こういう話題で盛り上げれるっていいね。久しぶりに楽しい会話をした気がする。


互いに“徳川憎し”は共通しており、家康の悪口を始めればきりがない。ええい、悪知恵ばかり働くあのタヌキめが! とはいえ、某ゲーム(※ 前述とは別物)ではかなり頼りになる力を発揮してくれるため、そういう意味では世話になっている。

裏で根回しをしながら着々と目的を果たす家康とは違い、感情的で短絡的で無駄にプライドが高く融通が利かない三成は情けない。「いやいや、それじゃ敵を作るだけだってば」と言いたくなるようなことを平気でする。

あの人は頭こそ良いが、不器用でどこまでもまっすぐなのである。私は三成のそういうところがすごく好きだ。タイムマシンで会いにいきたい戦国武将ナンバーワンである。






私にはあの人のような頭の良さはないし、自制心も働くけれども、それでもどこかしら似たところがある気がする。

無意識に他人を怒らせる、あるいは嫌われる能力とか。プライドが高く、ちょっとしたことですぐ傷付くところとか。家康のようなネチネチした周りから固めるタイプが嫌いで、気に食わない奴には堂々と正面衝突、批判されると正論を振りかざすところとか。


今でこそマシになったが、私も昔は無意識に他人の気に障るようなことを行ない、仲間外れにされたり、いじめられたり、いろいろありました。今の職場でも「私は何か間違ったことを言っているか? オマエの言い分は理に反する!」という心根で、上司あるいは先輩とさえたまに衝突する。

なので、正論を言いながら孤立していく三成にはシンパシーを覚える。お互い、政治家には決定的に向かないタイプでしょう。君に天下統一は到底無理だったよ。







そんな三成にも信頼できる友人(と呼んでいいものかどうか)はいたそうで、友達ゼロの管理人には羨ましい限りである。

良くも悪くもまっすぐで裏表がない人だから、信頼には足る(と思う)。いつか私にも大谷吉継や島左近のような仲間?ができたらいいねぇ。





…しかし、関ヶ原はまぎれもない負け戦。

私がいかに西軍を応援しようと結末は決まっている。…泣くだろうな。某ゲームでも泣いたもんな。私の(個人的な)三成の原点はそこであり、ビジュアルとCVは間違ってもジャニーズの誰かではない。







私が語れる歴史はこのへんだけであり、もともと日本史も世界史も嫌いである。ただ石田三成が好きだから勉強しただけ。社会の成績は「3」がベストであった。


うちの母親などは歴史上の人物で平清盛が一番好きで、あのへんだけは妙に熱く語っていた。自分と同じ三成ファンには会ったことがないが、平清盛ファンにも会ったことがない。親子そろってよくわからない趣味だな。

2017年7月14日 (金)

最凶の夏到来か

毎日お暑うございます。

これまで生きてきた中で最もひどい夏(※ 個人差あり)になりそうで、すでに体調を崩しまくっている。せっかく誘ってもらった飲み会を2件も断ってしまった。


ただでさえ弱っちい胃腸がやられ、朝食はスープのみ、晩飯はうどんか雑炊。こんなんで人ひとり生かす原動力には全然ならず、脱力感がハンパなくふらふらしてあちこちぶつかり、生傷が絶えない。

点滴でも受けたい気がするが、毎日病院にかかる経済的余裕はない。スープとうどんor雑炊では人類の身体は維持できん。固形物が食べたい。





冬の寒さは耐えられるが、夏の暑さは死の気配がする。

体調は優れないのに夜が眠れない。なんかよくわからんが、平均して夜中の3時~3時半に目が覚めてしまい、窓越しに日の出を眺めたり、新聞配達のバイクの音を聞いたりする毎日。


こんな早い時期からエアコンを使ったら電気代が~なんて考えてるからあかんのだろう。もはや扇風機と根性で耐えられるレベルを越えていると思う。

このまま外に出たら公然わいせつ罪で逮捕されるであろう最低限の服装で過ごすなど、いろいろ工夫してみてるんだけどな。ここで死んだら金魚の世話する人がいなくなるから、なんとか生き延びねば。





今週は6連勤なので、まだ明日が残っている。

さっき30分ほど仮眠を取って少しマシになったが、こりゃ気を抜くと大変なことになりそうだ。休日にどっと疲れが出て病気になるとかな。昔っから夏は嫌いだ。



2017年6月21日 (水)

通院日6/21

今日は夏至で通院日。散瞳目薬の影響でドラキュラ化する(眩しくて炎天下が歩けない)私にとって酷な1日かと思いきや、雨が降ってくれたお陰で随分楽でした。

ただ、『星の王子さま』のバラについて熟考しながら道を歩いていたら、どこかの店先のワゴンに正面衝突したぐらい。傘を忘れなかっただけよしとしよう。





3ヶ月ぶりの通院日だが、近ごろ不摂生で眼に悪いことを繰り返してきた自覚があり、症状が進行していたらどうしようと怯えていた。例によってお腹を下し、いつものように検査・診察の前にトイレ。毎度毎度、帰るまでに平均5回はトイレに行く。

どの病気もそうだけど、身体にストレスをかけたり、変に力んだりしたらいけないわけさ。毎回「検査前はゆっくり休んで」と言われるが、様々な理由でそうはいかんのだ。




まぁ、結果が悪ければドクターストップがかかるだろうと思っていたが、視神経の具合も視野も問題なく、緑内障の診察は3ヶ月に1度から6ヶ月に1度になった。つまり網膜剥離と同じ頻度。


私が初めて病院にかかってから6年。その間にわずかな変動はみられるが、「悪化している」とはっきり断言できるほど進行しているわけではなく、半年に1度でいいだろうと判断されたらしい。

…いや、その判断に不満はないが、6年もかかるものなのか。半年に1度は必ず検査を受けているから、単純計算で12回は視神経や細胞や視野の検査を受けている。どのタイミングで何が始まるかもわかっており、技師さんの言葉かけがなくても「まばたき」「一点凝視」「撮影回数は○回」の指示がわかる。


要するに、6年もの間、ず~っと何も変わってないってことですね。





網膜剥離の方も問題はなかったが、おそらく主治医の都合(遅刻?)で定時になっても診察が始まらず、待合室が大変なことになっていた。

眼科患者というのは大半がお年寄りで、20代の私など極めて珍しい。それも全盲の人やら介護ヘルパー付きの人やら車いすの人やらが来るわけで、もはや暗黙の了解で私は待合室の隅に立たざるをえない。私も一応患者だし、こんな雨の日は手術跡が痛むんだぞ!?


ま、最初の方は椅子に座ってグーグー寝てましたけどね。








次の通院日は12月である。半年後だから当然だが、年末で年賀状を書いているころである。まだ本格的な夏にもならないのに想像つかねぇな…。





(以下、どうでもいい追記)




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ひとりごと

  • GYAOで『ペット・セメタリー』を観た。ホラー小説で有名なスティーブン・キング原作である。この手の映画はなぜヤバい奴がいるとわかっている屋敷にひとりで踏み込むのだろう。バラバラにされた人体の一部でも降ってきたらどうするんだ!と思ったが、そんなことはなかった。ちなみにペットとタイトルに名がついているものの、結局一番怖いのは人間だと理解した。
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